つれづれなるまま映画を観て過ごす「ベッチーの映画三昧日記」

映画検定1級のベッチーのベッチーによるベッチーのための映画館鑑賞記録gooブログ。
コンテンツ:ベッチーの映画三昧日記

「新宿スワンⅡ」

2017-01-29 19:15:01 | goo映画レビュー
●ベッチー的映画三昧日記
 ヤクザ映画の平成バージョンのような男たちの群像劇「新宿スワンⅡ」


新宿歌舞伎町を舞台にスカウトマンたちのしのぎを削るバトルを描いた人気コミックの実写映画版「新宿スワン」の続編だ。

 男たちの群像劇で、主演俳優も綾野剛や山田孝之、深水元基など「クローズ」とかぶり、「クローズ」の高校生がそのまま卒業後に歌舞伎町へ来た感じだ、というのが前作の感想だった。
 「愛のむきだし」、「ヒミズ」など衝撃作を次々と発表してきた園子温監督がこの頃からメジャー資本の商業映画が多くなったような気がする。本作も手堅く娯楽作品としてまとまっているが、インディーズの頃の園子温監督作品のような毒の強さはない。

 歌舞伎町のスカウト会社「新宿バースト」の白鳥龍彦(綾野剛)は、大きくなった会社を維持するため、新天地進出の先陣を命じられる。幹部の関(深水元基)とともに送り込まれたのは“横浜”。実は横浜は関のかつての盟友だった滝(浅野忠信)が「ウィザード」というスカウト会社の絶対的存在として君臨している場所だった。バーストの横浜進出を知った滝は逆に新宿を自分の配下に収めようと、両社の間に激しいバトルが展開されていく…。

 1作目も旬の男優陣が勢ぞろいしていたが、本作は浅野忠信、椎名桔平などのベテランも加わり、より豪華な顔ぶれになり、体育会系イケメン俳優たちのオンパレード作品となった。物語も新宿内の勢力争いから、新宿対横浜の縄張り争いと都市間競争さながらのバトルとスケールアップしている。話として、前作のメインキャラ、ヒデヨシ(山田孝之)の犯人捜しなど、1作目とつながっている部分もあるが、本作だけを観てもわかる筋立てになっている。関と滝の男同士の因縁話は、一昔前なら東映のやくざ映画によくあったパターンで、わが世代には懐かしい展開だった。そして、二人を陰で操っていたやくざの総長を東映ではチンピラばかりやっていた中野秀雄が演じていたということに時代の流れを感じた。
 
 綾野剛演じる龍彦は若手エース格のスカウトに成長しているが、前作以上に、単純な性格で良い人になってしまったのが気になる。まあ、周りの人物たち、真虎(伊勢谷友介)、葉山豊(金子ノブアキ)、時正(村上淳)が何か裏のあるキャラだから、そういう設定にしてあるのかも。この後も続きそうなシリーズだしね。

P.S.今回の紅一点のヒロイン役は広瀬アリスだったが、彼女がどうしても若いころの水野美紀に見えてしかたがなかった。

「ヒトラーの忘れもの」

2017-01-25 18:44:20 | goo映画レビュー
●ベッチー的映画三昧日記
 「ヒトラーの忘れもの」

1945年5月ナチス・ドイツの降伏後のヨーロッパでの戦後処理を敗者、勝者の両方の視点から描く人間ドラマだ。

 ナチス・ドイツは連合軍の上陸作戦を阻止しようとデンマークの海岸に多くの地雷を埋めた。その数は200万ともいわれている。連合軍はその撤去作業を捕虜のドイツ兵にやらせることとする。任務にあたったのは年端もいかない少年たちだった。2000人余の少年兵が任務にあたり半数以上が亡くなったという。本作はデンマークでもあまり知られていないこの歴史的事実を基にした映画だ。

ドイツ降伏後のデンマーク。多くのドイツ軍兵士が自国へ戻る行軍中のさなか、少年兵たちの一団が地雷除去のにわか訓練を経て各地へ駆り出されていく。
デンマーク軍軍曹の指揮官(ローラン・モラー)は、少年兵11名を連れて、ある浜辺へ赴く。ナチスへの憎しみに満ちていた軍曹は少年らに厳しくあたる。少年兵たちは食事もろくに与えられずに死と隣り合わせの危険な任務をこなしていく、“地雷を全て撤去したら国へ帰してやる”という言葉を信じて。
来る日も来る日も地雷を撤去し続ける少年たち、無垢な少年たちの姿に次第に軍曹は自分のやっていることの是非に葛藤することになる。やがて極限状態の中、少年たちにミスが発生し一人の少年が爆死する。それを発端に一人、またひとり命を落としていく少年たちに、指揮官はある決意をする…。

