板の庵(いたのいおり)

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エッセイ:「戦争だけはご勘弁を(12)」2018.06

2018-06-18 11:33:29 | エッセイ
エッセイ:「戦争だけはご勘弁を(12)」2018.06


史上初めての米朝首脳会談が行われた。専門家によるとトランプ大統領も金正恩(キム・ジョンウン)委員長もこれまでになかった異質のタイプのリーダーだから実現したのだろうと。
双方が「ちびのロケットマン」だの「老いぼれ爺」だのと我々一般人でも言わない下品な罵(ののし)り合いをしたばかりである。突然、米朝首脳会談開催の報道を聞いても、そんなことがあるわけがない、どうせトランプ氏の思いつきの冗談であろうと。

しかもシンガポールでの開催が決まった後でもトランプ氏は会談の中止をほのめかすなど相手を揺さぶる。毎度のことであるが、予測不能であり駄々子じみた交渉術を使う。
それが手のひらを返したように首脳会談後の記者発表では金正恩を持ち上げ”お互い信頼でき実りある成果”となるからわからないものだ。

主に米側は「北朝鮮の体制保障」、北朝鮮側は「完全な非核化」を約束した共同声明を取り交わした。トランプ氏が金正恩氏に贈ったという映像は、「結果は二つしかない、過去に戻るのか前に進むのか」というメッセージである。
ミサイルと戦闘機の映像が流れるものと、北朝鮮各地に明かりがともり、鉄道が敷かれ、ビルの建設が進むと言った未来の繁栄が描かれているものだという。

米朝で共同声明が発表されたからと言って約束がそう簡単には進まないだろうことは想像に難くない。何せ北朝鮮は過去の例から見ても一筋縄ではいかない国である。
所有する核弾頭の数も定かでない上に、施設も非公開であるからよく把握されていない。今後開発に携わった技術者の処遇をどうするのか、設計図等の破棄の問題など様々だ。外貨稼ぎのために技術者が海外に拡散したら地球上に癌細胞が転移するようなものである。

まあ、このようなことを心配始めたら切りがない。具体的なことの発表がないということは、決めていない、決められないということだろう。またトランプ氏は会談成功の焦りがあったのかもしれない。「もうここにいてもすることがない」とそそくさと帰国してしまった。
トランプ氏は秋の中間選挙を意識し演出した劇場型の首脳会談で自らを鼓舞したかったかもしれない。
とは言え、識者の中には言葉を過小評価してはいけないともいう。言葉は時に危険だが、時に人に希望を与え、その希望が物事を良い方向に変えるというのだ。

2009年にオバマ前大統領はノーベル平和賞を受賞した。プラハで表明した「核廃絶に向けた国際協調外交推進の理念」、そして6月にカイロで行った「イスラム世界に対する融和と対話の呼び掛け」などである。

氏への受賞には賛否あるが、オバマ大統領は「核兵器が危険な国家へ拡散してしまうことを防ぐことが第一義とした上で、ゆっくりと核兵器配備の縮小を進めていこう、私が存命のうちには達成不可能かもしれないが」と、理念に対して、現実論で返歌しているのだ。

もしかしたらトランプ氏はノーベル平和賞を期待しているのかもしれないとも言われている。北朝鮮から核兵器の完全廃棄という国連決議を実現させる協定を取り付けたのだから大変なものである。
トランプ氏の決断は、誰の目にも米本土に届く北朝鮮の核ミサイルの開発が現実味を帯びてきて、一刻の猶予もできなくなったからだろうと映る。

歴代の米大統領は、北朝鮮など鼻にもかけないと交渉どころか無視してきたところがある。疲弊した北朝鮮は、国民を犠牲にして核とミサイルの開発に集中してきた。米国をテーブルにつかせる方法はこれしかないと思ったのかもしれない。

北朝鮮は、米国が国際世論の前で北朝鮮の体制を保障し敵対関係を辞めてくれれば核・ミサイルの破棄は大きな問題ではないと思っているかもしれない。
国の経済を立ち直らせるためにも国連の経済制裁を解除し、関係国からの経済援助が欲しいのが本音であろう。よりによって同じ一党独裁国家であるシンガポール(リー・クアンユー初代首相の長男リー・シェンロン首相)の繁栄を目の当たりにしたのだから。

ところで、第一次世界大戦(1914年~)による死者数は、軍人と民間人で1500万人~1800万人といわれる。
また、第二次世界大戦(1939年~)による死者数は、軍人と民間人を合わせると6000万人~8500万人といわれている。

「桶狭間の戦い」(1560年)といえば日本三大奇襲戦として知られる。2万5千の大軍を率いる今川義元に対し織田信長は僅か数百人の兵で本陣を急襲し義元の首を討ち取ったのである。

だが偵察衛星が進んだ現代では宣戦布告になしの不意打ちで勝利することは不可能である。誰もが好まない米朝戦争が勃発すれば双方の兵器の進歩もあって間違いなく夥(おびただ)しい犠牲者が出る。日米同盟がある日本は間違いなく戦争の当事者になり巻き添えを食う羽目に陥らざるを得ないのだ。

 最後になるが、昭和12年1月の年頭の新聞に作家の野上弥栄子は心からの願いを寄せている。「たった一つのお願いごとをしたい。今年は豊作でございましょうか。凶作でございましょうか。洪水があっても、コレラとペストが一緒に流行っても、よろしゅうございます。どうか戦争だけはございませんように」と。

 一人の小説家の眼には、ひそかに忍び寄ってくる不吉な影が、ありありと映じていたのだ。いかなる自然の災害よりも、人間が引き起こす戦争こそが、最大の悲劇であるという、野上さんのこの言葉は、つぎに来るべきものは人類破滅の核戦争以外にないと言っているように聞こえる。





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