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映画『東京家族』について

1946年の精神(10)

2017年11月29日 | 映画『東京家族』
【現在の改憲論議の概要】


〔イ〕 与党が考える改憲案


〔ロ〕 現行憲法の精神を守るための改憲案


〔ハ〕 現行憲法を守るという考え





 現在の改憲論議を大きく分けると以上の三つになる。
 
 〔イ〕の与党が考える改憲案は、簡単に言うと、現行憲法の持つ三大原則(国民主権,基本的人権の尊重,平和主義)を後退させるためものだ。嘘だと思う方は、自民党の「日本国憲法改正草案」を読んで、ご自身で判断してほしい。
 https://jimin.ncss.nifty.com/pdf/news/policy/130250_1.pdf




 〔ロ〕の現行憲法の精神を守るための改憲案はいろいろあるが、ここでは、最近目にした「山尾案」を紹介しておく。









 〔ハ〕の現行憲法を守るという考え方の代表としては、このツイートを埋め込んでおく。








 まず与党の〔イ〕案は、国民の権利を縮小させるためのものだから、普通に考えると、国民の側から「我々の権利が多すぎるからそれを少しでも削ってくれ!」というようなデモが起こる可能性はほとんどない。そこで「隣国の脅威」や「不当に得をしている者」などへ“注意を別のところに向けさせることはできる。”『バーニー・サンダース自伝 (p.217)』



 議論の傾向として、〔イ〕は〔ハ〕を、「非現実的」,「お花畑」とみなすことが多い。不思議なことに、本来は手を結べるはずの〔ロ〕も〔ハ〕に対して同様の言葉を向けることが少なからずある。〔イ〕も〔ロ〕も〔ハ〕も、言論は自由であるからどんどんそれぞれの議論を深めるべきであるが、相手を攻撃して相対的な優劣を競うのはあまり意味がないので、それはお互いに控えたほうが冷静な論議になるだろう。

 この〔イ〕〔ロ〕〔ハ〕のなかで、私が賛同する考えは、ここまで「1946年の精神」に書いてきたように〔ハ〕である。この「71年間」への評価は、例えば〔イ〕で示した改憲草案の委員に名を連ねていない、引退された谷垣 禎一氏等とも一部共有できるのではないかと思っている。


























“次の戦争が起こったら、遺体袋に入って帰ってくるのは誰か?(p.230)”
“民主主義社会の選挙運動は、多大な教育的側面を持つべきだ。(p.235)”
“私はネガティブ宣伝を放送したことは一度もない。(p.321)”
“誤解を招く宣伝は放置してはならない。(p.322)”
“投票に意味があると思えば、貧困層は投票する。(p.229)”
“政治の世界では、学びつづけないとどんどん不利になる。(p.180)”











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1946年の精神(9)

2017年11月26日 | 映画『東京家族』
 サイモン&ガーファンクル に匹敵する美しい歌を日本で歌える人となると、それはやはり井上陽水であろう。サンダースも書いているように、テレビとラジオのキャンペーン広告は無視できない重要なものだ。なかでも短いメッセージにおける“effective”な音楽の重要性は、映像と同等かそれ以上のものがある。野党は来たる国民投票のキャンペーンにその楽曲を使用できるよう、陽水氏のもとへ、党首または党を代表できる人物が「駄目元」で訪ねておくべきではないだろうか。
 しかしひとつ大きな問題がある。陽水氏は、先輩の吉田拓郎氏とともにノンポリなのだ(笑)。これは私の勝手なイメージなのかもしれないが、「拓郎」と「陽水」が小学校や公民館で選挙の投票をしている図をどうしても想像できない。だが事は国民投票である。60年代から70年代の政治の季節には、それから距離を置くのがひとつの態度として格好良かったかもしれないが、時は廻り、現在のそれは当時とは逆になっているのではないだろうか。












































「結詞」 井上陽水

浅き夢 淡き恋
遠き道 青き空

今日をかけめぐるも
立ち止るも
青き青き空の下の出来事


迷い雲 白き夏
ひとり旅 永き冬

春を想い出すも
忘れるも
遠き遠き道の途中での事

浅き夢 淡き恋
遠き道 青き空




























参考映像「JR東日本 山形駅長篇」


















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1946年の精神(8)

2017年11月22日 | 映画『東京家族』
 自民党と公明党の発議する第九条の改憲案に、国民投票で賛成の票を入れる予定の方は、ぜひこの映像を見て、心の準備をしておいてほしい。





 これは英国の、戦没者慰霊式典(Remembrance Sunday)である。
 日本では「戦没者」というとすぐに第二次大戦が思い浮かぶけれど、英国では第一次と第二次大戦、そしてその後も現在まで続く戦争の戦没者も含まれる。それはこの映像のなかの、式典の前の対談等によってよくわかる。第九条を改定すれば、日本も否応なく、例えばこの映像にもあるアフガニスタンのような戦場へ行き、現地の人々を殺し、あるいは殺されて、国では毎年厳粛な式典が国王(天皇)によって主宰される状況が確実に現出するのだ。
 





















