自燈明・法燈明の考察

仏教の正邪に関する考察

 仏教の歴史について、少しずつ調べてまとめていますが、これは自分の為の作業と思って取り組んでいます。これについては、現在まとめサイトを再構築していて、こちらのサイト(自燈明・法燈明)に今後アップしていく予定ですが、やはり歴史を知って行かないと、物事の姿への理解は深まらないと思っています。
 宗教団体では、それぞれ仏教の歴史を自宗教に都合よくまとめている事もある話で、やはり自分自身で理解したい事があるのであれば、自分で調べていくしかありません。



 そもそも調べてみると、私達が「お釈迦様」とか「釈迦如来」と呼んでいる「釈迦」という名前も、実は彼の出身部族である「シャーキャ族」から来ているものであり、「ゴーダマシッタルダ」というのも「ゴーダマ姓の悟達した人」という意味の言葉から来ていますので、実名すら実は判明しておらず、その生まれた時代も紀元前五百年から七百年という様に、大雑把な事しか判明していません。

 ただ近年になって、遺骨も発見されたりもしたので、実在した人物という事は間違いない事なのですが、やはり三千年近く昔の人なので、様々なものが「時間の流れの霞」の先にあって、明確には判明していないのは事実だと思います。

 あともう一つは、釈迦が説いた法というのは、基本的には「対機説法」によるもので、常に目の前に人が居て、その人を救うために釈迦は教えを説いていました。これはつまり「その人」に対して、釈迦が知り得た智慧を元に、それこそ「種種の因縁、種種の比喩」を用いて説かれていますので、それを経典化(普遍化)するにも、それなりに大変だったと思います。
 この経典化する事を「経典結集」と呼びますが、仏教の歴史上、これは六回ほど行われている様です。
 ただはじめに経典化した「第一回経典結集」では、釈迦滅後すぐに行われ、これはマカダ国王舎城で摩訶迦葉を中心にして行い、500名の比丘と共に、経についてはアーナンダ、律についてウパーリが語り、まとめ上げたと言われています。また「経典」と呼んでいますが、当時のインドでは大事な事は「口承伝承」する事が一般的であったという事から、すべて文字ではなく口承としてまとめられたそうです。よく当時のインドでは文字が無かったから口承であったという話もありますが、釈迦滅後当時でも文字はあったようです。ここはインドの文化的な背景があったからですかね。

 この第一回経典結集でまとめられた経典には、当然、大乗経典というのはありません。大乗経典が成立したのは、釈迦滅後、五百年経過したころと言われています。これは歴史的な事実なのですが、ここから良く「法華経釈迦非仏説論」も起きていて、法華経は後世の偽作だという話も出て来ています。

 しかし考えてみれば、すでに第一回経典結集の段階で、対機説法の内容を普遍化して経典にした時点で、それは釈迦直説ではないという事にもなります。また仏教自体、釈迦滅後100年頃から「根本分裂」を起こし、教義の解釈で様々の異なった事が発生し、それ以降、門徒の中で「アビダルマ(論)」がつくられ議論が起こり、論争した事で部派仏教へと分派をしたのですから、この事を考えた場合、「釈迦が直接説いた」「釈迦が直接説いていない」というのは、仏教に於いてあまり大きな問題にはならないと思うのです。

 仏教とは、釈迦が興した教えから、後世の仏教徒の中で釈迦の原初の教えに思いをはせ、議論・論争をする中で作り上げられてきた宗教という事であれば、別に「非仏説」である事によって、真偽を問うものではないと、私は考えています。むしろ釈迦が何を説きたかったのかを常に問いながら、思考してそれぞれが理解する事に努める事が、大事な事だと思います。

 法華経に関しても、大乗仏教の勃興した時代(釈迦滅後500年頃)に、まとめ上げられた経典であり、初期の法華経には、例えば提婆達多品が存在していなかったのは、今では研究の結果で判明しています。だから法華経こそ真実で唯一絶対という事でも無いでしょう。ただそこで説かれた内容については、後世の仏教徒の中にも大きな影響を与えている事が解っているので、破棄すべき内容ではありません。これはこれで大事な事が説かれていると、私は考えています。

 大乗経典について釈迦が直接説いていない。
 この事を考えた時、私は経典の内容も「御金言(間違いない真実の言葉)」と捉えるものでもないと思います。だから軽々しく扱ってよいという事ではなく、経典にある内容も重要な事を示唆していると理解しながら、さらに思索を加え、それぞれが解釈を加えながら、一人ひとりが理解を深める事に努める事が大事なのではないか、その様にも思えます。思索する際、その支柱として経典は見るべきであり、けして「御金言」として鵜呑みにするものでは無いでしょう。

 こんな事をつらつらと考えてみた時、日蓮正宗関係ではいまだに活発にされていますが、「教えの正邪」とか「真実の教え」を判別する為に経典を引用する事は本末転倒であり、そこにどれだけ意味があるのか、そこは考えるべき事ではありませんか?

 宗祖の日蓮は、徹底して「正しさ」に拘りました。そしてその「正しさ」を論証するために、様々な経典を引用して、それに関係する論釈を用いていました。しかしこれは仏教僧の中でやれば良いだけの話であって、仏教の経典の「正しさ」を証明したとしても、その経典をどの様に理解されるのか、そこを見ていなければ、結果としては不毛の論になってしまうのではないか、私はそんな事を考えています。

 仏教が求めたのは「人の心の形」であると私は考えています。
 人は様々な事で悩み、苦しみ、そして死んでいきます。その悩みや苦しみを感じる心とは、どういったものなのか。そこを突き詰めて行った教えなのではないかと思うのです。この心への理解が深まれば、人は悩みや苦しみに惑わされる事なく、この一生を生き切っていける。その為の教えだと理解しています。

 そこから考えたら、形而上の教義の論争なんて、仏教説話でいう「矢の刺さった人」のたとえ話の様に、仏教を学んでいたとしても、不毛な人生で終わってしまうと思いますよ。


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