つれづれなるまま映画を観て過ごす「ベッチーの映画三昧日記」

映画検定1級のベッチーのベッチーによるベッチーのための映画館鑑賞記録gooブログ。
コンテンツ:ベッチーの映画三昧日記

「かぐや姫の物語」

2013-12-31 08:42:00 | goo映画レビュー
●ベッチー的映画三昧日記
 「平安絵巻の世界観を描いた究極のアニメーション」 



 竹から生まれた女の子が美しいお姫様になり、月に帰っていく…という童話「かぐや姫の物語」で、2時間17分をどうもたせるのかと思ったが、今までに観たことのないアニメーションの世界に酔っていたらあっという間に時間が過ぎてしまった。
 
 宮崎駿監督の盟友、高畑勲監督の14年ぶりの新作は、宮崎駿作品とは違うアニメーションの世界を表現した作家性の強い作品となっている。
 線画を強調した淡い色彩の画は、まるで1枚1枚の水彩画を観ているようだ。細部まで写真のように描き込まれた背景に代表されるリアルな表現のアニメーションが主流のなか、よくぞここまで冒険をしたものだと感心してしまった。
 しかし、この一見粗く、へたのように見える絵が、非常に観る者にイマジネーションを湧かせてくれることにびっくりした。単に絵が粗いのではなく、上手い絵描きが敢えて極限まで単純化させて描いている感じだ。したがって、よく観ると小さく描かれたものまで、しっかりとした形を保っていてそのデッサン力の高さに驚かされる。最初は上手くない絵のように思えた翁や貴族たちなども、今までにない人間らしい表情を見せ、気が付いたら物語にぐいぐい引き込まれてしまった。

 表現力を高めたもう一つの成功要因は先に役者がセリフを録音したプレスコ手法だ。かぐや姫を育てた翁夫婦を演じた地井武男と宮本信子は画の完成前に見事に感情移入したセリフを吹き込んだ。このことがかえってアニメーターたちのキャラクターに対するイマジネーションを確立させたという。まさに名優のなせる技で、地井武男渾身の遺作と言える。

 今まであまり知らなかったかぐや姫がなぜ地上へ来たのかその秘密が本作で語られている。かぐや姫と天女をモチーフにした羽衣伝説が結びついていたことを本編で知り、羽衣伝説の三保松原の所在地に住む住人として、これについても目からうろこだった。

「永遠の0(ゼロ)」 

2013-12-24 20:58:36 | goo映画レビュー
●ベッチー的映画三昧日記
 「一人の男の生きざまを通して戦争の愚かさを訴えかける佳作」


 大ベストセラーとなった百田尚樹の原作を読んで、かなり感動した方なので映画化に際しては少し不安を抱いていた。

 本作は宮部久蔵という一人の零戦搭乗員の生き様を描いたものだが、真珠湾から始まり、ミッドウェイ、マリアナ、レイテ、ラバウルまで彼が辿った激戦地が太平洋戦争の軌跡そのものとなっている。ゆえに、これだけの規模の戦闘シーンを物語の軸に展開していく原作を映像化するのは制作費面からも難しいのではないかと思っていたからだ。

 しかし、『ALWAYS』シリーズで“昭和”を、「名もなき詩のバラード」で“戦国時代”を見事に再現して見せた山崎貴監督は自身が脚本とVFXを担当して見事に映像化してくれた。
 山崎監督は、全ての激戦を映像化するのではなく、ダイナミックな戦闘シーンは最初の真珠湾、ミッドウェイ海戦に絞った。その中でも宮部久蔵(岡田准一)が搭乗する空母赤城をCGで精巧に、忠実に描くことで、スケールの大きさとスペクタル感を生み出すように努めた。赤城のシーンは素晴しく日本映画のCGとしては最高の出来ではないだろうか。

