つれづれなるまま映画を観て過ごす「ベッチーの映画三昧日記」

映画検定1級のベッチーのベッチーによるベッチーのための映画館鑑賞記録gooブログ。
コンテンツ:ベッチーの映画三昧日記

「マスカレード・ホテル」

2019-01-28 20:58:25 | goo映画レビュー
●ベッチー的映画三昧日記
 何を演ってもキムタクはキムタクだが、ホテルマンになりきろうとしたキムタクの本気度が見えた「マスカレ―ド・ホテル」


今最も実写映像化される作品の多い作家東野圭吾のベストセラー小説「マスカレード・ホテル」を木村拓哉と長澤まさみ主演で映画化したもの。

 都内で起きた3件の殺人事件の現場に残された数字を解読した結果、次の犯行場所がホテル・コルテシア東京であることを突き止めた警察は、ホテルに潜入捜査をする。暗号を解読した刑事新田(木村拓哉)は語学力を買われホテルのフロントマンに扮することになったが、ホテルマンとしてのプライドを持つ指導係の山岸(長澤まさみ)とたびたび衝突する。しかしお互いのプロ意識を認め、次第に力を合わせて捜査を進めていく…。

 推理小説の実写化は、二つのハードルがある。
 映画は時間が限られており、まず多くの伏線の中から、どれを選び、どれを削るかが、ファンの満足度を掴む分かれ目になる。私は原作ファンのひとりであるが、本作では2時間10分の枠内にそれぞれのキャラの設定と事件、怪しい宿泊客のエピソードについて簡潔に過不足なく描かれて、シナリオ化はほぼうまくいったように感じた。
 二つ目のハードルはキャスティングである。ベストセラーであればあるほど、色々な読者が主人公たちに自分なりの人物像を膨らませているから、読者の想像力を満たす配役は難しくなる。私は映画を観る前は主人公の新田役と木村拓哉のイメージが結びつかなかった。キムタクは何を演じてもキムタクになってしまい、本作でもやはり最後までキムタクのままだった。それを原作のエリートっぽい新田像をシナリオ段階でキムタクを意識した人物像にしたことで、あまり違和感なく観ることが出来た。珍しくキムタクが自慢の長髪をホテルマンらしく短くしたのは驚いた。「HERO」でも長髪で通したキムタクの本作に賭ける思いが伝わったように思えた。山岸役はもう少し若ければ吉田羊がドンピシャのイメージだが、長澤まさみもコメディ演技を封印し、凛々しく、芯の強そうなフロント職員をそつなくこなしていると思った。もう一人光ったのが新田の相棒だった能勢刑事を演じた小日向文世だ。彼はキムタク、長澤両人と最近もTVドラマで共演していたので気心が知れているのだろう。小日向とキムタクが絡んだシーンが特に良かった。小日向の飄々としていて、鋭い観察力を持ったコロンボのようなキャラがキムタク演じる直情型の新田を活かしていたように思える。

 小説「マスカレード・ホテル」シリーズは3冊出ていて本作は第1作の映画化だ。第2作目は新田と山岸が主人公だが、1作目の前日壇で二人が直接遭遇しない話なので実写化は無理だろう。3作目は、再びホテルに潜入捜査に入るという話で、ほぼ1作目同様の事件展開でホテル内だけのグランドホテル形式の群像劇だけに、実写版第2弾としては苦しい。下手に第1作との違いを出そうとするとせずに、割り切って原作に忠実に描けば良いかも。
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「クリード 炎の宿敵」

2019-01-16 20:05:01 | goo映画レビュー
●ベッチー的映画三昧日記
 ロッキー世代に感涙にわく、必然のドラゴ親子登場「クリード 炎の宿敵」


 ロッキーの永遠のライバルであり友であったアポロ・クリードの息子アドニスを主人公に新たな「ロッキー」のリブート作品「クリード チャンプを継ぐ男」が登場したときはロッキー世代の私は歓喜にむせび泣いたものだった。

 1作目が「ロッキー」、「ロッキー2」の焼き直しだったとすれば、2作目となる本作は35年の時を経た「ロッキー4」の正統な続編といえる。

 ロッキーの指導を受け、プロボクサーとして成長したアドニスは、ロッキー、父と同じように世界チャンピオンになる。その彼に、父アポロの仇であり、かつてのロシア王者ドラゴの息子ヴィクターが対戦に名乗りを上げてくる。ドラゴ親子は35年前のロッキーへの復讐のため、彼が育てたクリードを叩きのめそうと苦しい練習を積んできたのだった。ロッキーはドラゴ以上に大きな体と強大なパワーを持つヴィクターとの試合に自分たちとドラゴの戦いを投影し、対戦しないようにクリードに忠告するが物別れになり、クリードの元を去る…。

 アポロの息子を新シリーズの主人公として描く以上、ドラゴの登場は必然なのだろう。よもや35年を経て、「ロッキー4」の続編が観られるとは思ってもみなかったので、話の結末は想像できても熱くなってしまう。それはロッキーたちと同じ時間を経てきたということで、主人公(ここではロッキー、ドラゴ)の歩んできた人生と自分の歩んできた人生が重なってしまうからだ。この感覚はドラマの主人公が成長していくのと同じ時間軸を試聴者も歩んでいき、主人公の生きざまが自分に人生に投影できてしまったTVドラマ「北の国から」を見た時の感動と似ている。

 クリードを演じるマイケル・B・ジョーダンの肉体作りは見事だ。前半はマッチョであるが、ヴィクターとの体の違いを強調するようにしている。それが再戦時は一回り大きくなったのがわかるほどの筋肉のつけ方をしている。
 脇に回ったシルベスター・スタローンの抑えた演技は「ロッキー」初期を思いださせ、無機質でロボットのような端正な顔立ちだったドルフ・ラングレンの顔に刻まれた皺はそのまま35年の歩みを表すのに余りあるものだった。おまけに氷の女、ブリジット・ニールセンも登場し、否応なくロッキー世代の感涙を誘うには最高の仕掛けとなっている。

 しかし、ロッキー次世代の企画を立ち上げた功労者である1作目のライアン・クーグラー監督が理由は分からないが本作を降りたのは残念だった。それは、1戦目の敗戦から最高に盛り上がるリターンマッチまでのクリードの描き方で中だるみを感じ、いざ試合になったとき、いまひとつ冷めている自分がいたからだ。最高に心が躍ったのはあのロッキーのテーマが一瞬鳴った時というのが象徴している。結局、旧世代の「ロッキー」の呪縛から抜け出せないのだろうか。もし、クーグラーが演出したなら、予定調和の話をどのように運んだか、新世代の話をどう紡いだのか、とても気になった。
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