つれづれなるまま映画を観て過ごす「ベッチーの映画三昧日記」

映画検定1級のベッチーのベッチーによるベッチーのための映画館鑑賞記録gooブログ。
コンテンツ:ベッチーの映画三昧日記

「苦役列車」

2014-05-31 06:07:40 | goo映画レビュー
●ベッチー的映画三昧日記
 「共感出来ないダメ人間なのになぜか心引く存在」
 
 2010年の芥川賞作家西村賢太は、その異色の経歴、言動、容貌から平成の無頼漢と呼ぶに相応しい。私小説作家を自認する彼の受賞作「苦役列車」が「マイ・バック・ページ」の山下敦弘監督により映画化された。

 昭和時代の終わりを告げようとしていた1986年、西村賢太自身がモデルの主人公北町貫多(森山未來)は19歳だった。父親が性犯罪事件を起こしたことにより一家は離散し、彼も中学卒業後日雇い労働をしながらその日暮らしの生活を続けてきた。
 人目を避け、孤独を紛らわせるため酒と風俗におぼれる毎日の中、ある日現場へ行く送迎バスで自分と同年齢の専門学校生の日下部正二(高良健吾)に話しかけられる。貫多は卒業後初めて友だちと呼べる人間を得、友と過ごす時間が貫多の孤独な心に変化を与える。一目ぼれした古本屋のアルバイトの桜井康子(前田敦子)とも正二の手助けで、友だちになることができた。三人での楽しいとき、しかし、そんな時間も長くは続かなかった。結局、彼の屈折した暴言や振る舞いに、彼らは次々と去って行く…。

 見た目にも体重を増量させ西村賢太をビジュアル的に意識した森山未來のダメ人間ぶりの演技が秀逸。心底本編で描かれる貫多って人間は本当にクズで嫌な奴だと思った。自暴自棄でこんな屈折した性格では、友だちが出来なくて当然で共感できない人物だと思った。ところが、見終わって時間が経って、なぜかしょうがない奴だけど、自分の中で貫多が気になる存在として残っていることに気づいた。
 それは、誰もが人をねたみ、他人と比べて自分の存在を確認する。本当は貫多のような面を潜在的に持っているからだ。だからと言って、社会規範を物ともしない貫多のようなある意味プリミティブな人間ばかりになったら、日本の社会はどうなるのだろうか、想像すると怖くなる。

 そんなことを山下監督も考えたかどうかはわからないが、原作では登場しないヒロイン桜井康子を創作したことで、本作が救いのない退廃的物語から少し青春映画っぽい体裁を整えることが出来た。
 原作の大きな変更となり賛否が分かれるところだが、私はラストの仲良かった頃の3人のイメージカットに絶望ではなく、一筋の光を見た。

「WOOD JOB!(ウッジョブ) 神去なあなあ日常」

2014-05-26 19:24:23 | goo映画レビュー
●ベッチー的映画三昧日記
 「矢口ワールドが冴えわたる、林業青春エンターティメント」


 前作「ロボジー」から2年、寡作な矢口史靖監督にしては比較的早いスパンで新作「WOOD JOB!(ウッジョブ)」が公開となった。

 「ウォーターボーイズ」から始まり「スウィングガールズ」、「ハッピーフライト」、「ロボジー」とその時の三面記事に載るようなちょっとした話題を矢口流イマジネーションで極上のエンターティイメントに仕上げてきた。
 今回は、里山ブームを背景に「林業」を題材に青春映画にしてしまった。これはオリジナルな本で作品を作ってきた矢口監督としては初めて直木賞作家三浦しをんの「神去なあなあ日常」という原作を基にしている。しかし、そこは矢口監督、今までの作品と同様に自身が脚本を書き、青春映画プラス、人が仕事に就くとは?という若者の就職という今日的な労働問題をも盛り込んでしまっている。

 毎日お気楽に過ごしていた、チャランポランな今風若者平野勇気(染谷将太)は、大学受験に失敗し、彼女にもフラれてどん底の状態で高校を卒業する。自分の居場所がなくなり、ふと見た美女(長澤まさみ)が微笑む1年間の林業研修プログラムのパンフレットに惹かれて応募してしまう。汽車を乗り継ぎ、たどり着いた研修地は、ケータイの電波も届かない田舎の神去村だった。鹿やらマムシやら虫だらけの山、今まで出会ったことのないような同じ人間とは思えないほど凶暴で野性的な先輩・ヨキ(伊藤英明)、命がいくつあっても足りない過酷な林業の現場……。耐えきれず逃げ出そうとする勇気だったが、例の表紙の美女・直紀が村に住んでいると知り、留まる事を決意する。休む間もなくやってくる新しい体験の日々、都会では出会えなかった野趣あふれる田舎暮らし、とてつもなく魅力的な村人(優香、西田尚美、マキタスポーツ、光石研、柄本明など)に囲まれ、勇気は少しずつ変わっていく……。

