ハッピーライフ!

2度と戻らない日々の記録と記憶。

City Lights

2006年01月31日 | 異国の旅

、何故かここんとこ急に馴れ馴れしい口調というか文体になっていたけれど、長い様で短かった旅も終わりです。

 最後の夜は、Grand Hyattの最上階のバーで夜景を眺めながらです。

 このバーもそうですが、この街で美味しいモノを食べたり、ちょっとスカしたデートをするには良いお店とか、その辺について触れる間もなく、日本への帰路につく事になりました。

 5年前に米国企業の現地採用で米国本社の社員として、ネットバブル最中のある会社に勤めていた時に連れて来てもらった、ちょっと奥まった穴場のレストラン、場所が判らなかったのが、今回は夜道でナンパ、いや道を尋ねた美しいベトナム系の女性のお陰で再発見できました。

 その他にも、以前このblogでも触れた美味しいレストランに行って、入れなかったり(笑)とか、色々あったので、その辺について触れられなかったのが残念。



 ネタが無い日に、気が向いたら触れてみるかもしれません。
では、ここまで、僕のアメリカ日記にお付き合い頂いた皆さん、どうもありがとうございます。

 また、明日からは日本での暮らしが再会する予定です。

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旅の終わりに

2006年01月30日 | 異国の旅

久しぶり。

 今回、たしか仕事で訪れた旅ではあったんだけど、自由に遊び回る時間を持つ事もできて、気分をリフレッシュすると同時に、色々と考え事をする良い機会でもあったんだ。

 感謝しないとね。

 街を縦断・横断・斜断して、この日はホント5時間以上歩いたかな?
最後は美味しい和食屋で、スパイダーロールとかドラゴンロールとかレインボーロールとか、ロックンロールとか日本じゃ食べられない美味しいお寿司を食べたんだよ。

 知らない人が聞くと想像つかないメニューだね。なので写真をupするね。

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かもめの○○さん

2006年01月29日 | 異国の旅

もめぇ~の水兵さん♪、を思い浮かべたのかな?

 僕は、寄り添う2羽のカモメを見ながら、ティーネイジャーの頃に読んだ『かもめのジョナサン』を想い出していたんだ。(このアイテムの詳細をみる)いや、確かに孤高のカモメが1羽の図の方が、この本のイメージには近いのかもしれないけど。随分長い年月が経ったんだなぁ、って思ってさ。

 ここには、1枚しか載せなかったけど、今回カモメの写真をいっぱい撮る事が出来たんだ。

すご~く近くで。

今ね、僕のPCの壁紙にしてあるんで、仕事中もつい、見とれてしまうんだよ。



<madam.Mさん>
(壁紙のカモメを追加しました)



<かえでさん>
(カモメの表情が判る様トリミングしてみました)


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Cruisin'

2006年01月28日 | 異国の旅

気が、良いので、クルージングしてみた。

 先日拭い切れなかった疑惑(=カリフォルニア州観光局が、霧の名所と謳うために、密かにGolden Gate Bridgeの下でスモークを焚いているのではないか?)を確認するために・・・


 日差しは、肌を焦がすほど強烈なのであるが、デッキで直撃を受ける潮風は相当に冷たく、風邪っぴきがそう何時間も身体を預けて良いものではない、よな?俺。とか言いながらも、ビュービュー吹かれまくっていた。この風速じゃ、ボブ・ディランのいうところの『答え』もどこかへ吹き飛ばされてしまうだろう。

 鴎が、ずっと僕らを追って来る。全然恐れずに懐いて来る感じで、徐々に愛着を覚える。


 Golden Gate Bridgeの下を潜るが、発煙筒のような装置は発見できず。当たり前か

 その後、『アルカトラズからの脱出』、『ザ・ロック』などの舞台となった、監獄島の、普段は見えないSan Franciscoの反対側に回りこんでみる。屋根の落ちた廃墟などが見える。

 抜けるような青い空を見ていたら、このままこっちに住もうかなぁ・・・?などという妄想も浮かんでくる。



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よっ、3代目!

2006年01月27日 | 異国の旅

Rock好きのあなた、お待たせしました!

