ビジネスと法律

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質問:何故アメリカ型の社会を目指すの? (教えて!goo)

2006年01月09日 | 政治
 みなさん、どう思われますか? 
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1879413


私はアメリカの追随をする必要はまったくないと思います。日本とアメリカでは、地理、歴史、文化、習慣が異なるのにそれを無視した政策が強行されています。明らかに、“米国に占領された日本”です。
 規制を緩和すべき点は緩和し、逆に、規制を強化すべき点は強化すべきなのに、アメリカ政府に影響力を持つ業界や企業の意向を反映して、日本の政策が決められています。

 (参考)
 関岡秀之『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』(文春新書、平成16年4月20日発行)
http://www.bunshun.co.jp/book_db/html/6/60/37/4166603760.shtml

歴史を考える際に

2006年01月09日 | セックス
 えらいたいそうなタイトルですが、決して、私が歴史に精通しているから書き込むのではなく、私なりの考えをまとめてみたいからです。

 私は、これまで、出雲王朝、九州王朝、大和王朝というような事を申し上げてきたので、“天下人”に興味を持っていると思われがちですが、決してそのようなことはありません。あくまで歴史を学ぶ理由は、“良き人生を送るため”のものと考えています。ですから、現在の私の生活や関心が、「歴史を考える際に」重要な事柄です。

 私は、私を含めた人間にとって最も重要なことは、「食べること」(食事)と「エッチすること」(セックス)だと思います(笑)。ですから、食事とセックスの記述を欠いた歴史は、“砂上の楼閣”とまでは言いませんが、“不安定”であると考えています。そして、前者と後者に係る文献について比較すると、後者は前者に比して、少ないことは否めないでしょう。ですから、ここでは、セックスを中心にして記述します。

 人種や民族間において、“食事とベッド”を伴にしない関係には、融和はあり得ません。アメリカ社会を観ても理解できるように、黒人(男性)と白人(女性)のカップル(性を逆にしても)をほとんど見たことはありません。もちろん、テレビや映画の世界だけですが、私がハワイに行った時、いかにも阿婆擦れな白人女性と“セックスマシン”を思わせる黒人男性とがオープンカーに同乗していたカップルを一組見ただけです。

 次に書き込むことは、現在、いかなる文献にも記述されていないでしょうが、私の推測では、白人特にアングロ・サクソン系の一部の人たちにとって、白人が黒人とセックスをすることは、道徳に反し、おぞましい行為である・・・犬や馬とのセックス・・・と内心では考えているのではないでしょうか? そのことから考えても、現在のアメリカ社会における黒人差別の厳しさを理解できると思います。そして、これを書き込みながら、シドニー・ポワチエ主演の『招かれざる客』(1968年4月初公開)を思い出し、60年代によくこんな作品を制作したものだと改めて感心しました。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=22317

 さらに映画に関して言えば、子供がレンタルビデオ屋から借りた『ホーンテッドマンション』をいっしょに観ましたが、笑ってしまいました。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0001A7D04/503-8677794-9695922

黒人の不動産屋(エディ・マーフィ)が、豪邸に住む白人男性(亡霊)宅の執事から屋敷の売却のことで、屋敷に出向くよう連絡があったのです。アメリカで白人地域を営業エリアする黒人不動産業者はいるのでしょうか? 私はアメリカで暮らした経験はありませんし、その方面の知識はないのですが、非常に少ないのではないのでしょうか。アメリカでは、大金持ちの白人は、黒人と住む地域を区別しているはずだからです。さらに、あり得ない話ですが、その亡霊は、マーフィの妻(黒人)を亡くなった恋人(白人)と誤解するのです。こんな話はあり得ないところに、この映画の目的が、人種融和を目指していることがはっきりと理解できます。

 一方、私たち日本人にとっても、韓国や中国との政治的関係には困難な問題があり、中韓国に対して、庶民レベルにおいても嫌悪感が高まっています。しかし、一方で、日韓、日中間で多くの婚姻関係が結ばれていることから考えて、庶民レベルでの融和は着実に進行していると推測して、誤りはないと思います。

 私のように半世紀近く生きてきた者からすれば、「チョンコロ」、「チョーセンジン」、「チャンコロ」と侮蔑をもって呼ばれていた人たちとの間に、今日、多くの婚姻関係が結ばれていることには、隔世の感があります。また、黒人に対しても、「クロンボ」、「あいの子」と蔑んでいたのがウソのようです。このように人間の意識は変化します。変化するということは、性の嗜好とは、先天的な要素ではなく後天的な要素であるといえるでしょう。性の嗜好は、ご自身で考えておられるほどに、強固で固定的なものではなく、極めて流動的なものと言えるのではないでしょうか。

21世紀に生き残る日本の選択  (湯浅赳男執筆)

