団塊世代 のアマチュア無線家

開局からの想い出と最近の出来事

アンプの改造

2007年03月31日 | アマチュア無線
とにかく色んな事をやった!
「こうすると良くなる」とモノの本に書いてある事を!
所詮オトキチレベルの改造ではあったが、、、。

HiFi=高S/Nだと言われれば、S/Nを少しでも良くしようと
ハムバランサーなるものを付けた。

スピーカーに耳をひっつけて調整すると確かにあるポイントで
ハム音が最小になった
初段の12AX7をHiFi用と証するモノに交換しNF量を増大。
無入力でVRをあげた時のS/Nが改善された。

CR型トン・コンをNF型に、ラウドネス回路追加の為VRを
センタータップ付きに交換。

電源のレギュレーション改善に整流管6CA4をシリコンダイオードに変更。
シリコンダイオードを始めて知った頃は(500V・500mA)規格で1本
¥150はしたが、@¥50で買えるようになっていた。

ダイナミックレンジ拡大&低歪率化の為に終段のバイアスを固定バイアスにし
その電圧を変えることで、AB1級、B級そしてA級の各動作による音の違いを
実感出来た。

20年ぐらい前、久しぶりにそのアンプに火を入れた時の事。
VRをチョット廻しただけでスピーカーが壊れんばかりのガリガリノイズ
ボリュームがガリオームになっていたのは言うまでも無いが、
各段のカップリングコンデンサーが絶縁不良をおこしEpがリークしていたのだ。
コンデンサーをマイラーコンに替え修理完了

最終的には6RP15 3結PPのA級アンプとなり
作製から40数年たった今でもダンピングの効いた柔らかい音を聞かせてくれる。

当時良く聴いたレコード アイドルを探せ ワシントン広場の夜は更けて
燃える太陽

周辺機器とグレードUp.

2007年03月30日 | アマチュア無線
当時の音源はマジックアイ付きAMチューナーとコロンビアのクリスタルカートリッジの付いたプレイヤー(型番忘れた)でした。

音出しの前に「各部の電圧を測定」なんてことはせず、先ずはプレイヤーをつなぎスエーデンの城サン・トラ盤を聴いた。これは高音チェック用に好んで試聴したレコードで全編に亘るシンバルパートが大好きでした。
低音用にはザ・プラターズの「16トン」でハーバード・リードのバスパートがたまらなかった。

AMチューナーで音楽放送を聴くときは故意に同調をほんの少しずらし「高音が出る出る」と喜んだりトン・コンの低域、高域共にMaxにしドンシャリを楽しんだのである。が、あの電蓄の音にはマダマダ及びじゃなかった。

そこで考えたのが先ずはスピーカーのグレードUp!
欲しかったのはやはりパイオニアのPAX-20A秋葉原の店頭で試聴。
今はどうなってるか?だが当時は客の要望に応じ好きなスピーカーをワニ口クリップで端子をはさみ、とっかえひっかえ聴くことが出来た。

ソースが何でアンプがどんな物か知る由も無い。ただ言えることは どれもこれも真のHiFi音を知らない少年には素晴らしく良い音に聞こえた

PAX-20Aは¥200位の予算オーバーで買うことが出来ず
仕方なく買ったスピーカーはフォスターのPX-8Aだった。今でこそたった¥200だが田舎から秋葉原までの汽車賃が片道¥270の時代のことである。

後にそのスピーカーは15ミリ厚のラワン材に囲まれた大きなに住みついた。
家の中には吸音材の綿も敷かれており居心地は良かった筈だが
あのスピーカーBOXがその後どうなったか?今となっては脳みそメモリーから完全に消去されており復旧不可能!写真も見つからず残念無念

次はアンプの改造。まだまだ続くオトキチの想い出日記

HiFiアンプ

2007年03月29日 | アマチュア無線
H君に負けじと作ったのが6RP15PPのトーンコントロール付きHiFiアンプ
12AX7-6AN8-6RP15PP-6CA4の構成。

トランスは電源、チョーク&出力ともオール山水
価格的にはもっと安価なSEL(菅野)やタンゴもあったが、例によって例のご
とく(モノの本の生かじり)無理して山水にこだわったのである。