 指揮官を演じる軍曹が、ドイツ軍のどれほどの憎しみを持っているのかという所が冒頭数分で描かれている導入部がうまい。これにより本作のポイントである物語の進展につれて悩み、自問自答する彼の姿がよりクローズアップされた。
 当時実際に地雷が埋められていた場所で撮影されたという浜辺の映像は時に美しくもある。特に心を開きかけた軍曹と少年兵たちがサッカーで戯れるシーンは本作で最も美しく、欧州映画らしい。それだけに、その後の出来事が一層悲惨さを訴えてくる。

 戦争は敗者も勝者もどちらも犠牲者である。やった行為を正当化しようとは思わないが、どちらか一方が正義でどちらか一方が悪ということは決められない。
 本作を観るとそれを強く感じることが出来る。


「ホドロフスキーの虹泥棒」

2017-01-17 21:20:02 | goo映画レビュー
●ベッチー的映画三昧日記
 監督の名を冠した理由は、名前で呼ぼうということ?「ホドロフスキーの虹泥棒」


 「エル・トポ」、「ホーリー・マウンテン」、「サンタ・サングレ 聖なる血」の3作で世界中に今なおカルト的ファンを持つアレハンドロ・ホドロフスキー監督の1990年制作の未公開作品が近年のホドロフスキー再考のブームでようやく公開された。

風変わりな大富豪(クリストファー・リー)が娼婦たちとの乱痴気騒ぎ中に心臓発作で昏睡状態になる。親族たちは彼の遺産が、同じく風変わりな甥メレアーグラ(ピーター・オトゥール)に渡るのでは気を揉んでいた。その話をこっそり聞いていたメレアーグラは、愛犬クロノスとその場を去る。5年後、愛犬クロノスに死なれたメレアーグラは、コソ泥のディマ(オマー・シャリーフ)と地下下水道で暮らしていた。二人はルドルフの死と、相続できるはずの遺産を待ちわびていたが……。

 本作はヨーロッパのみで公開されたというが、それも何となく理解できる。ホドロフスキーにとって初のメジャー資本の商業映画で、「アラビアのロレンス」のピーター・オトゥール、「ドクトル・ジバゴ」オマー・シャリーフ、「ドラキュラ」シリーズのクリストファー・リーという大俳優たちを贅沢にキャスティングしているのに、全く興行的なことは考えていない。また、ホドロフスキーにしては毒度が薄く、お金をかけて単に映像美を楽しんでいるだけのように見える。オマー・シャリーフの泥棒はその日暮らしの自由人で面白いキャラだが、ピーター・オトゥール演じるメレアーグラが何を考えているのか、どのような人物なのか全くわからない。別に分からなくともよいのだが、彼が富豪の叔父の財産を待ちのぞんでいる感じもしないので、なぜ彼が地下で隠遁生活をしているのか理解できないのが最大の難点だ。ラストにいたって、豪雨により住処の地下水道が大洪水になり、デュマの導きで逃げ出そうとする途中で、突然あきらめて濁流に身を委ねるメレアーグラには「えっ」である。
作品の世界観としては、なんとなくイタリアのフェデリコ・フェリーニ監督のようでもあるが、ようするに、何をどう伝えようとしたいのかよくわからない中途半端な作品なのだ。

本作を観ると、この当時ホドロフスキーが人生を賭けて必死に取り組んでいた「デューン」の映画化にメジャー資本が二の足を踏んだのもわかる。ホドロフスキーに娯楽大作を任せるのは非常にリスクの高い賭けだからね。


「湯を沸かすほどの熱い愛」

2017-01-12 19:40:50 | goo映画レビュー
●ベッチー的映画三昧日記
 ビギナーズラックでないことを祈る新しい映画界の星、中野量太「湯を沸かすほどの熱い愛」


 中野量太監督自ら脚本を書いた商業映画デビュー作「湯を沸かすほどの熱い愛」が玄人筋の受けがとても良い。
 わが地方都市でも良い評判を聞いてかやっと公開されたので早速観てきた。