 矢口監督作品の特徴と言えば、前作でも触れたが、悪人や殺人シーンが出てこないことだ。初期の「アドレナリンドライブ」あたりまでの作品は、若さもあり多少毒気もあったが、2001年の「ウォーターボーイズ」で、すごく健康的な笑いの世界になった。これ以降、彼の作品に悪人が登場したり、人が殺されるようなシーンを観た記憶がない。
 ごく普通の人が事件に巻き込まれ、状況を打開しようと奮闘する中に笑いが生まれてくるといった図式が多い。ある意味、シッチュエーション・コメディーなのだが、三谷幸喜監督が作るものは少し違う。三谷コメディーは人間の行動をシニカルに分析し、他者との食い違いを笑いに転じさせている感じだ。その眼差しはちょっとひねくれており、奥底に人間に対する毒が潜んでいる。 それに比べて、矢口監督の場合は、登場人物を見つめる視線が非常に素直な感じがする。そのシッチュエーションを温かく愛情を持って見つめているのが作品全体から伝わってくるのだ
 本作でも、まったくの未知なる世界に飛び込んでしまった都会の若者の成長を軸に、人が働くということの意味は? 人が日々を生きていくということの喜びは? といった本質的な問題を笑いとともに語りかけていく。

今回の一番のミソは現代の若者を等身大で演じた染谷将太の存在だ。いつも眠たそうな彼の顔がどうもいま一つ好みでなかったが、本作品ではズバリその眠たそうな顔がやる気がなさそうな現代の若者を表現するのにピッタリはまった。おじさん世代の私は何度も画面を観ながら「だからお前ら若い者は!」と何度も言いたくなるほどだった。どこにもいそうな若者を見事に体現していた染谷の演技は一見に値した。

 ひとつ?と思ったのは山奥で研修中の彼を訪ねてきた大学生活を謳歌する元カノのサークル仲間が興味本位で訪ねてくるエピソード。山の生活を侮蔑した彼らを追い返すのだが、その後に続く話でもなく、彼の心の変化を表わす形としてはちょっと違和感を感じた。


「テルマエ・ロマエⅡ」

2014-05-25 10:34:50 | goo映画レビュー
●ベッチー的映画三昧日記
 「柳の下の2匹目のどじょうは難しい」


 2010のマンガ大賞、手塚治虫文化賞短編賞を受賞したヤマザキマリの人気漫画「テルマエ・ロマエ」。古代ローマのテルマエ(浴場の設計士)が現在の日本へタイムスリップして日本の風呂文化に感嘆しローマに持ち帰るという奇想天外なお話だ。この物語を草食系ではなく濃ーい顔の日本人俳優がが古代ローマ人に扮するといった着想と本格的ローマのセットを使って映画化するという、二つの試みが見事にフィット。2012年邦画界予想外の大ヒットとなった。

 そこで”柳の下のどじょう”をねらった続編が本作だ。
 もともと原作は短編だったし、キワモノ的内容だけに制作陣は続編を考えていなかったはず。前作はイタリアのチネチィッタに残っていたアメリカ映画で使ったローマのセットを再利用し、日本映画にしては壮大な感じに仕上がっていた。大ヒットを受け、作られた本作はある程度の入りが見込めるため、新たにブルガニアにローマのセットを自前で作ったらしいが、やはり前作のローマのセットよりは劣る感じだ。
 
 古代ローマでの公衆浴場のルーツは実は日本の風呂文化だったという物語も1作目で、すべて語られているので、風呂のバリエーションを変えるしかなかったのだろう。前作以上に古代ローマと現在の日本を行き来する展開の回数を多くした。いろいろな日本のお風呂をローマへ持ち帰り取り入れる中で異文化との遭遇を笑いに転化させる手法もここまで数が多いと飽きてくる。何となく各種お風呂の紹介のような映画になってしまった。

