●ベッチー的映画三昧日記
”これだけは描きたい”という”さそり”監督の執念のこもった一作。
第二次大戦直後1945年から1946年のGHQ占領下の日本、戦後処理の政治力学の中で、日本に新しい憲法制定を促すアメリカ
(GHQ)側と日本国としての独立回復を目指す日本側との攻防を描いた政治ドラマだ。
現憲法制定の話は、テレビや映画で幾度か描かれてきた。
その時、外せない登場人物は当時の外務大臣吉田茂(とワシントン平和講和条約締結時は首相)と彼の参謀となった英国帰りの実業家白洲次郎である。
本作でもこの二人が主要な役どころであるが、どちらかというと憲法制定をめぐる群像劇で日本の内閣とGHQの係った人すべてが主人公といえる。
そこで、本作の致命的な過ちはアメリカ側のキャストだ。日本側は小林薫、浅野忠信、宮沢りえ、石橋蓮司、松重豊、柄本明などそうそうたるメンバーを揃えているが、アメリカ側の出演者はテレビなどで顔を見かける人もいるがプロ俳優かどうかわからないような在住外国人キャストとなっているようだ。どう観てもアメリカ側の部分だけテレビの再現ドラマレベルになってしまった。せめてマッカーサー元帥などキーとなる人物はハリウッド俳優を配置すれば、もう少し重厚なドラマになったのではないだろうか。そこが残念でたまらない。
そしてもうひとつ特出すべきは、本作の論調である。単刀直入に”現憲法は戦後処理の中で、半ばGHQによってつくられた物である”という立場をとっている。「女囚さそり」など東映で活躍したベテラン伊藤俊也監督が、自分の考え、思いをストレートの出している点は買えるが、憲法改正問題がクローズアップされている昨今、ここは大きく賛否が分かれるところだろう。
個人的には昭和の坂本龍馬の如く戦後に突然現れた白洲次郎のヒーローぶりは興味深く観てきた。今回、以前NHKで伊勢谷友介が白洲次郎を演じたドラマとまた違った視点で次郎を観ることが出来て面白かった。
”これだけは描きたい”という”さそり”監督の執念のこもった一作。
第二次大戦直後1945年から1946年のGHQ占領下の日本、戦後処理の政治力学の中で、日本に新しい憲法制定を促すアメリカ
(GHQ)側と日本国としての独立回復を目指す日本側との攻防を描いた政治ドラマだ。
現憲法制定の話は、テレビや映画で幾度か描かれてきた。
その時、外せない登場人物は当時の外務大臣吉田茂(とワシントン平和講和条約締結時は首相)と彼の参謀となった英国帰りの実業家白洲次郎である。
本作でもこの二人が主要な役どころであるが、どちらかというと憲法制定をめぐる群像劇で日本の内閣とGHQの係った人すべてが主人公といえる。
そこで、本作の致命的な過ちはアメリカ側のキャストだ。日本側は小林薫、浅野忠信、宮沢りえ、石橋蓮司、松重豊、柄本明などそうそうたるメンバーを揃えているが、アメリカ側の出演者はテレビなどで顔を見かける人もいるがプロ俳優かどうかわからないような在住外国人キャストとなっているようだ。どう観てもアメリカ側の部分だけテレビの再現ドラマレベルになってしまった。せめてマッカーサー元帥などキーとなる人物はハリウッド俳優を配置すれば、もう少し重厚なドラマになったのではないだろうか。そこが残念でたまらない。
そしてもうひとつ特出すべきは、本作の論調である。単刀直入に”現憲法は戦後処理の中で、半ばGHQによってつくられた物である”という立場をとっている。「女囚さそり」など東映で活躍したベテラン伊藤俊也監督が、自分の考え、思いをストレートの出している点は買えるが、憲法改正問題がクローズアップされている昨今、ここは大きく賛否が分かれるところだろう。
個人的には昭和の坂本龍馬の如く戦後に突然現れた白洲次郎のヒーローぶりは興味深く観てきた。今回、以前NHKで伊勢谷友介が白洲次郎を演じたドラマとまた違った視点で次郎を観ることが出来て面白かった。