下らん長文ばかり書きやがって、貴様ロックはどうしたぁぁぁっ!!!
と思っていたあなた、さすがに今回、フィルモアまで行く余裕はありませんでしたが、それなりに見つけました。

<微笑む3代目>


和食を食べに遠征した後、劇場が連なる界隈を歩いていたら、途中から画廊街に変わったのです。

ふと覗き込むと、おぉぉぉぉぉ!という写真や絵が満載のお店に遭遇。

で、元ジェフベックグループのベーシスト、とか、元フェイシズのギタリスト、とかいうと怒られてしまうのであろう、あのバンドの3代目ギタリスト氏の個展をやっていました。

そう、ロンですよロン!その昔、中曽根首相(当時)と、ロンヤス外交とかやってましたよね?えっ違う?

3代目、絵がお上手で、自分のソロアルバムのジャケットをはじめ、様々なアートワークでも才能を発揮されてますが、彼が描いた、例の双子の絵とか展示してありました。

3代目といっても、三代目魚武濱田成夫じゃありません。古い。明らかに寝不足でハイになってるね、俺?

判る人には判る、判んない人にはどうでもいいネタでした。

以上!

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China Town

2006年01月26日 | 異国の旅

メリカ最大のチャイナタウン、と言われている一帯がこの街にはある。
僕が初めてここのチャイナタウンを訪れたのは、今から丁度20年前の今頃だった。地震の前。目に鮮やかな色使いと、飛び交う中国語と発せられる活気が、初めての海外旅行だった10代の僕に強烈な印象を与えたのを覚えている。

  新しい千年紀となってからでも、既にこの街を訪れるのは6度目か7度目か。そこで感じるのは、チャイナタウンの勢いが無くなってきているということ。建物は老朽化しているし、閉まっている店も増えた気がする。

 前回来た時に、丸一日サンフランシスコを案内してくれた女性がいる。名前をAngelaという。前の会社の同僚。僕のいた部署は、日本人が一人で、それ以外は皆英語が母国語のメンバーだったので、本社で会議があったりすると、スラングや、色々なオペレーションに不慣れな僕に何かと親切にしてくれた。ここの中華街で育った、中国系アメリカ人。祖父母の代にこちらに渡って来たのだそうだ。

 彼女によると、西に数キロ行ったところに新しいチャイナタウンが形成されてきて、新たな中国人の拠点となってきているという。言葉も(旧)チャイナタウンが広東州出身者が多く広東語だったのに対し、新チャイナタウンは香港や台湾からの移民も多く北京語が中心となってきている、なんて話をした。

 同僚の頃は仕事の話ばかりだった彼女と、前回デートした時はもう別々の会社になった後だったので、色々なプライベートの話をしたことなんかを思い出した。結婚観とか、離婚した親を持つ子供の気持ちとか。

 いかん、これ以上一緒にいたら惚れちゃうな、というところでフィルモア地区のイタリアンレストランを後にしたのだった。ホテルまで送ってもらい、ロビーでハグした時、とても複雑な気持ちがした。もう会うこともないのかな?と思って。


『私、婚約したの。今日あなたを連れて行った教会で8月に式をあげるのよ』


と、言っていたから。



 今回、チャイナタウンには3回行った。
密かにあるモノをオーダーメイドしたので。。。それが何かはヒミツ。
その後日本のオジサンたちとこのチャイナタウンのお店で晩御飯を食べたのだが、随分と空疎な会話に終止したので、一人思い出の世界に浸ってしまった。そのせいか、この文もほとんど思い出話になってしまった。。。

 チャイナタウンで美味しいお店を数件押さえてはいるのだが、美味しい、子汚いお店ほど、カードが使えなかったりするので要注意!

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"Tide Table" @SFMOMA

2006年01月25日 | 異国の旅

MOMA(The Museum of Modern Art~近代美術館)というとNYを連想される方も多いと思う。しかし、実際にはサンフランシスコにも、MOMAがある。通称SFMOMA

僕の滞在先からは、ほんの目と鼻の先。部屋からも良く見える

よく晴れたある日、一人でそこを訪れてみた。
そこで近年稀に見る感動との出会いがあった!

