そうです私がセ ッ ク ス ボ ラ ン テ ィ ア (SV) で す

セックスボランティアとは、障害者に同情して、タダでセックスしてあげる人のことではありません。

書き込みのその後の反応1

2006-02-13 10:01:51 | こにぃ企画
こんな書き込みされました。

同じ人間なのに、全く、扱いは平等ではないってこと。

今回は、それを一緒に考えて欲しかったのです。




<か>

こにぃさんに一票!!

自分中心の考えから早く脱出してください!
相手のことを考えられる人に!!


<へ>

そですねー。某病院でも看護学生の受け入れの際に「受け持つ患者さんに個人情報を教えないこと」の項目が有るとか無いとか・・・・(-.-;)
長期入院している障害者の方と自宅で過ごせる障害者の方とはまた意味合いが違うでしょうが、どちらも「社会性」が一般レベルに届かない方が多いのは一緒です。
社会性を育むには色んな世界があることを体験することが一番。
問題がある障害者さんには「○○さんはボクに初めて優しく接してくれた家族以外の女性~」なんて想いを埋めるくらいにね。世界が狭いから対応力や免疫力が弱いんだと思ってます。
言うは易し、行うは難し。ですが(苦笑)
ともかく健常者での「異性の連絡先などをしつこく聞く」のはセクハラで、行き過ぎると犯罪なのでそこんとこを上手く強調できないモンですかね?
確かに某企画はいろいろタメになるかと思いますw

<ち>

「それはダメ」ということをはっきり、言われない環境で育ってきた人多いですね。
だから、「~をしていけない」とか、自分に問題があると認めない(認められない?)のが、問題の根っこにあるように思います。
問題を自分で認識しないと何も変わらないだけなら、まだしも、自分の首を絞める事になるんですが、わかってくれないことが多いですね。


僕も、一人の障害者として、耳が痛いところがあるような気がします。


当事者間で言ってるんだから、それなりにインパクトあるはずなんですがねぇ。
指摘の仕方にも問題があったかもしれないですが、とにかく、「自分の問題」としない人が多いのには、正直、一昨年の今頃、ビックリしてました。
もっと、どんどん、いろいろな人が話していくのが、ひとつの方法でしょうね。それ以外は、思いつかないです。


<こにぃ>

はい。

そうなんです。

「それは、人としてやっちゃダメでしょう」と、注意したら・・・

「えっ?なんで?」

との返答でしたからね。
人事ですか・・・。

人の道を外れたことに気づかないってことはだ、人の道歩んだことがないってこと。

情報過多、個人主義思想が入り込むと、これはもう非社会的な人間の出来上がりですよね。

これは、障害の有る無しに関わらず、人との接触のない子供は、そうなるんだぁ・・・と、みんな気づき始めてますよね。

小さい頃から、いろんな人と、当たり前にコミュニケーションをとらないと、とんでもなく偏った仕上がりになってしまうものです。

ノーマライゼーション。

いろんな人がいて当たり前。自分もいろんな人の中の一人なんだから。


<か>

僕も耳が痛いです。
特に僕は社会性に欠けているので、余計耳が痛いです。
まぁ、少なくとも、書き込みのような人みたいな事はしませんが・・・。
なんで?と言った事はありました。
社会人として恥ずかしいですが、失敗したら原因は何かを理解した上で正せばいい事。原因追求しないと、何度でも失敗すると思います。

<け>

相手の嫌がる事は「健・障」関係なく嫌ですもんね。
どうせなら相手に好感をもたれたほうが何倍も嬉しいと思います。
同じ障害者として人に接するマナーは大切にしてほしいっす。
世の健常者のみんなに障害者を見る目がプラスになるよう願ってます。

<T>

恋愛妄想ってのがありますが~
それと、似通ってます。

見かけた女性に声を掛けまくる人がいました。

片っ端から声を掛ける事が周囲から見てどのように見られるのか考えようとしないみたいで・・・

相手の気持ちというか、相手の立場に立った時の気持ちを考えてみられるように、なれれば良いのですがね・・・


<ち>

いちばんビックリした事例のひとつを紹介すると、当事者は30歳を少し過ぎたぐらいの年齢で、かなり重度のCPで、ADLのほぼすべてに介助が必要。親族が同居しています。
彼は、USJだかディズニーランドだか忘れましたが、そういうテーマパークが大好き。
そこで、障害年金と毎月、とある仕事をしていくらか貰っている中から貯金して、テーマパークに行くことにしました。
ここまでは、皆さんOKですよね?

