1984年8月に発売された「X70系」の5代目マークⅡ
おりからのハイソカーブームの先駆車でもある白(スーパーホワイトⅡ)の
4ドアハードトップが売れに売れていた。
カリーナ1600GT-Rのトルクに物足りなさを感じ始めた頃だった。
出ました追加モデルのGT・TWINTURBO買っちゃいました
追い越し加速を堪能するあまり燃費はカタログ値の半分以下
最初の車検を迎える1988年、世の中バブルの絶頂期
マークⅡ3兄弟(チェイサー・クレスタ)も「X80系」にモデルチェンジ!
加速力の魅力は捨てがたく又してもGT・TWINTURBOを購入した
が、仕事上海外(DU)への駐在となり泣く泣く車は手放すことに・・・
DUではハンドルを握ることは無かったが、次の赴任地(VS)では
同僚T氏所有のMGで街中を走り回ったのが記憶に新しい!
帰国後、「X80系」3兄弟の末っ子(?)3代目クレスタ2L(H3年式のSLT)
2年半後に「X90系」の4代目クレスタ2.5L(H6年式のSLT)
このクレスタはマイナーチェンジ前の在庫セールで大幅値引きでGET
それがいけなかったのかH10年の正月早々の夜だった。
家まで数百m。前を走っていたセルシオが何故か急ブレーキ
クレスタも急ブレーキセルシオとの距離わずか10Cm位だったか(??)
「助かった!」と思った瞬間、後ろから来たシビックが止まりきれずに追突
玉突きでセルシオに追突サンドイッチ状態の我がクレスタ
事故原因はともかく前後バンパーを含め大修理となったクレスタに73.
3兄弟「X100系」の次男6代目チェイサー(2.5LツアラーS)に買い替え。
最終型となった6代目は歴代チェイサーの中でもっとも売れたモデルだった。
マイカー史上最長9年の歳月を経てチェイサーに
今年2月現有車アクセラスポーツにバトンタッチ。
蛇足だがマークⅡからアクセラまで全てAT車であった。
が全車とも無線機を積むことは無かった!
おりからのハイソカーブームの先駆車でもある白(スーパーホワイトⅡ)の
4ドアハードトップが売れに売れていた。
カリーナ1600GT-Rのトルクに物足りなさを感じ始めた頃だった。
出ました追加モデルのGT・TWINTURBO買っちゃいました
追い越し加速を堪能するあまり燃費はカタログ値の半分以下
最初の車検を迎える1988年、世の中バブルの絶頂期
マークⅡ3兄弟(チェイサー・クレスタ)も「X80系」にモデルチェンジ!
加速力の魅力は捨てがたく又してもGT・TWINTURBOを購入した
が、仕事上海外(DU)への駐在となり泣く泣く車は手放すことに・・・
DUではハンドルを握ることは無かったが、次の赴任地(VS)では
同僚T氏所有のMGで街中を走り回ったのが記憶に新しい!
帰国後、「X80系」3兄弟の末っ子(?)3代目クレスタ2L(H3年式のSLT)
2年半後に「X90系」の4代目クレスタ2.5L(H6年式のSLT)
このクレスタはマイナーチェンジ前の在庫セールで大幅値引きでGET
それがいけなかったのかH10年の正月早々の夜だった。
家まで数百m。前を走っていたセルシオが何故か急ブレーキ
クレスタも急ブレーキセルシオとの距離わずか10Cm位だったか(??)
「助かった!」と思った瞬間、後ろから来たシビックが止まりきれずに追突
玉突きでセルシオに追突サンドイッチ状態の我がクレスタ
事故原因はともかく前後バンパーを含め大修理となったクレスタに73.
3兄弟「X100系」の次男6代目チェイサー(2.5LツアラーS)に買い替え。
最終型となった6代目は歴代チェイサーの中でもっとも売れたモデルだった。
マイカー史上最長9年の歳月を経てチェイサーに
今年2月現有車アクセラスポーツにバトンタッチ。
蛇足だがマークⅡからアクセラまで全てAT車であった。
が全車とも無線機を積むことは無かった!