団塊世代 のアマチュア無線家

開局からの想い出と最近の出来事

プロジェクトHF

2007年04月20日 | アマチュア無線
当時、アマチュア無線機器メーカーは前出のY社・T社それにI社を含め10数社(?)

アンテナや周辺機器メーカーを含めると相当な数だったと思われる。
それだけ市場が大きかったのだ。(アマチュア人口130万人?)

国内市場では無名(本人も知らなかった)のU社だったがUSAでは
CB&CT(コードレス電話)ではシェアNo.1企業!

そんなバックボーンの中「HF SSB トランシーバー」の開発はスタートした。

当初、プロジェクトはリーダーのS氏、前出のN氏を含め3名。
(後にメカ担当2名+電気担当1名が加わる)

虎ノ門の霞ヶ関ビル!では無くとあるビルの6階(?)だったか・・・

==========中略==========

机上の空論!理想と現実とのギャップ!試行錯誤・紆余曲折!
「産みの苦しみ」とはこう言うモノか?

見えないプレッシャー(これが1番キツイかも)と戦いながら
遂にその日はやって来た・・・

QRZ & QSY

2007年04月19日 | アマチュア無線
S48年(1973)9月のある日!
それは1本の電話によるBK CALLから始まった
QRZ? 元社員のN氏からだった

聞けば「今、千葉県の市川にQSY中」とのこと。

数日後、市川に出向きN氏とアイボールQSO!
案内されたその会社はCB無線機メーカーだった?

CB」?その存在は知っていたが・・・何故?

N氏の説明は続く
アマチュア無線機の開発を始める。一緒にやらないか?」

天職と巡り会えたY社に「未練は無かった」と言うと嘘になるが・・・

5年半ほどお世話になったY社に73&88!?

Y社からU社へQSY小生28歳の秋だった。

中年暴走族

2007年04月18日 | アマチュア無線
S51~S53(1976~1978)頃は無線と平行して車いじりに
没頭した時期でもあった

近所の中古車屋からB110(サニー)のポンコツを検2年付きで仕入れ
(¥19万だったか?)いじくり回した

先ずはエンジンのライトチューニング(詳細はいずれ別稿で)
足回り強化、クラッチディスク・カバーを強化版にそしてマフラーを
ストレートタイプに交換(良い音がした!?)

室内ではハンドルとシートをKB110(サニークーペ)GX5用に
外観的にはフェンダーミラーをドアミラーに(当時は違反切符対象?)

ヘッドランプはCIBIEのハロゲンに極めつけはウィンカーの高速化
(スピードはVRで連続可変)当時は族車(ゾクグルマ)の定番アイテム(笑)

残念ながらこの車の写真は何処探しても見つからず
お見せすること出来ません。
が、こんな本(お世話になった参考書)が出て来ました。

その後エンジンをGX5のSUツイン(近所の解体屋で¥1万)に載せ替え
戦闘力(?)は一段と高まったがそれがいけなかった

通勤帰り夜の8時頃だった・・・
京葉道路下り幕張IC付近!後ろからアオッテ(?)来る1台の車

「ヤラレタ!」気がつけば赤ランプチカチカ・・・時すでに遅し
49キロオーバーの赤切符!持点0となり免許取り消し欠格期間1年

そのころ**本部無線は暗号化されておらず、FT-2FBでも局発の
水晶を変えることで簡単に傍受出来たのだが・・・

無線とカーライフ

2007年04月17日 | アマチュア無線
昭和45年(1970)名古屋ナンバーのカローラから始まったMy Car Life

何故「名古屋ナンバー」?(当時のQTHは川崎市中原区)

友人の知人が名古屋で中古車屋さんをやっており
わざわざ東京から新幹線に乗って中古車買い物ツアー!(笑)

車検残1年弱でS44年式のカローラ1200DXしっかり名古屋ナンバーが付いてました。価格は?諸経費込みで¥34万
生まれて初めての高価な買い物でした

カローラにはFT-2FBを載せアンテナは5/8λルーフサイド。
購入後間もないある日ある時、前出の「ガス欠」事件に会ったのである。

次に手にした愛車は「決まってるね千葉ちゃん!」のカリーナH/T・1600ST
S48年式(1973)の新車

ディーラー・車庫証明の関係で品川ナンバーに!?
無線機・アンテナはそのまま載せ替え。

続いてS50年式のカリーナH/T・2000EFI
(この頃からQTHは千葉市へQSY)

この車には色々な想い出があり、ここでその全てを語るには無理がある
千葉から山形までの300Km強を3時間15分で走ったのもこの車!!

144メガはそのまま移設し新たに初の(マイカーでは)
HFモービルをセットアップ!