 ある地方都市、銭湯幸の湯は1年前に主(オダギリジョー)が蒸発して以来閉店休業だった。妻の双葉(宮沢りえ)はパート勤めをしながら娘の安澄(杉咲花)と母娘二人で頑張ってきたが、ある日突然余命3か月の末期がんと宣告される。
 気丈な双葉は残された時間を使い、生きているうちにやるべきことを着実にやり遂げようと決意する。
 それは、家出した夫を捜し、家業の銭湯を再開させること。優しすぎて気の弱い娘を独り立ちさせること。そして娘をある人に会わせるということだった。

本作の成功の要因はふたつ。
まず主人公一家のキャスティングだ。脚本にほれ込み一発で出演を快諾したという宮沢りえの母親役は今年度の主演女優賞確定ものの演技だ。しかし、彼女と同様に娘役の杉咲花と父親役のオダギリジョーが素晴らしい。
 この家族が醸し出す何とも言えないハーモーニーによって、宮沢の演技がより高いものの昇華しやように思える。

 そして、俳優陣をその気にさせた脚本だ。
 余命宣告された母親と家族の最後の日々を扱った映画は数多くある。先読みが出来てしまう予定調和の物語なのに、これほどの感動作に持っていけたのは監督自らが書いたオリジナルの脚本だ。
 なぜ、夫は1年間にいなくなってしまったのか、娘が学校生活で隠していること、毎年決まった日に送られてくるカニのことなど、家族が持つ色々な秘密が双葉の奮闘で一つ一つ明らかになっていき、そのことでかえって家族の結びつきを強くなっていくという過程は今までになく新鮮で見事な展開だった。

 映画のラストも一歩間違えれば、ブラックかホラーになってしまうところだが、それまでの過程をしっかり見てきたから、“この母親とこの家族だからね”さもあり何と微笑んでしまうところに本作の良さのすべてがある。
 

「海賊とよばれた男」

2017-01-08 22:03:26 | goo映画レビュー
●ベッチー的映画三昧日記
 時間を費やして丁寧に描くことが出来れば、感動的な作品になったのに連ドラ向きの「海賊とよばれた男」


 「永遠の0」のトリオ、百田尚樹原作、山崎貴監督、岡田准一主演が再度集結して本屋大賞のベストセラー小説「海賊とよばれた男」を映画化したもの。
 大正、昭和と石油販売を行う国岡商店を率いてきた田岡鐡造の生き様を通して、特に戦後の復興期、日本人としての誇りを失わず世界の列強と対峙した男たちを描いた骨太の作品だ。

本作のモデルが出光興産の創業者出光佐造であることはよく知られている。映画の中でも出てくるが出光は純国産の石油会社だ。最近も出光と外国資本との合併に創業家が反対して紛糾しているとのニュースが流れたばかりだが、本作を観るとその理由もわかる。独自の哲学と行動力で戦後日本に勇気と希望を与える大事業を成し遂げてゆく男の姿は確かに日本人なら感動ものの物語だ。

 しかし、いかにせんこれだけの長編小説を2時間半の映画におさめるのは至難の業だ。したがって、本作も某放送局の大河ドラマの総編集版を観ているかのような感じだ。CGやSFXの名手山崎監督だけに、日本映画とは思えない角度の戦争場面、当時の街並み、また巨大タンカーの進水場面などはなかなかのものだ。またほとんどのシーンを60歳以上で出演する岡田准一の老けメイクも見所だ。しかし、肝心の人間ドラマの部分が薄くて感情移入とまではいかなかった。登場人物の心を描く時間が足りなかったため、カリスマ的リーダー田岡鐡造が折々に吐く言葉も表層的になってしまった。鐡造を盛り立てる共演陣、小林薫、吉岡秀隆、染谷将太、野間口徹、鈴木亮平、ピエール瀧、堤真一らにとても魅了的な人物が多かったのが原作の面白さだったはず。彼らのエピソードをもう少し丁寧に描くことで物語に厚みを持たせることのできたはずなのにもったいなかった。

 昨年WOWOWが山崎豊子の長編小説「沈まぬ太陽」を20回の連続ドラマで制作したが、映画版よりはるかに重厚なドラマに仕上がっていた。
 本作も、どちらかといったら連続ドラマ向きだ。それぐらいの時間を費やして丁寧に描くことが出来れば、もっと感動的なものになったのではないだろうか。