確かに、久々に観る、大好きなダリやマグリットの肉筆、或いは、ウォーホルのリズ(・テイラー)や、余りにも有名なジャスパージョーンズのFLAGという作品を観れた感激はあった。

『うぁー本物だぁ!へーこぉなってんだ?』

って感じの、オドロキ。

しかし、この日僕の心を鷲掴みにしたのは、最上階にある巨大なマイコー・ジャクスン&愛猿バブルスの陶器、、、

ではなかった。(いや、正直これにはずっこけた。意味わからん。実物大より二回りでかいのだ)


最上階の一番奥のスペースで、ひっそりと上映されていた、南アフリカ出身のアーティストWilliam Kentridgeの2003年に製作されたTide Tableという作品。

どういう技法で製作されているのかは判らないが、一見した印象は、木炭とパステルで作られたアニメーション。重ねないでどんどん別々の紙に描き変えてるのかな?一つ一つの描線は正確で、少ないタッチで確実な物の形や、人物の表情を細かに描写している。僕が観た環境だと色はネイビーと白のモノトーンに近い。

物憂げなアフリカの民族音楽の不思議な旋律に合わせてストーリーが展開される7~8分程度の作品。台詞は一切無い。

身なりの良い白人男性が、穏やかに寄せる波打ち際にデッキチェアを置きゆっくりと経済紙を読んでいる。そこで彼がまどろむ様に見える。あるいは寝てしまって、この先は夢なのかもしれない・・・



白人の少年が、砂浜で砂の城を作っている。或いは、海に向かって小石を投げて水切りをしている。それを黒人の女性が見つめている。

黒人の群集が洗礼の儀式?を行っている。黒い牡牛が波打ち際の中からすぅっと現れてくる。何かのメタファーか?

傍の建物、ホテルか、のバルコニーから様子をうかがうデッキチェアいた男。



黒い牡牛が、小屋の中に入っている。天井からシャワーのようなものを浴び、みるみる満たされていく水で、牡牛は頭を残して水没してしまう。

水が引くのと同時に牛は、溶けて白骨化してしまう。

労働者がぎゅうぎゅう詰めに横たわる宿泊所、あるいは死期を待つ末期患者の病棟にも見える部屋。皆黒人に見える。ベッドの上から息も絶え絶えの男の顔が映り、次の瞬間には、彼が消えたベッドの窪みが映される。

波打ち際に遺骸を抱えて立つ男。やがて波が洗うと、手にしていた遺骸は水中に屠られてもう手元からは消えている。



波打ち際のデッキチェアで眠る男。女性が、彼の手を優しく撫でる。
彼が抱えている新聞紙が風に煽られはためき、やがて一枚、また一枚とゆっくりと飛んでいく。とても印象的な情景。
彼女が裸足で波打ち際を歩く、その歩に合わせて、その新聞の一枚一枚が、ゆっくりと足下に落ちていく。まるで赤絨毯を転がすように。

少年が、海に向かって水切りをしている。起き上がったデッキチェアの男も同じように水切りをする。フォームが酷似している。

或いは、少年は夢の中で彼が回想していた少年時代の彼自身の姿だったのかもしれない。。。

僕は今回までこの、William Kentridgeという作家を知らなかった。しかし、彼のバイオを見てみると、南アフリカで生まれ育った白人の感じるアパルトヘイトへの思い、経済的略奪と、人権的略奪、死と隣り合わせで歴史を重ねてきた黒人達へのオマージュとも取れる作品が多いようである。

株式チャートが掲載された新聞紙を歩く黒人女性の足取りは彼女の人生の歩みの象徴なのかもしれない。それが、水切りをする少年時代と、スーツに身を包む原題のこの男性をも繋ぐ時間の軸なのか?

独特のタッチと、音楽に、思わず続けて観てしまった。

調べてみると、DVDも無いようであるし、時々世界中のどこかの美術館を廻っているようである。この文を読んでみてご興味を持った方は、機会があれば、是非観て頂きたい。

福田和也は、「作家の値打ち」で、純文学とエンターテインメントの違いについて、純文学とは、読んだものを何か不安で不快な思いにさせるもの、と書いていた(表現は忘れたが)。先日訪れた岡本太郎美術館で見かけた太郎の言葉にも、芸術が美しいはずは無く、不気味なものである、と言う主旨の言葉があった。


このショートフィルムを見て、久々に、何と表現して良いのかわからないけど、ハートが揺さぶられるような、切ない、懐かしい、苦しい、でも安らぐ、そんな矛盾した感覚に支配された。

