日々暑くなり始めましたね。在宅勤務してますが、エアコンを稼働させないとキツくなってきましたが、反面で電気代が心配になります。個人的に夏は好きなのですが、近年の酷暑は勘弁して欲しい所ですね。
さて、東京都議選も低調に終わり、負けたと言っても負けすぎなかった自民党、形だけは何とか維持した公明党、都民ファーストについても、多少勝ったと言う事で、随分とまあ、適当な結果で終わる事となりました。
与党政治家は都議選は国政選挙でもないし、オリンピック開催は争点でも無かったと言うことで、いよいよこの国際的な大会の開催に拍車をかけてますが、私にすれば争点の一つであり、国民の約一割である都民がこの首都東京での開催をどの様に見ているのか、見極める選挙だと思い、注目をしてました。しかし結果としては史上ワーストとも言うべき低投票率だった事から、国民の中にある政治に対するシラけ度は、既に抜き差しならない処まできている事を実感しました。
さて今回の記事ですが、国と国民、また資本という事について少し考えている事を書いてみます。お時間のある方はお付き合い下さい。
◆ソマリアの海賊
海賊といえば「パイレーツ」、これを聞くとジョニー・デップ主演の映画、パイレーツ・オブ・カリビアンを思い出しますが、実際の海賊はあんなにカジュアルな存在ではありません。
いまの世界で海賊として有名なのは、マラッカ海峡を根城にする海賊たちや、ソマリアの海賊あたりでしょう。

ソマリア海賊と言えば、まだ終息せずに活動をしていると思いますが、You Tubeには、ロシア海軍やアメリカ海軍に掃討される動画が上がっています。見ると貧弱な漁船に乗り、逃走する海賊たちが大口径の軍事兵器で容赦なく銃撃される映像は、見ていて痛々しい限りです。
このソマリア近海には日本の海上自衛隊の艦船も出ていて、警備の任務に着いていますが、そもそも彼ら海賊とは一体何者なのでしょうか。
調べてみると、元々の彼らはソマリアの沿岸漁師達であったと言います。しかし1988年から始まった内戦により、ソマリアは無政府状態に陥りました。その結果、周辺国の漁師達はソマリア領海内に入り込み違法操業を続け、結果としてソマリアの漁場は荒らされてしまい、沿岸漁業を生業にしてた人達の生活は困窮する事になってしまいました。
そんな漁師達が生活をするために始めたのが海賊でした。彼らは商船や客船を襲撃し、金品を強奪し、人々を誘拐して身代金を要求するなどで、生活の糧を得る事にしたのです。
海賊するには兵器も必要となりますが、そこに目を付けたのがアメリカの資本家です。彼らはソマリアで海賊を行う彼らを「優良投資先」として資金を投下し、彼らの犯罪行為による上がりの中から利益を得る事にしたのです。
こうしてソマリア海賊の行為はエスカレートし、結果として民間船を防衛するという名目で、アメリカをはじめロシア、インド、中国の各国軍隊や日本の海上自衛隊なども彼ら海賊からの民間船の防衛、また掃討作戦に従事する事になったのです。
結果、この海賊行為でバカを見たのは誰なんでしょうか。私はソマリアの元漁師であった彼ら海賊たちの様な気がしてならないのです。
◆この事から見える事
私はこのソマリアの状況から、いくつか考えた事があります。
一つは「国」という事です。彼らソマリア海賊も、国家がしっかりと機能していれば、彼らのソマリアの人達の漁業場は荒らされる事なく、彼らは漁師として平和に生活が出来ていたのではないかと思います。日本では「国」というと、太平洋戦争の悲惨な記憶による為に、とかく重要視しない傾向性がありますが、やはり今の人類社会の中で、民族として生きていくためには「国」というのが必要なものなのです。日本の周囲でも様々な国があり、それぞれの思惑で動いています。日本があまり圧力を受けていない事は、アメリカ軍の傘の下にあるという事にも大きな理由がある事ですが、こういう現実を日本人としてはあまり認識をしていないのではないでしょうか。
次にあるのは「資本」という事です。以前にも紹介しましたが、日本人で元傭兵であったテレンス・リー氏は、彼が経験した多く戦場を通して「戦争を行うのは資本である」と自著の中で述べていました。現代の人間社会は悲しいかな、資本を持たない国家や、その国民は、人類社会の中で「自由」を得る事は出来ません。資本を持たない国家にいる国民は、どうやっても悲惨な状況に追い込まれるだけではなく、自主独立を得る事すら困難となります。
また一方では、この資本という存在に国は翻弄され、望まぬ戦乱の中に追い込まれてしまう事も多々あります。そして国が翻弄されるのか、されないで生きていけるかは、ひとえに国の政治力に掛かってくるのです。
そして国の政治力には、何といっても国民の政治的な関心が必要となります。まあ専制政治体制であれば、国民の政治的な関心は、国の行動にはあまり関係ないかもしれませんが、民主主義制度を取り込んでいる国では、制度としても国民の政治的な関心が、その国の政治力に大きく関係してきます。
思うにこのパンデミックという状況に置かれて、緊急事態宣言をしているこの国で、東京オリンピックを為し崩しに開催するというのは、ひとえに日本という国の政治力の弱体化を示すものだと思います。また新型コロナ禍の中で、飲食店を中心に国民の中で死活問題の様な経済的な悪化の状況を呈している事も関係した事でしょう。
今一度、日本人として国と資本と国民について、考えなければならない処に来ている様だと、私は考えているのですが、皆さんはいかがでしょうか?