 また、原作はどちらかというと、男の生き様にポイントを置いた内容だったが、映画化にあたり、山崎監督はそのウェイトを変えて、宮部の家族、妻のまつの(井上真央)と娘の清子をより深く描くようにした。原作にない宮部と家族のつかの間のふれあいの場面、また、戦後のまつのと清子の暮らし振りをじっくり描いたことで、男性よりの話から、女性にも訴求できる話の展開になった感じがする。そして、なぜ宮部久蔵が最後にあのような行動をとったのか、彼の生き様も、より効果的に映し出す結果を生みだした。

 祖父の歴史を調べる現在の孫の視点と宮部の戦友たちから語られる過去の話を交錯させながら綴っていく原作の特徴もうまく処理できており、違和感なく物語に入っていくことが出来た。とくに宮部の語り部となる60年後の飛行士たち、平幹次郎、橋爪功、田中民、山本学、 夏八木勲らベテラン陣の演技が素晴しかった。

 巷では、本作は「ゼロ戦賛美の戦争肯定映画ではないか」という声もあるが、それはどうだろうか。全ての国民が同じ方向を向いていた時に、自分を貫き通した宮部久蔵という一人の男の生き方は、反戦をストレートに描く以上に私たちに戦争がいかに市井の人々の人生を翻弄してしまうのか、その愚かさを訴えかけてくる。

「47RONIN」

2013-12-21 15:13:24 | goo映画レビュー
●ベッチー的映画三昧日記
 「外国人から見たニッポンは未だこんな感じ?」

相変わらず外国人からみるとアジアはひとくくりで日本も中国も一緒のように見え、未だにニッポンは不思議の国らしい。
 「47RONIN」は赤穂浪士を題材にしているが、日本人からみるといくらファンタジー映画とはいえ、オペラ「ツゥーランドット」や「怪人フ―マンチュー」のようなチャイニーズ風な色つけに?と苦笑するシーンが次から次に出てくる。まぁ、本作は赤穂浪士ではなく、全く別物の外国人が作ったチャンバラ映画とみた方が腹がたたない。

 浅野と吉良の年齢設定を逆転させた配役は面白い発想と言えるが、仇討のきっかけとなる両家の確執がしっかりと描かれていないので、RONINたちがなぜ主君の仇を討とうとするのか、その理由、武士道や忠義は全く感じることは出来ない。大体、吉良よりも妖術師の菊池凛子が事の仕掛人で仇を討つなら彼女へ向けてでしょうって感じ。
 この監督は絶対に深作欣二監督の「里見八犬伝」や「魔界転生」を観ていると思うのだが、それらのイメージだけが先行して先に述べた侍が描かれていないので、何ともどこの国のお話なのかごちゃまぜの無国籍映画になっている。真田広之が出演しているのも深作作品へのオマージュと思える。でも、真田のアクションにしても、もっと彼を活かせたと思うのだが、肝心の殺陣で、真田のアクションの切れの良さはワンカットで見せることなのにブツ切りカットとしたりよく表現されていない。

 もうひとつ、本作の致命的なところはヒロインの配役ミス。菊池凛子演じる妖術師はぴったり様になっているが、相対するお姫さまの柴咲コウが菊池と同じ妖術師にしか見えないところだ。柴咲は可憐なお姫様ってタイプではなく、気の強さが売りのどとらかというと菊池と同じ妖術師タイプの顔。確かに「里見八犬伝」の薬師丸ひろ子のような初々しいお姫様女優は今すぐに思い浮かばないが、柴咲コウは完全なミスキャストだ。
 最後に、触れておかなければならないのが、47士の中に青い目のサムライ、キアヌ・リーブスがでてくる点。彼がこの物語に絡んでくる必然性が感じられず、非常に影の薄い存在だった。天狗に武道を教わったって、お前は牛若丸か?キアヌのことを話に出すのも忘れてしますところだった。