問題は、ここからです。ヘルパーさん二人とそのテーマパークへ行くのですが、ホテルに一泊しないと十分に見て回ることができません。そこで、ホテルを予約することになり、シングルに3人泊まることはできないか?というわけです。
これだけでも、十分ビックリだったのですが、できないよと教えると、じゃあ、ツインの部屋を一部屋と言い出しました。
意味がよくわからなかったので、よく聞くと、自分とひとりのヘルパーさんは、ベッドに。残ったヘルパーさんはどうするの?って、ますます、訳がわからず聞くと、床で寝たらいいって、言ったんです。
どう思われますか?
開いた口がふさがらないとは、このことです。
後で、わかった事ですが、最初彼は、ヘルパーさんの旅費を出すことすら、考えていなかったらしいです。(これは、伝聞なんで、はっきりは言いませんが)
それはできないと言ったヘルパーさんは、床だ??

いったい、どうゆう理屈で考えたら、こうなるのか?想像できないです。

ヘルパーさんも人間です。(当たり前!!)
人間同士で信頼関係ができて、初めて、「ここはどうしても・・・」って時に、無理を聞いてもらえるのではないですか。
そのずっと以前に、気持ちよくお手伝いしてもらえるのではないですか?

かと思うと、また別の重度のCP(男性)で、年齢は40代後半。この人もまた、ADLがほぼすべてダメですが、支援費制度を利用して、一人暮らし。かなりスケベです。(笑)
彼のパソコンは、スクリーンセーバで、裸の女性がいっぱい出てきます。(笑)

何よりすごいのが、そのパソコンを通販でパーツを集めて、ヘルパーさんの手を借りて、3ヶ月かけて組み立てたそうです。その自慢と照れくさそうな、はにかんだ顔忘れられません。
最短23分で組み立てたと自慢していた自分が、彼の前では、どんな小さな人間か思い知りました。
ヘルパーさんも二人の方が交互に週6日だったと思いますが、来られます。するべき仕事は少なく、ルーチンワークなので、ほとんどの時間を雑談して、過ごすそうです。

でも、たまたま訪問した時にお会いしたヘルパーさんの話では、そのヘルパーさんが野球が好きだと何かの拍子に話したところ、その次に来たときには、野球ネタを仕込んでいたそうです。即席で、仕込んだネタだというのは、バレバレだったそうですが、とっても嬉しかったと一緒に帰るときに話してくださいました。

この二人の違いは、なんなの??

今でも、ときどき考えますが、僕にはわかりません。

<せ>

要は、その人の持つ人格であると思います。
私が一つ違和感が有るのは、障害を持つ人の話題になっている事です、障害者とか健常者とかそんな分け方は必要ないのです。
その人が社会性があるか無いかと、障害とは関係無いものです。
いかに、その人の置かれた環境が悪くとも、本人の資質で学習するものです。
こんな、非常識な障害者がいたのでは無く。
こんな、非常識な人がいたということです。

理解出来ないので無く理解しようとしない。
これは、此の問題だけでは無いですよね。

<こにぃ>

そうですね。
ただ、生まれてからずっと、障害があり、介助が必要な人は、あまりにも社会性を身につけるチャンスを奪われたまま大人になってしまうことが多く、こうなる確率が、障害をもたずにこんなになる確立よりもめちゃくちゃ高いということですね。
ですから、障害があるほうが目立つ。
さらに、そこんところを指摘してくれない確立も高い。
可哀相がられて、そのまんま、陰口叩かれながら・・・。

