この世を去った玉城康四郎はいま、どうしているのだろうか。
玉城康四郎の著書を読んだ方なら、ご存知のように、玉城は輪廻の存在を肯定していた。
玉城の著書において、自身の死後においての長い長い仏道の道のりのスケジュールを示している。玉城の著書の読者はよく知っていると思われるが、念のため、以下に、それを記しておこう。
玉城康四郎『ダンマの顕現』
【…つまり共同体を統べることである。私はこのことこそ、『華厳経』全体の集約的に推進していくべき菩薩の営みであると確信した。
しかし、この世ではその目標にはありつけない。次の世もその次の世もなおむずかしかろう。学ぶべきことは山積みしているからである。社会科学、自然科学、そしてさまざまな人生経験を積まねばならなぬ。けれども、道の大本を体で明確に実証することだけは、この世で成し遂げなければならぬ。もしこれを三段跳びに譬えるなら、この世だけでなく、幾世も幾世も助走する。そして十分助走した揚げ句、ホップ・ステップ・ジャンプと跳ぶ、その跳躍がすなわち共同体の統治に入ることである。そしていかなることがあっても、道の大本からおのずから生まれてくるものでなければならない。この見解は、その後、年とともに深まり、今日では、これからの長い長い道程のスケジュールとなって定着している。】
私はある玉城康四郎を尊敬しているという仏教者から、次のような趣旨のことを聞いた。「玉城は既に、涅槃に入った。死後ということも、輪廻ということもないのだ」と。
私はそれを聞いて大変驚いた。どうして、そのような勝手な理解をするのだろうか、と。
自分の見解としていっているのなら、その意味としてわかる。しかし、玉城の考えを理解して、それを否定したうえで、自身の見解を述べているわけではなかった。私は、その方に、老婆心から、玉城は輪廻の存在を肯定しており、死後も仏道を歩むと考えていたことをやんわりと伝えておいた。こんなことをするのは、相手の面目を潰し、相手から憎まれて損なことは十分わかっているが、一応、言っておくのが筋であると思ってした。その後がどうであるかは私の知るところではない。それは自由であろう。
さて、以前のエントリーで紹介した、玉城のことばの【実際、われわれ凡愚のものは、ともかく死んでみなければ、死後の世界のあるのかないのか、皆目わかりません。】というように、われわれは死後、どうなるかはわからない。
ただ、われわれは如来の世界・浄土・涅槃を実際に体で実証することができる。
玉城の上記のことばの【道の大本を体で明確に実証することだけは、この世で成し遂げなければならぬ。】ことを玉城康四郎は最晩年、終地の禅定を実現した。
それは、慈悲喜捨の四無量心の放散、つまり、ダンマの放散である。これがブッダの禅定であると玉城が明言したことは玉城の著書の読者なら、周知のことであろう。
われわれは生きているあいだに、この体でブッダの禅定・終地の禅定を実現できる。玉城はそれを実現したし、ブッダがいうように、誰でも実現できるものと力説した。
われわれにも、当然、できるのである。
それは特別なことではない。
聖人や立派な宗教者になることを意味しない。
なぜなら、終地の実態とは、その人のままであるからである。
その人のままに、如来と二人連れとなって、仏道を歩んでいく。これが玉城康四郎が示した仏道である。これを一仏乗といったのである。本来は仏乗しかないのである。
死後の玉城は、仏乗の乗って、仏道を歩まれていることだろう。浄土においてか、穢土においてかはわからないが。
ダンマによる共同体の統治を目指して、幾世も幾世もかけて、学び続けていくのだろう。
玉城はしっかりと発心している。
終地の実現を目指すことが発心であるということを平気で説く人たちに多く出会ったことがあるので、どうしてそう考えるのか、いつも驚かされるわけだが、上記を見てみれば、彼らのその考えはまったくデタラメなことであるといえる。
大乗を壊すもので許しがたい極悪行為である。大乗経典の主張する立場からすればだが。
どう考えるかはいうまでもなく、本人の自由であるから、そう考えたい人は勝手にしなさいというしかない。
私は仏乗に則る立場であるので、今後も、他の人たちに仏乗に則ることを勧める。
ぜひとも、他の皆さんにも、より多くの人たちに、発心だけはしてもらいたい。
発心し、終地は仏道の基本にすぎないと思って、その実現のために、日々の勤行によって、如来を体感することを深めてもらいたい。
ご存知のように、玉城康四郎は、自身に合った行道を気長に実践すれば、必ず、確定した境地に達することができると著書のなかで述べている。
発心と行道の実践はきわめて大事である。
この二つは必ず具えていきましょう!
