ゴールデンウィーク、皆様、いかがお過ごしだったでしょうか?
私は、具合が思わしくない叔母のお見舞いに、知り合いのNさんを連れて、
九州へと旅をしておりました。
ただ、「見舞いに来た」と言うと、叔母は自分の病気の重さを気に病むと思い、
同県内に暮らす母の幼なじみT子さん宅に遊びに行きがてら、病院に立ち寄った、という事にしました。
少し、背景をお話ししますと、入院中の叔母も、一緒に行ったNさんも、幼なじみT子さんも、
かつて、私の実家に、家族の如く生活をしていた事があり、皆、身内のような存在であります。
思えば3年前の5月、母は癌の痛みと闘っておりました。
弱音を吐かない母が、唯一、心を許して甘えられたのではないかと思える人がT子さんでした。
彼女は、懐が広いというか、包容力に溢れた、よーく出来たお方です。
入院10日目には、余命宣告を受け、その後、九州からお見舞いに来て下さったT子さんに、
母は懇願したそうです。
「あなたの家の庭に、木を植えて欲しい、花の咲く木を」と。
そして九州に戻ったT子さんは、庭の一番真ん中に辛夷(こぶし)の木を植えて下さったのでした。
真ん中で手を広げているのが辛夷
その後、間もなく母は亡くなり、その1年半後の秋、私はT子さん宅を訪れ、
どうして母が、この地に木を植えて欲しい、と言ったのかが、判りました。
そこは、手入れされた庭の向こうに畑が広がり、その中に、ぽつりぽつりと鎮守の森があり、
それらを抱くように、里山のやわらかな稜線が続く・・・
それは、それは、気持ちのいい場所でありました。
母の故郷にほど近く、何より自分を一番忘れて欲しくないT子さんの所に、
自らの魂が舞い降りる場所を作っておきたかったのだと思いました。
早春には、白い花が咲いたそうです。
今回、T子さん宅では、みごとに鉄線が満開。
遠くの家の鯉のぼりが時折空を泳ぎ、鳥達のさえずりは楽しげで、
入れ替わり立ち代わり、色々な種類の蝶がやってきては、「母の木」のまわりを舞っていました。
母が魂の拠り所にしたかった場所は、私にとっても魂を解放してくれる場所となりました。
鉄線はこの上の方へも蔓を伸ばしていました
さて、滞在中、近所の観音様に連れて行ってあげると、T子さんが提案してくれました。
前回、秋に訪れた時、鎮守の森の神社でお神楽の奉納をしており、
それを目の当たりにした私が、いたく感激したのを覚えていてくれて、
きっと気に入るだろう・・という事でした。
畑の中に、こんもりと森が見え、小川を越えると、すうーっと静謐な空気感になりました。
ここは千手観音堂という所ですが、残念ながら、千手観音様は限られた御開帳の日にしか拝めません。
でも、八手観音様は、慈悲深いお顔で迎えてくれました。
観音様の背後の岩からは清水が湧き、地元の人がポリタンクを持って、汲みに来ていました。
何でも、ここの水でご飯を焚くと、お乳の出がよくなる、と言う「言われ」があるそうです。
もちろん、手を差し出し、飲んでみました。くせのない柔らかい清水。
そこ、ここ、写真を撮っていると、何やら、向こうの方でT子さんが、叫んでいます。
そして、脇に目をやると・・・
どひゃ!!
千手観音様に、言われちゃ、気をつけないわけにいきませんよね。
慌てて、足元を見回し、水場から離れたのでした。
また、来よう、何度でも来よう、「母の木」に会いに・・・そう思いながら、T子さん宅を後に、
また叔母の病院に向かったのでした。
時には意識して、ふぅ~っと、息をはいてみる
私は、具合が思わしくない叔母のお見舞いに、知り合いのNさんを連れて、
九州へと旅をしておりました。
ただ、「見舞いに来た」と言うと、叔母は自分の病気の重さを気に病むと思い、
同県内に暮らす母の幼なじみT子さん宅に遊びに行きがてら、病院に立ち寄った、という事にしました。
少し、背景をお話ししますと、入院中の叔母も、一緒に行ったNさんも、幼なじみT子さんも、
かつて、私の実家に、家族の如く生活をしていた事があり、皆、身内のような存在であります。
思えば3年前の5月、母は癌の痛みと闘っておりました。
弱音を吐かない母が、唯一、心を許して甘えられたのではないかと思える人がT子さんでした。
彼女は、懐が広いというか、包容力に溢れた、よーく出来たお方です。
入院10日目には、余命宣告を受け、その後、九州からお見舞いに来て下さったT子さんに、
母は懇願したそうです。
「あなたの家の庭に、木を植えて欲しい、花の咲く木を」と。
そして九州に戻ったT子さんは、庭の一番真ん中に辛夷(こぶし)の木を植えて下さったのでした。
真ん中で手を広げているのが辛夷
その後、間もなく母は亡くなり、その1年半後の秋、私はT子さん宅を訪れ、
どうして母が、この地に木を植えて欲しい、と言ったのかが、判りました。
そこは、手入れされた庭の向こうに畑が広がり、その中に、ぽつりぽつりと鎮守の森があり、
それらを抱くように、里山のやわらかな稜線が続く・・・
それは、それは、気持ちのいい場所でありました。
母の故郷にほど近く、何より自分を一番忘れて欲しくないT子さんの所に、
自らの魂が舞い降りる場所を作っておきたかったのだと思いました。
早春には、白い花が咲いたそうです。
今回、T子さん宅では、みごとに鉄線が満開。
遠くの家の鯉のぼりが時折空を泳ぎ、鳥達のさえずりは楽しげで、
入れ替わり立ち代わり、色々な種類の蝶がやってきては、「母の木」のまわりを舞っていました。
母が魂の拠り所にしたかった場所は、私にとっても魂を解放してくれる場所となりました。
鉄線はこの上の方へも蔓を伸ばしていました
さて、滞在中、近所の観音様に連れて行ってあげると、T子さんが提案してくれました。
前回、秋に訪れた時、鎮守の森の神社でお神楽の奉納をしており、
それを目の当たりにした私が、いたく感激したのを覚えていてくれて、
きっと気に入るだろう・・という事でした。
畑の中に、こんもりと森が見え、小川を越えると、すうーっと静謐な空気感になりました。
ここは千手観音堂という所ですが、残念ながら、千手観音様は限られた御開帳の日にしか拝めません。
でも、八手観音様は、慈悲深いお顔で迎えてくれました。
観音様の背後の岩からは清水が湧き、地元の人がポリタンクを持って、汲みに来ていました。
何でも、ここの水でご飯を焚くと、お乳の出がよくなる、と言う「言われ」があるそうです。
もちろん、手を差し出し、飲んでみました。くせのない柔らかい清水。
そこ、ここ、写真を撮っていると、何やら、向こうの方でT子さんが、叫んでいます。
そして、脇に目をやると・・・
どひゃ!!
千手観音様に、言われちゃ、気をつけないわけにいきませんよね。
慌てて、足元を見回し、水場から離れたのでした。
また、来よう、何度でも来よう、「母の木」に会いに・・・そう思いながら、T子さん宅を後に、
また叔母の病院に向かったのでした。
時には意識して、ふぅ~っと、息をはいてみる