あえて、提案してるんです。

障害のあるなしに関係なく、人としておかしいってことをしちゃいけないって。

なんだよ、自分はそうじゃないぞ!って言って欲しいんです。

でも、なぜか、自分もそうです、耳が痛い・・・そういう声が多く聞こえてきます。

本当の意味で、まだ、障害のある人とない人は平等に扱われてないんです。


<ち>

僕自身も「障害者」です。意識はしてなかったですが、自分は、「だけど、違うんだ」って言いたいところがあるのも、確かだと思います。

初めて、障害者の多いところに踏み込んだ時に、「なんじゃ、こりゃ!?」って思ったことがたくさんありました。

それまでは、逆に自分一人が障害者であるところにいました。学校、職場、ほとんどいなかったんです。少なくとも外見でわかる人は。

だから、余計に「当たり前」になってるけど、それって「当たり前」じゃない?と思われることが、特に目立って目に入ってきた事は、確かだと思います。

確かに「人格の違い」って、言ってしまえばそうです。
でも、本当にそれだけ?っていうのが、ずっと、疑問なんです。

事例の出し方、問題あったかもしれないです。
しかし、この場合、どういう背景か知ってもらって、初めて説明ができるような気がしました。

最初に出てきた人を仮にAさん、次の人をBさんとすると、Aさんは、これからも生きていかないといけないんです。

それでは、だめだと一生懸命にAさんを諭している、また別の障害者の方がいました。
その人に話を聞くと、以前はもっとひどかったらしいです。

障害のあるなしに関わらず、誰かの世話にならないと、誰も生きていけません。
まして、重い障害があれば、尚のことそうです。
これは、どうしようもない事実です。

僕自身も、たくさんの人のお世話になって、生きてきました。

僕は、AさんにBさんのようにならなければならないとか、見習えとか、そんな事を思ってませんし、ここでも、どこでも、言うつもりもありません。

どっちを見ても、痛いんです。自分自身が。

Aさんを諭し続ける人を見ていてもそうです。
いくら、話し続けても遅々として、変わりませんよ。人なんて。
ましてや、30歳を越えた人間の考え方を変えるのは、遠い道のりです。

以前の職場にも、同じような話があって、いい加減な仕事をする人間でした。いい加減な仕事の結果が、そのまま仮にスルーしちゃって世に出てしまうと、まかり間違えばたくさんの人死にがでる。そんな職業、いっぱいありますよね。

そこで、この人間の考え方を変えようと、僕を含めて、たくさんの人が、アプローチしました。結果、辞めて貰うことにしました。

仕事だけの話なら、「辞めて貰う」だけでいいかもしれないです。でも、生きていかないといけないという次元では、話が違うと思うんです。

そこで、僕も同じように「そういう考え方は、ダメだ」、「どうしてかって言うと・・・」って、話し続けました。

ある事情があって、少なくともAさんとは、話を聞くことも、話すこともできなくなりましたが、何とか気づいて欲しいと今でも思ってます。

すごい傲慢な話になってるんですが、うまく表現できないんで、少し時間をおいて、何が言いたいのか、それを表現できるか挑戦してみます。

<き>

元の書き込みの原文は掲載されてないので、はっきりしない部分もあるし、文章で読んでいるからなのかもしれないという事もあるのですが、元の書き込みをした人(ボランティアをしていますって方)のとらえ方も微妙な感じはありませんか?

もちろん、下心丸出しの障害者の方(まぁ健常者でも同じ事ではあるし、最近じゃ介護老人もそういう人がいますけど;)はそれはみっともないよ!!と感じます。

元の文面では3人の障害者の方が登場してますけど、はたしてピクニックで食事介護を受けていた障害者の人って本当にみっともないよって人だったのかな。

前後でそういう関連性のある事態が確認されているならともかく、同じ扱いにひっくるめてしまっていいのかな。

普通に美容院に行って、若いきれーな美容師さんに洗髪してもらうときの距離感。別にこちらに下心がなくてもドキドキしちゃったりする感じってあるんじゃないかな。

もしピクニックの彼が、不覚にもドキドキしちゃって股間をふくらませてしまったのだとしたら、彼は羞恥に耐えながら食事してた可能性だってあるかもしれない。
そうだったら、自分なら結構つらいなぁと、ふと思った。

障害者に優しく・・・・優しくしたいってどういう事。
バスの中で妊婦や老人に席を譲るのは「可哀想」という気持ちからなのかな?「それが当たり前で必要な事」だからじゃないのかな。

「可哀想」「気の毒」と「優しさ」が結びつくと、そこに与えるもののエゴみたいなものが見え隠れして少し気持ち悪い。

ベッドを背上げして食事介護を受けていたおじぃちゃんが勃起したのを見て
「おじぃちゃん、下の方は元気だね。手足ももっと元気なら一緒に手をつないで散歩出来るんだけどな」
と豪快に笑ったヘルパーの人がいたけど、彼女はすてきだったな。思わず照れ笑いしてしまったおじぃさんもいい感じだった。
こういう時、笑いって結構救いになると思った。

変に幻想を抱いている障害者の人も問題があるんだろうけど、逆にボランティアの人の中にも、そこに何か美しいものがあるみたいな幻想を持ってる人がいるような気がする。
幻想を持っているボランティアの人は、その幻想からはみ出しそうな出来事は許せないのじゃないだろうか?


