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佐野厄除け大師に行くの巻き(パート1) 遠足 佐野市 厄除け 境町 利根川 坂東太郎 関宿 お城

2016年04月01日 | 旅行

今日は春休み中の孫二人の遠足も兼ねて佐野市にある

「佐野厄除け大師」へ3家族6人で行き、お参りしてきました。

4月に入った初日の今日は、おりしも咲き始めた桜の花や菜の花を

楽しめる道すがらとなりました。

車窓から眺められた、往路の写真を載せて振り返ります。

最初は、「道の駅さかい」のある猿島郡境町の利根川堤防です。

日本一の坂東太郎と称される利根川の左岸側(茨城県側)の

この辺りは境町になります。

対岸の右岸は、橋幸夫の1960年(昭和35年)デビュー曲 「潮来笠」

でも知られた関宿の宿です。

現在の関宿は、平成の合併による編入で千葉県野田市になっています。

この辺りは、江戸時代から高瀬舟の往来で江戸と物資の輸送の拠点でもあったようです。

利根川を下りますと、坂東市を経て常総市に至ります。

先日紹介しました、飯沼川も下流の坂東市と常総市の市境付近で

利根川に合流します。

境町のちょうど写真で紹介するあたりで、現在も観光渡し船の形で、

高瀬舟「さかい丸」 が運航されているようです。

堤防を下りたあたりで、観光渡し船の船着き場があります。

高瀬舟は江戸時代から大正時代まで江戸と茨城・栃木を結ぶ

水運のかなめであったようです。

ここ境町辺りから荷を積んだ高瀬舟が利根川を下り、ちょうど常総市のあたりで

対岸の野田市の運河に入り江戸川を通って江戸まで運んでいたようです。

高瀬舟については、関宿城の資料館には50分の1スケール

の模型の展示などがあるようですし、

境町のホームページには、観光高瀬舟の運行や歴史などが掲載されているようです。

 

対岸には、昔の関宿城を復元したお城が立っています。

このお城は郷土資料館になっていると記憶しています。

写真にもあるお城の方向は、ちょうど西側ですので

お城と夕日の撮影のスポットとして、また冬場の空気の澄んだ日には

富士山をバックにお城が撮れるベストショットスポットとして

アマチュアカメラマンがよく訪れているようです。

先ほどの潮来笠ですが、3番の歌詞に関宿の宿が出てまいります。

           潮来笠の歌詞

 佐伯孝夫 作詞
 吉田 正 作曲
 橋 幸夫 歌唱

1番の歌詞

潮来の伊太郎 ちょっと見なれば 薄情そうな 渡り鳥

それでいいのさ あの移り気な 風が吹くまま西東

なのにヨー  なぜに眼に浮く 潮来笠

2番の歌詞

田笠の紅緒が ちらつくようじゃ 振り分け荷物 重かろに

 わけは聞くなと 笑ってみせる 粋な単衣の腕まくり

 なのにヨー 後ろ髪引く 潮来笠

3番の歌詞

旅空夜空で いまさら知った 女の胸の底の底

ここは関宿 大利根川へ 人にかくして 流す花

だってヨー  あの娘川下 潮来笠

潮来笠についての解説めいたこと

潮来笠というのは、潮来の農家の女性が農作業のときにかぶる笠(田笠)のことです。

それを止めるのに赤い紐(紅緒)で結んでいるのです。

 潮来笠や紅緒が目に浮かぶというのは、

故郷の潮来に残してきた恋人のことを思い出すということです。

 渡世人としていきがって見せますが、やはり心残りがある。

だから利根川沿いの関宿で、その娘の居る下流の潮来に向かって川に花を流すのです。

このように、歌にも歌われていますように、ここから数八十キロメートル程川を下りますと、

潮来の町に流れていきます。 もう半世紀以上も前の歌ですが

この辺りの川の様子を如実に表しているのではないかと思いました。

 

