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映画『東京家族』について

個人的メモ(293)

2024年12月11日 | 映画『東京家族』
 先日偶然にラジオの NHK FM で、音楽家の斎藤高順(たかのぶ)の特集があり、全部は聞けなかったので、こういう時こそ radiko のタイムフリーだと思ったが対応しておらず、何処かに違法アップロードでも落ちていないかと探していると、なんとNHKの公式で、12月14日まで聞けるようで良かった。タイトルは『小津映画の音楽家 斎藤高順生誕100年』であり、音楽評論家の片山杜秀氏が担当していられた。
 
 小津安二郎はサイレント(無声映画)時代からの監督であり、その時の音楽に関しては、各映画館が楽士を雇って、場面に合わせて、例えば活劇だったらロッシーニの『ウィリアム・テル』だったり、泥棒と警察の追いかけっこだったらオッフェンバックの『天国と地獄』、悲しいにつけ楽しいにつけフォスターの有名な曲等を繰り返して生演奏し、観客もその類型を大いに楽しんでいたそうである。だから、トーキーの時代になっても小津監督は、「悲しい,楽しい等の感情は、役者の演技によってわかるように我々は撮っているのだから、それを殊更に増幅する必要はない」との考えだったようで、音楽はそれを超えて、悲しくても楽しくても構わず世界は巡っていく、というような超然としたものを、サイレント時代の記憶と共に求め続けたということだ。













サセレシア=サ・セ・パリ+バレンシア

『東京暮色』












































『秋刀魚の味』


























































 更に言うと、少し後の黒澤明も音楽に同じく、サイレント時代の類型のようなものを求めたこともあったようで、武満徹に音楽を依頼する時にクラシックの曲を例に出すので、だったらその曲を使って下さいと武満が言うと、いや、君の好きなように書いてくれていいんだ、と言われたけれど微妙にそれが頭に残る、と冗談めかして書いたりしていた。














































































































































 このサイレント時代の記憶は、やはり山田監督にも繋がっており、例えば坂本龍一の『母と暮せば』も、感情の増幅を全篇に渡って抑えた楽劇であった。

































































































 
 

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