つれづれなるまま映画を観て過ごす「ベッチーの映画三昧日記」

映画検定1級のベッチーのベッチーによるベッチーのための映画館鑑賞記録gooブログ。
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「妻よ薔薇のように 家族はつらいよⅢ」

2018-05-29 19:15:52 | goo映画レビュー
●ベッチー的映画三昧日記
 年に1回は会いたい大家族喜劇の誕生「妻よ薔薇のように 家族はつらいよⅢ」


  山田洋次監督による喜劇「家族はつらいよ」シリーズの第3弾。
 2016年から始まった本シリーズの良いところは、予定調和であること。毎回ある程度先が読める話だが、”他人の不幸せは自分の幸せ”とは云うように、そこに至る登場人物たちのドタバタぶりと人情味が落語を聞いているかのごとく楽しいのだ。このシリーズも3作を数えて、「男はつらいよ」に代わる松竹伝統の家族を描いた喜劇となった感じがする。

 今回のテーマは、主婦の仕事について、嫁の位置づけだ。主婦労働について正当な評価がされていないことは、かなり前から問題となっているが、昨今の中高年や熟年離婚の増加は本作での描かれていることも大きな原因である。

三世代で賑やかに暮らす平田家の家事を担う主婦・史枝(夏川結衣)が、ある事件をきっかけに夫の理解の無さに不満が爆発し、家出をしてしまう。食事の支度、掃除、洗濯とすべての家の機能が成り立たなくなり、もう平田家は上へ下への大騒動となる…。

 主演の8人、橋爪功と吉行和子、西村まさ彦と夏川結衣、中嶋朋子と林家正蔵、妻夫木聡と蒼井優の4組の夫婦それぞれが決まった役割の演技を見せるが、息がぴったりで、その乗りの良さは観ていて気持ち良い。どこの家庭でも交わされていそうな今日的な問題なので自分のことのように共有意識が持てて(特に男性は)考えさせられる。
また、今回気付いたのは随所に「男はつらいよ」をイメージさせるシーンが入れられていることだ。三世代家族の平田家では些細なことでも何か事があると、すぐに兄弟家族が大集合し、一大家族会議となる。これはまるで車家の茶の間と同じである。
そして、事件の渦中の人長男の幸之助(西村まさ彦)がみんなから責め立てられ「もう家族なんてうんざりだ!」と捨てセリフを吐き、家を出ていくとき、「お兄ちゃん!」と後を追う妹(中嶋朋子)のやり取りは、“寅さんとさくら”を思い出させる。
山田監督の本シリーズに対する気持ちの表れが理解できて、ある意味感動した。

寅さんのまわりに出番は少ないが決まった常連キャラがいたように、このシリーズも4組の夫婦を支える小林稔侍(彼は死んでも別キャラで出てくる)、風吹ジュン、徳永ゆうき、笑福亭鶴瓶、広岡由利子、木場勝巳、笹野高史などの存在も大きい。

ラストの感じでは次回は子どもを授かった末っ子夫婦の妻夫木聡と蒼井優の話が中心になりそうな気もするが、過去3作一番まともな人格者として問題解決のキーファクターとして描かれてきたこの夫婦を笑いの中心にするのは難しいかも。
笑いのマエストロ山田監督がどのようなテーマを選び、どのように料理して、4作目を提示してくれるのか、それを考えるのも私はとても楽しみである。

 「孤狼の血」

2018-05-23 19:35:33 | goo映画レビュー
●ベッチー的映画三昧日記
 最近の俳優たちの果敢な挑戦は買うがピラニア軍団の凄味にはまだまだの「孤狼の血」


 東映が再び凄いヤクザ映画を作ったと評判の高い「孤狼の血」。
 作品を観て、深作欣二監督の「仁義なき戦い」、「県警対組織暴力」へのオマージュは強いが、私には東映映画とは全く別物の映画に見えた。それは白石和彌監督は極めてオーソドックスな映画的作りをしているからだ。

 まず、しっかりとした原作があること。本作は第69回日本推理作家協会賞を受賞した柚木裕子の警察小説が元ネタ。作家自身が「仁義なき戦い」を意識したというから両者の間は似ているのは当然だ。舞台は暴力団対策法ができる前昭和63年、広島県の呉原市という架空の都市となっているが「仁義なき…」の呉を想定しているのは明らかである。
 そして呉原で対立する二つの組の抗争に広島の親元の組が裏で糸を引いていて、ヤクザを押さえようと自らが暴力団まがいの行動をする大上という丸暴の刑事の眼を通して描くところは「県警対組織暴力」の世界、そのままである。