 国道354号線を古河方面に向けて走っています。(車中から撮影)

これ以降の写真は、すべて走る社内からの撮影ですのでブレ等がありますが

ご容赦願います。

ここから少し右へ行ったところに「道の駅さかい」があります。

 

 

 堤防の菜の花が満開でとてもきれいです。

 

  観光高瀬舟 船着き場のちょっと手前です。

 

 これが左岸から見た対岸にある関宿城です。手前の黄色は堤防に咲く菜の花です。

 

 関宿城の堤防側には桜がよく咲いているのが見えます。

桜は、我が家付近では、咲き方が鈍いのですがここから佐野までの桜は、かなり咲いていました。

我が家のあたりは寒いのかななんて思ってしまいます。

 

 お城と桜というのもなかなかいいもんですね。(東北の弘前城公園が有名ですけどね!)

 

 

 

 菜の花 坂東太郎 桜の花 一番向こうに関宿城です。 (走る車の中の撮影には見えないでしょう?)

一番手前の草が流れているのでお分かり頂けると思います。

    なかなか風情があるなー と自己満足の世界です。

 

ここから日によって夕日が見えたり、富士山が見えたりするのですが、なかなか条件が合わないとだめです。

 

 船着き場付近ですが、ミニ公園のようになっています。 桜も植えられており花見をしている人もいました。

 (車内が写り込んでいますがお気になさらずに。)

 

この後、境を過ぎて古河に入り、渡良瀬遊水池の横を通って行きます。

 写真は渡良瀬川の三国橋を渡っているところです。先に見えるのは、新三国橋(アーチ型)です。

 

 ≪三国橋について文献からの抜粋≫

 国道354号が渡良瀬川を跨ぐ地点に架かっている。慢性的な交通渋滞緩和のために、下流に国道354号バイパスとして新三国橋が建設された。 なお、この橋が完成する遥か昔から、この地は渡良瀬川の渡河地点であった。万葉集には古河の渡しとして3首が詠われている。 初代の橋は現在の橋よりも上流の渡良瀬川と思川の合流地点付近(現在は茨城・栃木・埼玉の県境が交差する地点)に架けられた船橋(せんきょう)であった。下総国(茨城県)、下野国(栃木県)、武蔵国(埼玉県)の三国を跨ぐことから、三国橋と命名された。 その後1931年(昭和6年)7月7日に3代目となる橋が永久橋として架けられ、その橋の老朽化に伴い1968年(昭和43年)に4代目となる現在の橋が架設された。

 

 渡良瀬川の谷中湖側です。

 

 この辺りも堤防の菜の花が咲き誇りきれいですね!

 

 渡良瀬遊水池の谷中湖です。

 同じく谷中湖です。

 

三国橋から少し佐野方面に車を走らせると ≪道の駅きたかわべ≫ に着きます。   しばしトイレ休憩を・・・

 道の駅案内版

  道の駅周辺マップ

 

 

 道の駅出入り口付近

 

 

 

 旧谷中村があったところです。石碑が立っています。

この辺りは、むかし足尾銅山の鉱毒を除くために谷中湖が作られるため無理やり移転を余儀なくされた村があったところと聞いています。

映画にもなったところです。 停車しなかったので石碑は映っていません。

 

ここは谷中湖を過ぎて藤岡町あたりの上流側の渡良瀬川です。

 

 藤岡大橋下流の中州の菜の花もきれいでした。

 

 下流部河川敷

 

 

 渡良瀬川に架かる東武日光線の鉄橋です。

 

渡良瀬川藤岡大橋を過ぎて 河川敷にある桜堤です。 植えたばかりのころは、小さかった桜もこのように立派に咲いています。

 

この後、もう少し車を走らせ佐野市へと入って行きます。 

 続きの厄除け大師はパート2でアップしますので見てくださるとうれしいです。

 

それでは!

 

 

 

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