<こにぃ >

今回、私が何をいいたいかって言うと、こういう書き込みがされてるってこと。

そして、それを読んでどう考えたかってこと。

それからどうすべきかってこと。

サポートはする側される側、同じ目線にならないと、へんてこな優越感や、自己卑下する気持ちがなくなることはありません。

だから、考えて欲しいんです。

同じ人間として、やっていいことと、悪いことがある。

それは、障害をもつ人に対するメッセージでも、サポートする側に対するメッセージでもない。

これを読んだ人に対するメッセージです。

<あ>

あの書き込み読みましたよ!以前から不思議な書き込みの多い所ですね(笑

この文章を読んだ感想は・・・
書いた人は、そういう目でしか人を見ていないということです。この人に障害者とは何か、性とは何かを訴えたとしても何も伝わらないだろう・・・。ということです。

だって、まず男女の問題よりも障害の有無を提言しているのですもの・・・(あの板でわざわざ・・・。)
もし、その人が健常者の人とデートに行くことになって彼(だと決め付けてるけど)が、夜のことばかり考えて股間をふくらましていて、それを見つけた場合同じように捉えると思いますか?

答えはNO!

健常者だったら見向きもしないそんな一場面なのに、障害者だとそこに目が行くのは何なんでしょ!?

と常々感じている今日この頃です。

もっと素敵な未来を作っていきましょね♪



<も>

>このままの自分を受け入れてくれぇ~というのは、無理な話ですから

笑えます。確かにこーゆー輩が多いです。
性的な問題もそうだけど、就労問題でもそうです。
県内の就労セミナーで講演したことがあるんですが
質疑応答で「なんで障害があるのに、残業をしたり休日出勤なんてするんですか?」 会社は障害者に対する理解が無い
とかいってました。。。
「民間企業はちゃんと俺たち(重度障害者)にもできる仕事を
用意するべきだ」と熱弁してたけど・・・。

自分には障害があるから大変なんだ、だから社会は
自分を受け入れるべきだ みたいなのがおおいです。
共存というのは、障害者の位置に健常者が歩み寄ることじゃない・・・障害者だって 社会性を磨くとか
スキルアップするために寝ないで勉強するとか
そーゆー努力する(した)瞬間が大事なんだって思います。。。

「このままの自分を受け入れてくれぇ~」

就労も 恋愛も 障害の程度云々じゃあなくて
そういう心根の問題だと思う。。。

年だけとって中身はガキんちょの障害者は
同じ障害者から見ても「イタイ」だけです。。。




<き>

>内面を磨け…っていうのが趣旨ならば、同意だけどね。

要するに言いたい事は↑事だったりします。
確かに人間なんて簡単には変われない。
身体だって年食ってくりゃ障害は悪化する。

その講演会で一番嫌だったのが、「変わろうとしない」
連中がいっぱいだった事。そしてそれをよしとしている
「職員」とか「介護」という名目で共存する健常者。

平日に呼ばれて30分近く喋らされて最後の質疑で
「障害者なのに何で働くのか、年金がもらえるから
それでいいじゃないか」というような意見が出ると
本当にがっかりです。。。。
「だからあなたたちはダメなんです」

「身体だけじゃなく、心まで障害者になってるよ」
誤解を招きそうですが、「突っ張って生きる」って事じゃない

「年金」や「割引」とか障害者の優遇措置を利用して
いることはぜんぜん問題じゃないでしょう。
むしろ「おいしい」 ただ 「障害者だから」とわがままに
いきたり、できることをやらない 
「自分を磨かない事」が痛いんです。


<も>

>「年金」や「割引」とか障害者の優遇措置を利用して
>いることはぜんぜん問題じゃないでしょう。
>むしろ「おいしい」 ただ 「障害者だから」とわがままに
>いきたり、できることをやらない 
>「自分を磨かない事」が痛いんです。

まさしくその通りと思います。
障害者だけが寄り添っている世界はどうしもヌルい環境になってしまう。そこにボランティアが入ってきても案外そのヌルさってのは変わらない。

本人がそこから踏み出すか、入ってくる人がヌルくない人がいないと居心地のいい世界、自分の都合の良い世界からはなかなか抜け出せないのかもしれないなぁと思ったりしますね。

まぁ積極的にインターネットしてるような人はむしろ抜けだしてるタイプかもしれないと思ったりしますが。


以上です。