 この昭和の物語に映画的味付けをしっかりして、現在今日的問題となっている何が正義で何が悪なのか、あやふやな社会、そしてその世界の中にうごめく人々を描いている。

味付けとしてクローズアップしたのが、いわゆるエリート警官として採用され、県警より大上の過去の行状を内偵するために呉原署に配属された日岡刑事である。日岡は人は社会を構成する一員であり、社会の秩序を守りために法律のもとに規制されると思っていた人間だ。その行動規範が大上との遭遇により揺らぎ、正義と悪の境がつかなくなってくる。これは北野たけしの「その男凶暴につき」の刑事コンビと同じ設定だ。
 さらに、「仁義なき…」にはなかった男と女の愛憎劇や情緒的なエピソードを入れて、ドラマ性を高めようとした節がある。私はこれがかえって、映画の尺を長くし、ところどころ冗漫になったと感じている。
 確かに冒頭のリンチからラストの仇討ちまで、近年稀なエグイ、残酷なシーン満載だが、虚構の世界観が強く、深作作品のようなギラギラした躍動感や溢れるばかりのエネルギーの緊迫感は感じえなかった。
 これは、本作の配役がトレンディドラマ出身者や顔の売れた役者多かったことにもよるだろう。彼らが、役にのめりこみ熱演すればするほど、頑張った演技に見えてしまった。
 とくに役所が切れた演技を見せれば見せるほど画面の虚構感が際立ったように感じた。
「極道黒社会」、「しゃぶ極道」などに出ていた1990年代の役所の方が、もっとリアルな狂気があった。

 原作は続編があるということだから、次に期待するのは日岡役の松坂桃李がどれだけ、若い頃の役所のように狂気的な演技を見せてくれるかという点だ。

「ダンガル きっと、つよくなる」

2018-05-14 20:02:08 | goo映画レビュー
●ベッチー的映画三昧日記
 スポ根漫画で大きくなったオジサンには歓喜にむせぶ「ダンガル きっと、つよくなる」


 インドで大ヒットした実話に基づくレスリングにかけた父娘のドラマ。

 マハヴィル(アーミル・カーン)はレスリングのインド国内チャンピオンになるが生活のため国際大会へ出場をあきらめ引退する。自分が果たせなかった金メダルの夢を子どもに託し、我が子をレスリング選手として鍛える。そして託された子どもは父の夢がいつしか自分の夢となり、世界大会で見事優勝、その夢を勝ち取る。

 まさに絵にかいた様なサクセスストーリーだが、父親から夢を託されたのが男の子でなく、女の子でこれが実話であること。しかもそれが現在進行形のつい最近の話というのが驚く。

 マハヴィルは息子を金メダリストにすることを夢見ていたが、4人連続で娘が産まれ、あきらめる。ところが十数年後、娘二人に殴られたと傷を負った少年二人とその親がやってきて、彼は長女と次女の格闘センスを見出す。そして自分の夢を娘に託して二人を鍛え始めるというもの。

 話の発端から、鍛える鬼の特訓の様子はまさに「巨人の星」(本作のために川崎のぼるがイラストを描きおろした。久しぶりに彼の画見た感動!)「柔道一直線」といった梶原一騎のスポ根漫画の世界である。

 本編は、父親が中心となる前半部分と二人の娘がメインとなり長女がいかにして世界大会で金メダルを取るかという後半部分がはっきりと分けられていてインドらしい2本立て映画のような作りだ。
 どちらも、スポ根の原則をきっちりと押さえた展開なので、手に汗を握る感動も2本分だ。前半の姉妹の幼い頃の猛特訓の様子、男子の大会へ出場するというイレギュラーなレスリングの取り組み方がドラマチックにしっかりと描かれたため、後半、ナショナルチームに入り、自我に目覚めた娘と父親との仲違いや疎遠な関係が、最初の夢に向かって再び一緒に動き出し、家族の絆も再生されていくというスポーツと家族の感動ドラマに結実した感じがする。

 彼女らが吉田沙保里とも試合をしているという事実は何物にも代えられない事実なのだから、この物語は本当に凄すぎる。

 もう一つ凄いのが主演のアーミル・カーンの役作りだ。
 自分の現役選手時代の体格は実際のカーンをさらに鍛えあげたマッチョなレスラー姿で登場し、現役引退後はやや肉はついたもののマッチョな体系を維持した姿を見せつける。そのうえで、父親になり娘が成長するに連れて、どんどん肉付きが良くなり、筋肉からぜい肉に変わっていく姿を我々に見せていく。ラストの娘が金メダルを取り、ナショナルチームのコーチではなく客席の父親に駆け寄ってきたとき「お前は私の誇りだ」とリングサイドで語る姿は、もう60代過ぎのオッサンの姿にしか見えない役作りとなっている。

 聞けば、本作の中で一番キレキレの時と最後の時では27キロも体重が違うという。見上げた役者魂、まさにインド映画のロバート・デ・ニーロである。

「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」

2018-05-02 18:57:45 | goo映画レビュー
●ベッチー的映画三昧日記
 生きるべきか、死すべきかそれが問題だ!「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」


 本作を観ると、改めてマーベルの映画戦略が優れているかがわかる。MCA(マーベル・シネマティック・ユニバース)と呼ばれる2009年の「アイアンマン」から始まったマーベルコミックのヒーローたちを主人公に個々の活躍を描く作品群とそれと時間軸を同じにする、各ヒーローたちがドリームチームを結成し、その活躍を描く「アベンジャーズ」シリーズ。両者が伏線でつながり微妙な関係を持ちながら連続ドラマのように続いていくので、観る側も必然的に次回作も観なければと大ヒットを生み続けてきた。