玉城康四郎の著書を読んだ方なら、ご存知のように、玉城は輪廻の存在を肯定していた。
玉城の著書において、自身の死後においての長い長い仏道の道のりのスケジュールを示している。玉城の著書の読者はよく知っていると思われるが、念のため、以下に、それを記しておこう。
玉城康四郎『ダンマの顕現』
【…つまり共同体を統べることである。私はこのことこそ、『華厳経』全体の集約的に推進していくべき菩薩の営みであると確信した。
しかし、この世ではその目標にはありつけない。次の世もその次の世もなおむずかしかろう。学ぶべきことは山積みしているからである。社会科学、自然科学、そしてさまざまな人生経験を積まねばならなぬ。けれども、道の大本を体で明確に実証することだけは、この世で成し遂げなければならぬ。もしこれを三段跳びに譬えるなら、この世だけでなく、幾世も幾世も助走する。そして十分助走した揚げ句、ホップ・ステップ・ジャンプと跳ぶ、その跳躍がすなわち共同体の統治に入ることである。そしていかなることがあっても、道の大本からおのずから生まれてくるものでなければならない。この見解は、その後、年とともに深まり、今日では、これからの長い長い道程のスケジュールとなって定着している。】
私はある玉城康四郎を尊敬しているという仏教者から、次のような趣旨のことを聞いた。「玉城は既に、涅槃に入った。死後ということも、輪廻ということもないのだ」と。
私はそれを聞いて大変驚いた。どうして、そのような勝手な理解をするのだろうか、と。
自分の見解としていっているのなら、その意味としてわかる。しかし、玉城の考えを理解して、それを否定したうえで、自身の見解を述べているわけではなかった。私は、その方に、老婆心から、玉城は輪廻の存在を肯定しており、死後も仏道を歩むと考えていたことをやんわりと伝えておいた。こんなことをするのは、相手の面目を潰し、相手から憎まれて損なことは十分わかっているが、一応、言っておくのが筋であると思ってした。その後がどうであるかは私の知るところではない。それは自由であろう。
さて、以前のエントリーで紹介した、玉城のことばの【実際、われわれ凡愚のものは、ともかく死んでみなければ、死後の世界のあるのかないのか、皆目わかりません。】というように、われわれは死後、どうなるかはわからない。
ただ、われわれは如来の世界・浄土・涅槃を実際に体で実証することができる。
玉城の上記のことばの【道の大本を体で明確に実証することだけは、この世で成し遂げなければならぬ。】ことを玉城康四郎は最晩年、終地の禅定を実現した。
それは、慈悲喜捨の四無量心の放散、つまり、ダンマの放散である。これがブッダの禅定であると玉城が明言したことは玉城の著書の読者なら、周知のことであろう。
われわれは生きているあいだに、この体でブッダの禅定・終地の禅定を実現できる。玉城はそれを実現したし、ブッダがいうように、誰でも実現できるものと力説した。
われわれにも、当然、できるのである。
それは特別なことではない。
聖人や立派な宗教者になることを意味しない。
なぜなら、終地の実態とは、その人のままであるからである。
その人のままに、如来と二人連れとなって、仏道を歩んでいく。これが玉城康四郎が示した仏道である。これを一仏乗といったのである。本来は仏乗しかないのである。
死後の玉城は、仏乗の乗って、仏道を歩まれていることだろう。浄土においてか、穢土においてかはわからないが。
ダンマによる共同体の統治を目指して、幾世も幾世もかけて、学び続けていくのだろう。
玉城はしっかりと発心している。
終地の実現を目指すことが発心であるということを平気で説く人たちに多く出会ったことがあるので、どうしてそう考えるのか、いつも驚かされるわけだが、上記を見てみれば、彼らのその考えはまったくデタラメなことであるといえる。
大乗を壊すもので許しがたい極悪行為である。大乗経典の主張する立場からすればだが。
どう考えるかはいうまでもなく、本人の自由であるから、そう考えたい人は勝手にしなさいというしかない。
私は仏乗に則る立場であるので、今後も、他の人たちに仏乗に則ることを勧める。
ぜひとも、他の皆さんにも、より多くの人たちに、発心だけはしてもらいたい。
発心し、終地は仏道の基本にすぎないと思って、その実現のために、日々の勤行によって、如来を体感することを深めてもらいたい。
ご存知のように、玉城康四郎は、自身に合った行道を気長に実践すれば、必ず、確定した境地に達することができると著書のなかで述べている。
発心と行道の実践はきわめて大事である。
この二つは必ず具えていきましょう!