それで「墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた」(マルコ16:5)
女性たちは墓に入りました。香料を塗ろうというためではありながら、恐ろしくなかったのでしょうか。遺体に対する感覚というのは、当時こうした女性たちにとって、どうだったのでしょうか。
三人は、墓の中に入ったらしいことが記述されています。大きな穴であることが推測されます。ヨセフの身分に見合うものなのでしょうか。
そこに見たものは、若者の姿でした。白い衣は、後に黙示録でも、清い聖徒たちの姿を暗示していますが、さしあたり、御使いであることを示唆するものでしょう。また、それは亜麻布のような高級な生地であったことが予想されます。御使い、つまり天使としては、地上の亜麻布そのものであったと呼ぶのは勇気が必要ですが、イエスを包んだ生地もまさにそれでした。
そして、逮捕のときに、亜麻布を捨てて走って逃げた者へと連想が走ります。あの若者は何だったのでしょう。まさか、この天使ではなかったのでしょうか。人々が捕らえようとすると、裸で逃げたという若者。たんにマルコ自身を登場させたとするには、あまりに唐突で、また無意味なことのように思えてなりません。いくら世界最初の福音書であるが故に、飛び込ませる方法にこの時点でルールがあるわけではないにしても、他の様々な記述において、かなり念入りな記事の並べ方を展開してきたマルコが、不自然な若者の逃走をわざわざ記入したのは、どうしてなのでしょう。
女性たちは墓に入りました。香料を塗ろうというためではありながら、恐ろしくなかったのでしょうか。遺体に対する感覚というのは、当時こうした女性たちにとって、どうだったのでしょうか。
三人は、墓の中に入ったらしいことが記述されています。大きな穴であることが推測されます。ヨセフの身分に見合うものなのでしょうか。
そこに見たものは、若者の姿でした。白い衣は、後に黙示録でも、清い聖徒たちの姿を暗示していますが、さしあたり、御使いであることを示唆するものでしょう。また、それは亜麻布のような高級な生地であったことが予想されます。御使い、つまり天使としては、地上の亜麻布そのものであったと呼ぶのは勇気が必要ですが、イエスを包んだ生地もまさにそれでした。
そして、逮捕のときに、亜麻布を捨てて走って逃げた者へと連想が走ります。あの若者は何だったのでしょう。まさか、この天使ではなかったのでしょうか。人々が捕らえようとすると、裸で逃げたという若者。たんにマルコ自身を登場させたとするには、あまりに唐突で、また無意味なことのように思えてなりません。いくら世界最初の福音書であるが故に、飛び込ませる方法にこの時点でルールがあるわけではないにしても、他の様々な記述において、かなり念入りな記事の並べ方を展開してきたマルコが、不自然な若者の逃走をわざわざ記入したのは、どうしてなのでしょう。