 それなりに笑わしてくれるが、正直1作目のようなインパクトと新鮮な笑いはなかった。1作目を超える続編を作りだすのはやはり難しい。
 

「ブルー・ジャスミン」

2014-05-17 22:07:47 | goo映画レビュー
●ベッチー的映画三昧日記 
 「ケイト・ブランシュットが魅せるブルーな花は人間の悲しい性」

 毎年コンスタントに作品を発表しているウディ・アレンが久しぶりにヨーロッパではなく、アメリカを舞台に作った作品だ。
 
 ニューヨークの社交界でセリブとして名をなしていたジャスミン(ケイト・ブランシェット)は、夫(アレック・ボールドウィン)の浮気、事業の失敗により、きらびやかな暮らしから一転どん底に堕ちる。仕方なくサンフランシスコに住む唯一の身内である腹違いの妹ジンジャ―(サリー・ホーキンス)の家に転がり込む。家庭も資産も名声も全てを失ってしまったのに、ジャスミンはその現実に対応できず、虚栄を張り続ける。そして、彼女の心は次第に壊れていく…。
 
 ウディ・アレンが本作ではここ数作のパターンの群像劇ではなく、一人の女性にスポットを当てて、成功から突然、転落した人間の姿とその心の内をシリアスに描いている。しかし、この女性の姿をシリアスに描けば描くほど、悲しいかなその振る舞いが滑稽に見え、笑いがこみあげてしまう。

 それにしても本作は配役がドンピシャリとはまった。漫画「白鳥麗子様」のような超セリブで、転落後もその事実を理解できずに虚栄を張り続け、やがて心を病んでしまう、まさにブルーなジャスミンをケイト・ブランシェットが見事に演じている。普通でもゴージャスなケイトがアレンの采配に応え、よりゴージャスなそれであって複雑な心を持つ女性を体現した。そして本作の演技によってゴールデングローブ賞ドラマ部門主演女優賞とアカデミー主演女優賞を獲得した。
 彼女を迎える妹を演じたサリー・ホーキンスも、ジャスミンと全く真逆な庶民派ぶりを演じ切り、アカデミー助演女優賞にノミネートされた。この二人のキャスティングがあってこそ成立した作品である。彼女たちを取り巻く男たちも、ジャスミンとジンジャーとでは全く異なる人種が集まって来るというところも、現実的で複雑な思いで観ていた。

 また、音楽家でもあるウディ・アレンは劇中の音楽の扱いがうまい。本作では往年のスタンダードナンバー「ブルームーン」を使っているが、このメロディが憂鬱なジャスミンの深層心理を見事に表わしている。

「アメイジング・スパイダーマン2」

2014-05-07 20:22:40 | goo映画レビュー
●ベッチー的映画三昧日記

「まさにアメイジングなストーリー運びの第2弾」

 遺伝子操作によるスーパークモに刺されたことから超人的能力を身につけた青年ピーターがクモの能力を駆使して正義の味方スパイダーマンとして、ニューヨークの平和を脅かす敵たちに立ち向かう…。

 サム・ライミ監督シリーズの「スパイダーマン」から、それほど年数が経っていないに、再シリーズ化され世界中で大ヒットした「アメイジング・スパイダーマン」。

 本作はその2作目で、新たに登場する悪役以外は前作からのキャストがほぼ全員続投している。
 スパイダーマンの前に立ちふさがる新たな強敵は3人。ジェイミー・フォックスが演じる人間発電機「エレクトロ」、前シリーズではジェームス・フランコが演じたハリー役のデイン・デハーンの「グリーン・ゴブリン」、そしてポール・ジアマッティ演じる「サイ型パワードスーツ」を装着した犯罪人ライノだ。この3人との戦いを背景に、ピーター(アンドリュー・ガーフィールド)とグゥエン(エマ・ストーン)のラヴ・ストーリーが綴られていくという仕立てだ。
 
 1作目のレヴューで、「500日のサマー」マーク・ウェブ監督を用いて、全シリーズよりスパイダーマンが若返り青春ドラマの様相を強めたことが功を奏していると述べたが、 本作を観て一番気になったのが、1から2の2年弱で、あまりに主人公のアンドリュー・ガーフィールドの見た目の劣化が進み若さが感じられなくなったということだ。

 これは単にヘアースタイルの問題だけではない。体全体はさほど太ったというほどではないが、顔はシャープさが消え、ひと回り膨張したように見え、頬も弛みが目立つ。アップの表情も高校の卒業生というより、もうおじさんっぽい。相方のエマ・ストーンも歳をとったが、まだガーフィールドほどひどくはない。今回新たに登場したハリー役のデイン・デハーンの若さというか子どもっぽさが強いため、この二人が同級生という設定も私には無理があるように感じた。

 でも、映画自体が悪いわけではない。最新技術を駆使したスパ―ダ―マンの飛翔シーンはもう極限まで達した感じの出来で、その浮遊感覚は観ている者まで、共有させてくれるほどだ。
 そして、新シリーズ2作を牽引してきたグゥエンのショッキングな展開には驚いたが、次回作はどうなるのか?観客のイマジネーションと期待感を大いに膨らませてくれるラストはさすがだ。