時すでに真空管もST管からMT管に変わっており、我が家の5球スーパーも
6BA6-6BE6-6AV6-6AR5-6X4へと変貌していた。

オトキチにとって、HiFi(ハイファイ)と言う語句が非常に新鮮で
心地よく感じられた時期でもあった。

そして完成! 回路図、実体配線図と入念に見比べテスターで+BとGND間の非
導通を確認 スピーカーをつないでVRは最小に絞りいよいよ火入れである。

自作派が誰でも感じる緊張の一瞬はやる心を抑えてSW-ON
ヒーターがジワーっと点灯。そして数秒後スピーカーから小さなハム音と共に
聞こえて来た「シャー」と言うホワイトノイズ!
5球スーパーでは聞くことの出来なかった超高域成分を含んだノイズ音である。

還暦を迎えた今では12KHzがやっと聞こえる自前の耳も、当時は20KHz
までは聞こえていた筈(測ったこと無いので?)TVの水平発信音は確実に聞こ
えていたのを覚えている。(続く)

音に魅せられて

2007年03月28日 | アマチュア無線
あの電蓄の音が忘れられず「いつかは自分も」と夢見る少年がいた。

中学3年から高校入学直後だったと思う?が当時、同志のラジオ小僧が3、4人居りその中の1人がH君鉄骨屋であった。

H君とは色々なエピソードが沢山ある。秋葉原買い出し事件?電柱よじ登り事件?等々(当事者のみぞ知る)今となっては皆懐かしい想い出となった。

音づくりの第一歩は音の出口スピーカーを変えることで大きく影響する。とモノの本に書いてあったのを見て直ぐその気になり 初めて手に入れたHiFiスピーカーはパイオニアのPIM-16A(参考)でした。

スピーカーBOXは大きめのダンボール箱!(貧乏少年にまともな箱は買えなかった)5球スーパーにつないで出てきた音は???

それでも16Cmのダイナミックスピーカーを後面開放裏蓋無しの小さな木箱に入れた物とは比べ物にならなかった。が、まだまだおよびでない

いよいよ次はHiFiアンプの自作です。

画像はH君の力作<7189PP>メインアンプとパイオニアの30Cmウーハー<PW-30F>

電蓄-LP-HiFi

2007年03月27日 | アマチュア無線
SPレコード全盛の時代、村のとある家にLPレコードが聴ける電蓄(昔はそお呼んでいた)今で言うステレオがあり、たまたまの機会に恵まれた。
初めて聞いたそのは言葉や文章では決して表せない衝撃的なものだった

試聴したレコードはオーナー好みの歌謡曲、MHの「雪の渡り鳥」ではあったが、ラジオで聞く音とは全くの別物

これがHiFiなのか「ドーンときてシャリっとくる」いわゆる「ドンシャリ」である。(HiFi=ドンシャリでは無いのだが)少年はその音にすっかり魅せられてしまい「オトキチ」の道へと足を踏み入れてしまった

当時、母校の小学校や中学校でさえプレイヤーは78回転のSP盤用で、レコード針を頻繁に交換したのを良く覚えているが、その電蓄はその必要が無かったのだ。何故?

暫らくたってモノの本によりやっとそのなぞが解けた。「クリスタルピックアップ」にSP用とLP用の2本のサファイヤ針が背中合わせで付いており、レコード盤により180度回転するだけで良かったのだ。

因みに母校のPAアンプの出力管は小学校が「807PP」、中学校が「2A3PP」であった。

この時、後に電波少年化する運命の真空管と遭遇していたのだった

鬼に金棒&5球スーパーへの挑戦

2007年03月26日 | アマチュア無線
憧れのテスターを手に入れた少年は、正に鬼に金棒状態だった

近所からカキ集めた古い並4ラジオが数台。
の大部分の家では並4から5球スーパーへ買い換えていたのだが、
少年の家は貧しくて5球スーパーは高嶺の花だった。

ならば造ちゃえと無謀な挑戦が始まったのである。
その頃すでに並4ラジオは何回となくバラシては組み立て、組み立ててはバラシと充分な経験を積んだ結果、何も見なくても再組み立てが可能であった。