「ゼロ・グラビティ」

2013-12-16 09:45:45 | goo映画レビュー
●ベッチー的映画三昧日記
 「 間違いなくSF映画史上に残るエポック的作品 」


 予告編にひかれて観に行ったが、間違いなくSF映画史上に残るエポック的作品となるだろう。
 91分という近年では短めの長さだが、冒頭から最後まで全く息つく間を与えずに我々を大気圏外の未知の世界へ誘ってくれる。監督としてはちょっとブランクを経てだと思うがアルフォンソ・キュアロン監督はとても実験的な作品を作ってくれた。

 舞台は大気圏外の地球から600㌔無重力空間の宇宙、漆黒の闇の中で登場人物はたった2人(他の乗組員はほとんどで出ない)1人はベテランの宇宙飛行士マット・コワルスキー(ジョージ・クルーニー)、もう一人は宇宙実験のため飛行をしたエンジニアのライアン・ストーン博士(サンドラ・ブロック)。二人は船外でミッション実行中に突然、他国の宇宙ステーションの破片ゴミの飛来でスペースシャトルが大破、宇宙に放り出されてしまう。たった1本のロープが二人をつなぐが、残った酸素はわずか、しかも90分後には再び宇宙ゴミが飛来するという状況の中、必死に生還しようと試みる…。

 映画冒頭のまるで、自分が宇宙空間にいるのではないかという美しい世界が、一つのアクシデントによりあっという間に恐怖の世界へ変貌する。無重力中、シャトルへたどり着くことさえ難義な事だ。一歩間違えば、瞬時に宇宙空間を漂うことになってしまう。しかも、ネタばれになるので言わないが、映画の前半でストーン博士をさらなる試練が襲うことになる。この瞬間「えっ!本当」と絶句をしてしまった。これによって、本物語は生きることの尊厳と人間の強い生命力を見事にあぶり出す効果を高めた。見事な設定に唸ってしまった。

 映画を観る者も91分間、まるでサンドラ・ブロック演じるストーン博士と同じ立場になったような疑似体験をすることになる。恐怖の世界となる地球上空600キロの宇宙が、とてつもなく美しいのも事実だが、これを観ると、自分はちょっと宇宙へは行けそうもないなと感じる。

「ガッチャマン」

2013-12-15 21:13:11 | goo映画レビュー
●ベッチー的映画三昧日記
 「ガッチャマン、お前もか!タツノコ作品の受難は続く…」


 おそらく40代以上の人は必ず見たであろうタツノコプロのアニメの数々。当時我々の心を血沸き肉踊らせたタツノコプロの作品が近年次々と鳴り物入りで映画化されている。しかし「人造人間キャシャ―ン」「ヤッタ―マン」、「マッハGO,GO]など、どれもこれもいまひとつで、原作ファンを満足させる出来のものを生み出せていない。

 本作「ガッチャマン」はたタツノコ作品の中でも原作ファンが多いだけに、実写化に際して一体5人の戦士を誰が演じるのか興味津津だった。科学忍者隊リーダー“大鷲の健”に松坂桃李、健のライバル“コンドルのジョー”に綾野剛、健に思いを寄せる“白鳥のジュン”に剛力彩芽、ジュンの弟“燕の甚平”に濱田龍臣、“みみずくの竜”に鈴木亮平が扮すると発表され、今旬の若手俳優を集めているが、イメージできにくく、不安と期待が入り混じって完成を待っていた。

 結果は? 正直言って、原作を知るライブ世代からは満足からほど遠い作品と言わざるをえない。
 1970年代のアニメ作品が原作のため、主演俳優ののファン層はそもそも「ガッチャマン」を知らない。映画化ではどうしても、なぜガッチャマンが誕生したかという話から始めなけれならない。そのため、出だしがまだるっこい。TVドラマ的説明口調が多いのが気になった。しかも、健とジョーのキャラが暗すぎる。二人とも人間味を出し過ぎで、ヒーローだしさがない。ギャラクシーとの戦いもCGはお金をかけているがTVの戦隊ものレベルの内容の話でがっかりだ。

 製作陣は本作をプロローグに、続編制作を目論んでいたのかも知れないが、おそらくこの興行成績ではシリーズ化は「キャシャ―ン」同様難しいだろう。