 本作はその「アベンジャーズ」シリーズの第3弾というかマーベルの10年間の作品群の最終作「アベンジャーズ4」のためのプロローグというべき作品だ。したがって、悲劇的な要素が極めて強い。

 前宇宙を制圧する力を秘めた6個の“インフィニティ・ストーン”を求め、悪の帝王サノスが地球へ降臨する。アイアンマンをはじめ前作で敵味方に分かれたキャプテン・アメリカ派のヒーローたちも大集合する。そして新たにドクター・ストレンジや宇宙からの助っ人“ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー”たちも参戦してサノスを迎い撃つが、圧倒的破壊力の前になす術がない…。

 本作はすごく単純な話で、最初から最後まで強靭な敵に向かっていくヒーローたちとのバトルのみ。まるで「ドラゴン・ボール」の宇宙最強戦のようだ。 それでいて、各キャラクターの悩める情緒的部分や見せ場も設けてあるところが本シリーズの優れたところ。

 でも、サノスが強すぎて強すぎる。まさにラスボスである。しかし、この悪役が何も考えのないヒールではなく、彼なりにある目的を持って行動しているという点が設定の上手いところだ。ある意味、サノスにも彼なりの正義があるという設定。したがって、彼を単なる侵略者とみるかどうかも見方によって変わってくる。そんなサノスに対して、今までどのような逆境でも最後にチーム力で勝利を手にしてきた「アベンジャーズ」も「えっ!」という展開に声も出なくなる。

 本作は来年公開予定の最終作への序章ということになるが、このままいくと、本当に最後はサノスと刺し違えて地球ばかりか全宇宙のヒーローたちが全滅してしまうのかも?という展開である。

 自分たちが作ってきた絶対的ヒーローキャラを惜しげもなく、このようにしてしまうとは、恐るべしマーベル!である。

「レディ・プレイヤー1」

2018-05-01 19:16:43 | goo映画レビュー
●ベッチー的映画三昧日記
 スピルバーグ監督のイマジネーションに感服しました。70歳を過ぎてなお感性が進化「レディ・プレイヤー1」


 ハリウッドの巨匠スティーヴン・スピルバーグ監督の勢いが70歳を超えてなお止まらない。つい先日今年のアカデミー作品賞にノミネートされた社会派サスペンス「ペンタゴン・ペーパーズ」が公開されたばかりだが、早くも本作品とは全く毛色の異なるSF冒険映画「レディ・プレイヤー1」がお目見えした。これが80年代から90年代のポップカルチャー満載で日本の有名キャラも需要な役どころで登場するという日本ばかりか世界中のオタク羨望の映画だった。

 西暦2045年。貧富の差が激しくなった世界では、人々は現実の世界から逃避し、バーチャルネットワークシステム(VR)の仮想世界“オアシス”の中で過ごしていた。オアシスに存在する理想郷だけが人々の希望で、そこでは想像したことすべてが現実になり、誰でも何にでもなれた。ところが、オアシスを開発し、巨万の富を築いたジェームズ・ハリデーが亡くなり、彼がオアシスに隠した3つの謎を解き明かした者に56兆円に及ぶすべての遺産を譲り渡すというメッセージ発したため、その秘密を巡って激しい争奪戦が繰り広げられる。
 オアシスを唯一の居場所としてきた17歳の少年ウェイド(タイ・シェリダン)もその争奪戦に加わる…。

 ネタ晴らしはご法度なのでストーリーは詳しく話せないが、原作「ゲーム・ウォーズ」の作者アーネスト・クラインはかなりの日本贔屓なので日本のキャラクターが多く登場している。巷に既に流れているように、なんとメカゴジラとガンダムが戦うというとんでもない映像に遭遇することになる。
数多くのアイテムから私が最初に目についたのがカーレースに登場する車たちだ。「AKIRA」の金田バイクをはじめ、ウェイドの乗る「バック・ツー・ザ・フューチャー」の“デロリアン”や「マッド・マックス」の“インターセプター”、“バット・モービル”、“マッハ号”、“特攻野郎Aチームの黒バン”など、人気キャラの車が目白押しである。

もう、2時間20分、目をサラにしていても見逃してしまうほど、色々なキャラが瞬間的に出てくる。これらを確認するため、2回、3回観るというリピーターが増えているというが、本作は、DVD販売後に、どこにどんなキャラクターが登場しているのか探すのが流行りそうな感じである。
 とにかく、さすがスピルバーグ監督である。難しい著作権、版権をものともせず、これだけのキャラクターを総動員できたのは褒めるしかない。

 しかし、ビジュアルが鮮烈過ぎて、スピルバーグが本作で言いたかった、“現実社会もそう悪くはない。リアルな体験が一番”というメッセージがどれだけオタクたちに伝わったかどうかは疑問である。