が、しかーし5球スーパーはそんなに甘くはなかった
CRは共通で使えても、真空管も違うしコイルやバリコンも違う。
それに<IFT>とか言う未知の部品も必要なのだ

何しろ当時の参考書は「ラジオの製作」と「初歩のラジオ」の2冊!
製作記事とにらめっこしながら悪戦苦闘の末、ALL ST管(6WC5-6D6-6ZDH3A-12A-12F)の5球スーパーは完成した

その時、叔父さんに買ってもらったテスターと使い方の本が大活躍したのは言うまでも無い。

時は中学1年生。今から47年前オーディオに目覚めた時期でもあった


叔父の存在と秋葉原

2007年03月25日 | アマチュア無線
先月初旬、実母が逝った!(享年88歳)その母の妹の旦那、つまり叔父である。
その叔父の存在が少年の運命を少なからず左右したと言える。

叔父は当時から「日の丸放送局」の受信機部に勤務するガチガチの技術家であった。
小6の夏休み世田谷の家に遊びに行った時だった。亡き母から少年が「ラジオに興味を持っている」と知らされていたらしく、それではと秋葉原なる所に連れて行かれた。少年にとってそこはまるで夢の世界!ガード下のゴミゴミした狭い通路の両側にギッシリ並んだパーツショップあるはあるは欲しかった物が何でもある。正に宝の山

近所のラジオ家がいつも修理の時、ダイヤルをカチャカチャ廻し赤黒の線と棒の付いた黒い弁当箱みたいな物?そうテスターです。これが欲しくて欲しくて

叔父に買ってもらった!嬉しかった。確か三和の<SP-5>だったと想う。
今でこそ同等品が千円以下で買える時代だが、当時はとても少年の小使いで買える代物ではなかった。ありがとう叔父さん

<その時もらった叔父の書いた本>

初めてのHome Made

2007年03月24日 | アマチュア無線
ラジオに興味を抱いた諸先輩達も一度は通ったであろう鉱石ラジオ
少年も例外ではなかった。わずか数点の部品を「組み立てる」と言うより
つなぎ合わせるだけなのだが、クリスタルレシーバーから放送が聞こえた時の
感激は今でも忘れられない。

この鉱石ラジオは秋の台風シーズンに大活躍
昔は台風が来ると必ずと言って良いほど停電になったものだ。
ポンコツ並四ラジオは役立たず。

台風情報を気にする亡き祖父から聴取料?ならぬ小使いが貰えたのだ
少年は、台風が来て停電になるのが楽しくて仕方なかった。

後にその資金を元に鉱石からゲルマニュームラジオ、そして2石トランジスターラジオへとVer.Upして行った。

門前の小僧

2007年03月23日 | アマチュア無線
それからの少年は門前の小僧ならぬラジオ屋の丁稚奉公?

手取り足取り教えてくれる訳ではない!見よう見まねでその技を習得していったのだ。

例えば半田付けの手順。

当時、半田ごては電気ではなく炭火か練炭でこて先を温めていたと思う?

抵抗やコンデンサーのリード線を良く磨きペースト付けて「ジュー」っと白い煙と共に半田付。
そんなある日、オヤジさんが魔法使いに見えた出来事が一つあった。

壊れたラジオの真空管(UY-56か12A)をロウソクの火であぶりだしたのだ!

そして電源入れて真空管(6C6か)の頭を指で触ると「ビー」っと
大きな音がして治ってしまったのだ???

これらの不思議現象を理解出来たのはだいぶ後になってからである。

画像は小4の運動会スナップ(後列左端&3番目が鉄骨屋)

出会い&なれそめ

2007年03月22日 | アマチュア無線
小学校2年か3年のある日、我が家の並四ラジオが壊れた!?電源は入りPLは点灯しているが音が全く出ないのだ。好奇心旺盛な少年はチョットラジオを叩いて見た。
すると音が出たのだ!!!が、しかし少し大きな音がした後再び音無しとなった。
又、たたくと直る。そんな事を繰り返しているうちに完全に壊れた!

その頃近所にラジオの修理をするオヤジさんが居て持ち込み修理となった。
見てる目の前で裏蓋をあけ電源入れて症状確認!何やらSP(Uの字磁石の付いたマグネチックスピーカー)の端子部分を割り箸のような物で突いていた。
そして半田ごてをあてて修理完了。

今でこそ症状と原因そして処置と簡単に理解出来るのだが、少年には不思議な世界であった。特に半田付けと言う出来事が、、、 続く。