2006年01月09日 | 政治
 すべての日本人の方に読んでいただきたいと思い、経済人類学者の湯浅赳男著『世界地図で読む五大国の興亡 時代を読む鍵 大国興亡の原理を探る』(日芸新書、平成13年12月20日発行、現在は絶版です。)の「はじめにー21世紀に生き残る日本の選択」を次に転記します
http://www.bk1.co.jp/product/2107400

 日本人の人口が減少して、わが国の行く末を憂慮されている方も多いでしょうが、私はまったくそのことについては心配していません。もちろん、人口減少に伴う経済活動の停滞が様々な分野に悪影響を及ぼすことは、私にも理解できます。
 しかし、民族にとって、もっとも大切なことは、言語です。言語を失った民族は、“民族”と呼ぶことはできないのです。ですから、離散していたユダヤ人は、イスラエル建国以前にヘブライ語を復活しました。この事実を考えていただければ、ご理解していただけると思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E8%AA%9E


 この日本列島に1億2千万人を養う面積と資源はありません。現在の食料自給率、エネルギー自給率をいくら高めても、素人判断でも不可能と言えるでしょう。現在それが維持できているのは、パクス・アメリカーナの下で、多くの先人の努力によって、日本の工業製品に国際競争力があるだけのことだと思うのです。
http://www.slowtown.jp/slow-town/sengen.html

 ですから、日本と日本民族を憂えるならば、日本語を世界に普及すればいいのです。モンゴルやカンボジア等に日本語教師を派遣し、書籍を寄贈し、相互の経済交流を活発化すればいいだけのことです。わが国の財政力からすれば、そのようなことは容易なことでしょう。ところで、マイナーな書籍になりますが、最近に刊行されたものとして、水戸地裁判事の岡口基一著『要件事実マニュアル 上・下巻』(ぎょうせい、平成17年12月10日発行)を日本の小説、自然科学書、社会科学書、訳書等に含めて配布すればよいのです。同書については、本題から外れますが、日本における裁判実務の水準を示したものと思われます。
http://www.gyosei.co.jp/shinkan/search.cgi?BOOKNUM=2&VAL=Data/sin012.txt


 「はじめにー21世紀に生き残る日本の選択

 21世紀は大激動の時代である、と言いかけたら、同時テロが始まった。
 人類はこれから大変な時代をくぐらなけらばならない。9月11日の事件はその第一発にほかならない。これからさまざまな事件がおこるだろう。それをあえて整理すると、文明間の対立と国家間の対立の二つに由来するものとなろう。世界には近代文明の物質的=技術的側面は受け入れながらも、精神的=心情的側面では嫌っている文明がいくつもある。いま立ちあがっているのがイスラームだが、彼らの国益の立場から世界的全面戦争に発展するのがからくも抑えられている。しかも、近代=欧米文化にいつかは挑戦して、世界大国になろうと、いまはアメリカに頭をさげて、技術やドルを吸収している国がある。それが内心では中華思想を頑として抱いている中国である。この国には不法入国をたれ流す巨大な人口という武器がある。

 近代文明、その覇権国アメリカと世界制覇の夢を胸に今は金儲けに徹している中国の国に挟まれているのは日本である。日本は21世紀にこの米中ニ大国に翻弄されるだろう。この中で日本は近代=欧米文明を同盟軍とすべきで、絶対に中国と同盟してアメリカに対抗しようとしてはならない。日本に対する米中同盟がもう一度成立したとき、日本は滅亡の淵に落とされることは本書が歴史的に明らかにしたことだ。同文同種といった甘言に絶対にのせられてはいけない。

 もちろん、欧米も親切心で日本と同盟するのではない。もっと野心的な敵と対抗するために日本を利用しているだけだ。日本が浮かれて1980年代のバブルのような思い上った態度をとれば、ストンと落とされて、身ぐるみはがされることだろう。それがグローバル化した国際経済の苛烈さである。とりわけ21世紀は人類が100億を突破するのである。この凄まじい人口爆発は国際関係の最深部にあって、世界を動かしているマグマである。それはまだ見えにくい。しかし、眼に見えるようになった時には、現実に断末魔の状況に落ち込んでいるのである。

 日本は22世紀まで生き残りたかったら、この未来をしかと見抜き、対策を準備しておかなければならない。短期的のみならず長期的な危機管理が必要である。人類を取りまく環境も人類内部の対立関係もいずれも容易ならぬものがある。現実はきびしいのである。絶対平和主義の呪文をとなえれば人類に平和がやってくるわけではない。天使と悪魔の間に張られた一本の紐である人間は現実から眼をそむけ、呪文をとなえるのではなく、苛烈な現実を的確に見つめなければならない。本書がそのためのヒントとなるならば、著者としての喜びこれにすぐるものはない。

 2001年10月31日                          
                                 湯浅赳男」