新古今和歌集の部屋

平家物語巻第十二 六 六代の事5

のなかよりいたきあげ奉りおほしたて參らせて、今年は
                 わか
十二になり給ひつる。若君を、きのふぶしにとられてさぶら
ふ也。御命をこひうけて、御でしになさせ給ひなんやとて
ひじりの御前にたをれふし、こゑもをしまず、おめきさけ
ぶ。まことにせんかたなげにぞみたりける。ひじりもむざん
に思ひて、事のしさいをとひ給ふ。やゝ有ておきあがり、なみ
だををさへて申けるは、小松の三位の中将、これもりの卿の北
の方に、御したしうまします人の、若君゙を、やしなひ參ら
                            きんだち
せてさぶらひつるを、もし中将殿の公達とや、人の申てさ
ぶらふやらん。きのふぶしにとられてさぶらふなりとぞかた
りける。ひじりさて其ぶしをばだれといふやらん。北条の四ら
時政とこそ、名のり申さぶらひつれ。ひじりいでさらばたづね
てみんとて、つき出ぬ。めのとの女ばう此ことばを、たのむべき事は
あらね共、きのふぶしにとられてより此かた、あまりに思ふ
ばかりもなかりつるに、ひじりのかく宣へば、すこし心をとり
のべて、いそぎ大覚じへぞ參りける。母うへさてわごぜ、身をな
けに、出ぬるやらんと、をもいかなるふち川へも、身をなげはやなどゝ
思ひたればとて、ことの子細をとひ給ふ。めのとの女ばうひじり
の申されつるやうを、こま/"\とかたり申たりければ、あはれ
そのひじりの御ばうの、此子をこひうけて、今一たびわれに
見せよかしとて、うれしさにも、たゞ、つきせぬものはなみだ
なり。其後ひじり六はらに出て、事のしさいをとひ給ふ。
北でう申されけるは、かまくら殿の仰には、平家の子そん
といはん人、なんじにおいては、一人ももらさず、たづね出して
うしなふべし。中にも小松の三位の中将、これもりの卿の子
そく、六代御前とて、年もすこしおとなしうまします。
その上平家のちやく/\也。故中の御門、新中納言なり
ちかの卿のむすめのはらに有ときく。いかにもて取奉て
うしなひ參らせよと、仰をかうぶつて候間、すへ/\のきん達
たちをば、せう/\とり奉ては候へ共、此わか君のざい所をいづ
 

平家物語巻第十二
  六 六代の事
の中より抱き上げ奉りおほしたて參らせて、今年は十二になり給ひつる。若君を、昨日武士に捕られて候ふ也。御命をこひ受けて、御弟子になさせ給ひなんや」とて聖の御前に倒れ臥し、声も惜しまず、おめき叫ぶ。まことにせん方なげにぞ見たりける。聖も無惨に思ひて、事の子細を問ひ給ふ。やや有て起き上がり、涙を抑へて申けるは、
「小松の三位の中将、維盛の卿の北の方に、御したしうまします人の、若君を、養ひ參らせて候ひつるを、もし中将殿の公達とや、人の申して候ふやらん。昨日武士に捕られて候ふなりとぞ語りけり。聖、
「さて、その武士をば誰といふやらん」、
「北条の四郎時政とこそ、名乗り申し候ひつれ」聖、
出でさらば尋ねてみん」とて、つき出ぬ。めのとの女房この言葉を、頼むべき事はあらねども、昨日武士に捕られてよりこの方、余りに思ふばかりもなかりつるに、聖のかく宣へば、少し心をとり陳べて、急ぎ大覚寺へぞ參りける。母上、
「さて我御前(わごぜ)、身を投げに、出ぬるやらんとをも、いかなる淵川へも、身を投げはやなどと思ひたれば」とて、事の子細を問ひ給ふ。乳母の女房、聖の申されつるやうを、細々と語り申したりければ、
「哀れその聖の御坊の、この子をこひ受けて、今一度我に見せよかし」とて、嬉しさにも、ただ、尽きせぬものは涙なり。
その後、聖、六波羅に出でて、事の子細を問ひ給ふ。北条申されけるは、
「鎌倉殿の仰せには、『平家の子孫といはん人、汝においては、一人も漏らさず、尋ね出だして失ふべし。中にも小松の三位の中将、維盛の卿の子息、六代御前とて、年も少し大人しうまします。その上平家の嫡々也。故中の御門、新中納言成親の卿の娘の腹に有りと聞く。いかにもて取り奉て、失ひ參らせよ』と、仰をかうぶつて候間、末々の公達たちをば、せうせう捕り奉ては候へども、この若君の在所を、いづ
 
※故中の御門、新中納言成親 藤原 成親(ふじわら の なりちか)。平安時代末期の公卿。中納言・藤原家成の子。正二位・権大納言。新中納言は誤り。
 
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