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【7】 OPUS ONE

2006年01月24日 | 異国の旅

後に訪れたのは、"究極の"と言う人もいるOPUS ONE [ オーパスワン]オフィシャルサイト)である。
1970年にハワイで出会った、ロスチャイルドの末裔Philippe De RothchildがRobert Mondaviにジョイントベンチャーをやらないか?と持ちかけた事で、その歴史が始まったのは周知の通り。
 Opus One、作品番号1番、ということか?ちなみにラテン語のOpusの複数形がOperaであることは、音楽好きの方ならご存知か。

Opus Oneのワイナリが、Robert Mondavi Wineyardのそばにあることは地図を見て判っていたのだが、運転しながらもそれらしきものを見つけることができず、そのまま帰ろうとしていた。

  南下しながら、路の左手の300mくらいさきであろうか、不思議な建造物が見えた。
実は、行きにも見えていたのだが、最先端の科学研究所、あるいは宗教団体の建造物に見えるもので、特に気にも留めなかったのである。

 同乗者がふと、 『あれは何だろう?』というので、ややスピードを落とし入り口の門柱の文字に目をやると、”OPUS ONE”とだけ彫られていた。本当に素っ気ないくらいに。余計な装飾を一切削ぎ落としたかのような佇まい。

 門から一直線に延びる先には、古墳にも、着陸したUFOにも見える物体。
車を停め、近づくと、近代的な美術館かと見まがう建物。入り口を入ると、受付の机とあとは何も無い殺風景なエントランスホール。吹き抜けの天井はガラス張りのドーム状の天窓。これが遠くから見えたUFOの正体であった。

 ホールから地下に向かって美しい螺旋階段が降りているのだが、下りれないように『立ち入り禁止』のサインがある。


 受付の、アランミクリの眼鏡をかけた中年男性が慇懃な口調で話す。

「遠くから来られたのですか?大変申し訳ないですが、当ワイナリはツアー予約されたお客様についてのみ、施設の隅々までをご案内させて頂いているのです。(と、カードを差し出しながら)次回来られる事がありましたら、その2ヶ月前までに、こちらのWEBサイトからお申込下さい。」

  2ヶ月待ち!さすが、究極である。対応も究極なら、混み具合も究極である(笑)
だって、世界的に知られたNapaではあるが、NYやLAのダウンタウンという訳ではない。100歩譲ってSFですらない。そこからフリーウェイをすっ飛ばしても1時間半かかる、畑しかないド田舎である。

 仕方ないので、地下その他は諦め、ホールの左手にあるキレイなサロンを横目に、屋上に登る。階段で何人かの男女とすれ違うが、誰もがグラスを片手にとても幸せそうに笑い・話している。

 屋上に昇り、思わずその景色に息を呑んだ。(扉の写真)

 美しい。 ちょっと涙が出そうになる。。。出ないけど(笑)

 美しい景色に、美味しいワイン、そりゃみんな幸せそうな顔して酔っ払ってるわけだ。
しばらく、そこで過ごし、1階におり、外の回廊づたいに試飲用のshopへと行く。

 Beringerで3杯$5、Niebaum-Coppolaで3杯$15だった試飲が、ここでは、1杯$25!きゅ、究極ぢゃん(笑)
 でも、飲んで納得。圧倒的に美味しい。何だこれ?って感じ。
ここで飲んだワインのボトルのお値段は3種類、(うろ覚えだが)、$160、$450、$600だったかな?

 当然、ここでは買わずに、ワイナリを後にした。
どうしても、地下に捕獲した宇宙人がいるのでは、という疑念を払拭できぬまま。
その後、サンフランシスコを目指した僕の車を上空から銀色の物体が観察していたという噂は、、、無かった。

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【6】 Niebaum-Coppola

2006年01月24日 | 異国の旅

い加減に、ワイナリネタは飽きたぁ!、という方々もいらっしゃるかもしれないが、あと2つほどお付き合い頂きたい。

 この日4番目に訪れたのは、Niebaum-Coppola [ ニーバウム コッポラ]オフィシャルサイト)である。詳しくは、公式サイトをご参照頂きたいが、アラスカの毛皮取引で若くして財を成したGustave Niebaumが引退後1880年に$48,000で買った78エーカーの土地で始めたワイナリがその始まりである。