FT-101アンテナはSWANのMODEL4505でした。

・・・つづく。

想い出と共に

2007年04月16日 | アマチュア無線
色んなコトがありました

工場から入って来る半完成品の搬入作業!?
トラックから外階段そして室内へと火事場のバケツリレーの如し

FL/R-50やFT-200は軽かったがFTdx-400や FL-2000Bは重かったあ
それを何十台何百台(?)やったことか・・・

ある日の朝出勤した時のことだった。
社屋の周りに赤旗(?)を持った10数人の異様な人々
「何事か?」社員の数人を巻き込んでの**活動だったのです。
屋上にあったクラブ局の部屋が**事務所に・・・

福島の工場へ野球遠征したこともあり、QNXが投げて負けた事。

なんと言っても楽しかったのは社員旅行である。

何処へ行った時か思い出せないが、旅行バスとは別便で
「故JA1MP」が(Dodge)で「JA1KP」が(310ブル)でQNXは会社のバンで
それぞれ「FT-101」を積んでモービル移動!楽しかった・・・

そしてY社で最後(?)の社員旅行(伊東温泉)・・・


ガス欠の想い出

2007年04月15日 | アマチュア無線
それは37年前 「東名高速」の上り線で起こった

豊川ICから入り東京へ向け走行中掛川ICまで2Kmの標識を
通過した直後だった。

突然のエンスト ガス欠だ

豊川ICに入る時点でガソリンゲージの残量から牧の原SAまでは
持つ計算だったのだが・・・甘かった
100Km/h以上(?)での高速走行時の燃費は思ったより悪かった
惰性で車を走らせ路肩に停車!
「さあ どうする?」ありました「天の助け」が

144.48MHzで発信!幸いにも直ぐローカル局からのコール
サブチャンにQSYして事情を説明

ものの10分もたたない中に、ポリタンでガソリンを持って来てくれました。

その時の局長さん(JA2???)コールサイン思い出せませんが
もし万が一心当たりのある方居りましたらBKしてください。

今でも感謝してます。ありがとう御座いました。

FT-400 VS TS-510

2007年04月14日 | アマチュア無線
ALC論争は暫くの間7メガのお空を賑わしていた
先攻のFTDX-400 VS 後攻のTS-510
勝ち負けはさて置きIMD(混変調歪)の少ない「綺麗な電波」
「いい音のSSB」
を求めての論争 戦いだったと思う

やがてHFモービルの需要が高まる中、あの名機FT-101が誕生した。

当時Y社でもJA1KP(S氏)やJA1CUW(K氏)がアクティブに
ON AIRしており車に付けた物干し竿見たいなアンテナが異様に見えた

その頃FT-200のラインは福島の工場に移管されておりVHFライン
への配属替えとなった。

144MHz FM・TRのFT-2F,FT-2FBFT-2AUTO
それに50MHzのオールモード機 FT-620B・・に携わり
しばしVHF人間と化したのである

無線タクシーでFMの魅力は充分知っており、溶け込むのに時間はかからなかった。

早速マイカーに取り付け、片手ハンドル(今では捕まるよ!)で良く運転
したのを思い出した。

AMからSSBへ

2007年04月13日 | アマチュア無線
天職との出会いと共にJA1QNX局もAMからSSBへとQSY
SSBでの最初のON AIRはクラブ局JA1YOEからであった。
AM時代のラグチュー仲間各局もSSB化の波に乗り次々とQRV

ここでもやってました 「音の話」
300Hz~3000Hzの狭い帯域の中での「SSB良い音論争」

当時SSBの話題はもっぱらALCに関することだった。

T社の増幅型Y社の整流型

東西の超OMや業界誌を巻き込んで社運(チトOver?)を賭けた戦い

「第3次混変調歪」がどうだ「スプラッター」がどうの・・・ETC
JA1QNXも微妙な立場(?)でその話題に踏み込んでいたのが懐かしい

初めてのお仕事

2007年04月12日 | アマチュア無線
それはスピーカーへのリード線「半田付け」実習でした。
Sub Assyと呼ばれる工程の1つでK女史指導の下行われていた。

想えばその昔、並四ラジオのマグネチックスピーカーの端子!
半田付け不良で修理してもらった事があった。

これも何かの因縁か?半田ごてを握って10年近い経験もあり
なんなくクリアー

その後いくつかの工程実習を経てFT-200の組み立て調整ラインに
配属されたのは記憶に新しい
そこで出会ったのが秋田出身のTK氏だった

TK氏との想い出は一言で語り尽くせないほど沢山あるが、武蔵小杉の
アパートで「1升びんを飲み明かした事」今でも忘れてません

当時Y社ではFL/R-400、FL-2000、FL/R-50B、それにTRCVのFT-100などが
生産されており担当機種ごとにプロフェッショナルが居た

FLの「チョーさん」ことYS氏、FRの「F直名人」HI氏、VHFの「クラさん」
ことKU氏、それに開発の「オッちゃん」ことHK氏等々たくさん居りました。

皆さんお世話になりました。有難うございました


天職との出会い

2007年04月11日 | アマチュア無線
天職とは、「天から授かった職業という意味で、本人に適性があり、
かつ本人が意欲を持って取り組むことができる職業のこと」
と何処かに書いてあった。

適性の有無はともかく「好きこそ・・・・」と言うではないか!

1968年3月か4月号の「CQ誌」にそれは載っていた
「Y社・社員募集」の広告記事が
チャンス到来
タクシーとのQSOも3勤明公で夜勤もあり
疲れが蓄積していた時期でもあった。

初めて書いた履歴書

小学校入学から中学・高校と(色んな事を思い出しながら)
職歴欄は入社日と現職中の2行のみ!

そして面接!総務人事担当のY氏と・・・
数日後「採用」の連絡あり

今から39年前の昭和43年3月21日天職との出会い 
晴れてY社の一員となったのである。