  途中は割愛するが、色々あって(おいおい)1975年、世界的な成功を収めていた、井筒和幸監督がここを訪れ、いや間違った、Francis Ford Coppolaが訪れた。自分の祖父母がやっていたように、自分のサマーハウスで細々とワイン作りをしてみたい、という思いを抱えて。
 周囲の自然と、創業者グスタフにまつわる話~別のビジネスでの成功~移民の子孫~ワインへの愛情~に自分との共通点を見出し、非常に興味を持ったようである。

  古城のような建物に圧倒される。実際には自動車の道から折れて敷地へと入るとそのエントランスへとつづく路の両脇に木が整然と並び美しい。

  一階の入り口を入ると、吹き抜けのホールとなっており、美しい階段が正面から2階へと誘う。
一回の右手には、映画の仕組みを説明するちょっとした機械仕掛けのスコープが、パラパラ漫画の様な動きをしている。

  そのまま、一階は左右に、アーチ型の廊下でいくつかの部屋が繋がれている。ワイン樽がならぶ部屋、ダイニングセットがディスプレイされている部屋(中で笑いながらテイスティんグしている人がいたので、VIP用なのか?)、テイスティング用のカウンターがある部屋、土産物売り場等々がある。



 Beringerでは$5だったテイスティングが、ここでは3杯$15。前回は、テイスティングで使用したロゴ入りのグラスを、飲み終わると包んでくれてそのままお土産に持ち帰れたのだが、いつの間にかそのサーヴィスはなくなってしまったようだ。


 先ほどの玄関ホールに戻り、2回へ続くT字型の階段を昇る。正面には、当ワイナリの紋章がそのままステンドグラスになっている。僕が訪れたこの時刻(14:30)、太陽が西に傾き、丁度このステンドグラスの向こう側から照りつけており、階段を七色に染めており、とても美しかった。



 2階は、オーナー、Francis Ford Coppolaの映画記念館になっている。

映画 タッカーで使用した自動車、ペギースーの結婚で使用した巨大なマティーニグラス、ドラキュラ (【原題】BRAM STOKER'S DRACULA )の衣装、ゴッド・ファーザーPartIIの机、地獄の黙示録の絵コンテなどとともに、オスカー像と、額、楯などがいくつも飾られている。



彼の映画が好きな人には楽しい空間であろう。



 1階に戻り、赤ワインと、ソフィア・コッポラの名が冠せられた、スパークリングワインを買う。5年前に来た時は白しかなかったが、今回はロゼも置いてあった。ソフィアは結構人気があるそうで、彼女の名前の書かれたTシャツなども売られていた。

  前回来た時、また来ることがあるのかな?などと思いつつもカメラを持ってこなかったことを悔やんだことを思い出しつつ、今回はいっぱい写真も撮って、にんまり。

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【5】 BERINGER

2006年01月23日 | 異国の旅

して次に行ったのが、 BERINGER [ベリンジャー]オフィシャルサイト)。

数年前に出張でこちらに来て初めて飲んだのだが、割と頻繁に飲むワイン。Napa Valleyのワイナリ達の中でも北の方に位置している。ずっと29~128号線を北上すると左手に線路(ナパのワイン列車が走る)を見ているのだが、途中で線路が車道を横断し、右側になる。主要なワイナリで、このポイントよりも北に位置するのはあまり無いのではないだろうか?











ちなみに、こちらのワイナリ、試飲は$5で3杯(3種類)。
建物はお城の様で、遠目にも目を引く。

ワイナリ限定銘柄も多く、ファンならば要チェックであろう。
土産売り場や、試飲コーナーは誰でも入れるが、樽が設置されている酒蔵は、ツアー参加者にしか立ち入りを許していない。

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【4】 Olive, Lemon, and?

2006年01月23日 | 異国の旅

ンチは、Pinotなんとかというフレンチレストラン?で食べました。Pinot Noirのピノなんだけど、黒人のウェイターみたいな絵の看板だったかな?

ぱっと見は、このあたり(ナパバレー)にある普通の建物、ってかんじなんだけど一歩中に踏み入ると、フランスのプロバンス地方のレストランの様なインテリアでとても素敵。思わず、Elle Decoの誌面に入り込んだのか?って錯覚を起こしそうになる。

でも、なぜかフランス語で書かれたメニューを見ると、載っているのは、豚の(ナゼ?)T-Boneステーキとか、チーズバーガーとか。
元気を装っている、一応風邪引き(兼運転手)の僕はオニオンスープで体を温める。そして、日本人の常識というか理解を超えた量のフライドポテトが添えられたチーズバーガー(巨大ハンバーグに溶けたブルーチーズ、輪切りの紫の玉葱、トマト、オリーブ、等々)。

無理矢理重ねてパクつこうとしたけれど断念。うつみ宮土里クラスじゃないと無理だなナイフとフォークで、何とか食べた。


この界隈は、庭の木や街路樹にオレンジやレモンの樹↑を植えてあり、とても見た目にキレイ。オリーブの樹の白っぽい葉とコントラストもあって。

で、写真に撮った、これ、何だろう?下に落ちているのをみると綿っぽい繊維が実からはみ出ていたのだけれど、綿の木ってもっと小さいはずだしなぁ。。。

しかし、写真だけ見ているとイタリア中部みたいだな。。。

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【3】 V. SATTUI

2006年01月22日 | 異国の旅

に訪れたのは、V. SATTUI Wineryオフィシャルサイト

今回訪れた他のワイナリに比べると日本での知名度は今ひとつかもしれない。

丁度お昼時に差し掛かっていたので、どこかで何か食べようか?とフラフラしていて立ち寄ったところ。

店内はワインは勿論であるが、他にもワインと関係のないお土産や、Deliとかケーキ類が充実していた。

特にこのチェリーパイが僕を呼んでいたが、30代の男が、これを見て目がハートになっている図が怖かったので、諦めた。。。

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【2】 ROBERT MONDAVI

2006年01月22日 | 異国の旅

いう事で、文が長い!とお叱りを受ける事が多いので、訪れたワイナリ毎に書いてみる。

直線距離では60kmほどであるが、湾を迂回するので、実際には時速120kmくらいで飛ばして約90分くらいかかる。最初に訪れたのは日本でも知名度が高い? ROBERT MONDAVI WINERY [ ロバート モンダヴィ] オフィシャルサイト )である。モンダミンではない。誰も言ってないか。。。

とても美しいワイナリー。シンボルの熊?の石像を横目にアーチをくぐると、西に葡萄畑の丘が緩やかに広がる。柱で囲まれた回廊が広がる。

部屋の中に入るとテイスティングができる。

僕は、美味しいワインが好きだが、薀蓄を傾けたり、銘柄や年代を事細かに覚えるのは苦手である。江川やなお美みたいにはなれない。だって乾いた子犬の匂いみたいな香りのワイン、といわれても判らないから。


でもさ、美味しいものは美味しいんだよね。
それくらいは素人でもわかるのさ。

ここで、NapaのWinery Mapという絵地図?を買った。帰ったら額装しようかな。

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【1】 Napa Valley REVISITED

2006年01月22日 | 異国の旅
新頻度について行けません!!、という声も出ているが、これでも色々な出来事の1割程度なんだよなぁ。。。
フィッツジェラルドのBABYLON REVISITEDを真似てみた。自己満足。

さて、第一週目の仕事は予定通り?木曜日で終わらせ、平日の昼間、狙いすましてレンタカーを借りて、一路60km北のNapaを目指した!

前回行ってからもう5年も経ってしまっていた。
出張で来ても、週を跨がないとなかなかここまで足を延ばす機会がないのが実情。

アメリカで運転するのも2年ぶり。
軽く市内で道を間違えてグルグルしつつ、車両感覚と右側通行、赤信号でも右折良し、等々勘を取り戻す。というのは言い訳で、単にR101に乗ろうとして間違えて南向きのレーンに入ってしまい、一区間だけで下りてもう一度逆方向を目指したのだ。

こういう、無駄が旅の醍醐味だよね、と明るく言いながらアクセルを踏み込み。つくづくおめでたい性格


霧のGolden Gate Bridgeに差し掛かると、確かに視界が遮られるのだが、渡り終えるとあっさり晴れわたる。やはり、観光局が話題作りのために橋の下でスモークを焚いているという説に1票!

抜けるような青空が続く。

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