“FArTHER” Grahame Baker-Smith













 しかし英国は、与党と野党が真剣な議論を重ねた上で出した結論だから、国民は納得もできる。




「女王陛下の野党」(2017.11.4.『東京新聞』)


 首相と野党党首の入場場面
https://youtu.be/-ZmUKgW0fS0?t=2089








 日本では先の大戦時の経験も踏まえ、与野党の対等で真剣な討議が成り立つのであろうか。
 甚だ心許無い。






















『「筆洗」まるっと写しノート』 発売中!
http://www.mogishinbunten.net/?blog=%E3%80%8C%E7%AD%86%E6%B4%97%E3%80%8D%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%81%A3%E3%81%A8%E5%86%99%E3%81%97%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%8810%E6%9C%8824%E6%97%A5%E3%81%8B%E3%82%89%E7%99%BA%E5%A3%B2%EF%BC%811%E5%86%8A108

^Ⅲ^)/

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1946年の精神(7)

2017年11月17日 | 映画『東京家族』
 
 与党の国会議員のなかには、「現行憲法は日本語としておかしい」という主張をする方々もいるようだ。まだその詳細を聞く機会を私は持っていないので、判断は留保せざるを得ない。しかしその方たちの一部には、もしかしたら、現代日本語文法の理解を欠くことから来る誤解があるのではないかと推察している。まさかそんなことはない。国権の最高機関たる国会の構成員に対して何という事を言うのか。失礼である。と常識的には思う。しかし現在は、「想定外」の事態も想定せねばならぬ時代なのである。
 


 まず、「前文」の冒頭、第一文を見てみよう。


『聴く日本国憲法』エイベックス・マーケティング(株),ヤング・スタッフ(株),中央経済社(株)






 


 この文章の「主語」が「日本国民」であることに、どなたも異論はないであろう。









 


 では、「述語動詞」は何であろうか。皆さんもちょっと考えてみてほしい。
























 青いマーカーで塗った言葉が「述語動詞」であろう。





 この文章の主語と述語、言い換えると文章の骨格は次のようになる。

 日本国民は、行動し、確保し、決意し、宣言し、確定する。




 

 私の提案としては、議論の前提となる、このように簡単な文法問題、というか読解力テストを10問ぐらい作って、全国会議員に受けてほしいと思っている。社民党と共産党の議員はたぶん、全員全問正答するだろう。私の勝手な予想では、与党のそれは8割ぐらいではないだろうか。
 しかし、間違っても良いのである。間違っていたら、ただ学んでいけばいいだけなのだ。私の願いはただひとつ、与野党が真剣な議論を戦わせて、後世の日本人のために、立派な国会議事録を遺してほしい、ただこれだけである。















































































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1946年の精神(6)

2017年11月15日 | 映画『東京家族』








「制定当時の思想的背景」

“第九条がほとんどリアクションなしに受け容れられたのは、戦争に懲りた直後だからで、あまり戦争の惨禍がひどくてなまなましかったから、その実感からほとんど無反省に、先き行きのことなど考えないで第九条を受け容れたというようにいわれます。そういう面が少なくなかったことは否定できません。しかしそれがすべての物語であったというといいすぎです。

たとえば、

〔昭和20年(1945年)11月24日〕 官制(※)で「戦争調査会」が設置される。

〔昭和21年(1946年)3月27日〕 「戦争調査会」の第一回総会が開催される。

※【官制】 国の行政機関の設置・廃止・名称・組織および権限などについての規定。旧制では勅令によったが、現在は法律で定める。 『広辞苑第六版』



これは時期からいうと、政府の憲法改正草案が発表された直後のことです。幣原さんは首相としてこの調査会の総裁になっていたわけでありますが、こういう挨拶をされた。「先般政府の発表いたしましたる憲法改正草案の第九におきまして」といって、後の第九条になった趣旨を読み上げ、「斯の如き憲法の規定は、現在世界各国何れの憲法にもその例を見ないのでありまして、今尚原子爆弾その他強力なる武器に関する研究が依然続行せられておる今日において、戦争を放棄するということは、夢の理想であると考える人があるかもしれませぬ。併し、将来学術の進歩発達によりまして、原子爆弾の幾十倍、幾百倍にも当たる、破壊的新兵器の発見せられないことを何人が保障することができましょう。若し左様なものが発見せられましたる暁におきましては、何百万の軍隊も、何千隻の艦艇も、何万の飛行機も、全然威力を失って、短時間に交戦国の大小都市は悉く灰燼に帰し、数百万の住民は一朝皆殺しになることも想像せられます。今日われわれは戦争放棄の宣言を掲ぐる大旆(たいはい)を翳(かざ)して、国際政局の広漠たる野原を単独に進み行くのでありますけれども、世界は早晩、戦争の惨禍に目を覚し、結局私共と同じ旗を翳して、遥か後方に踵(つ)いて来る時代が現れるでありましょう」と、こう言っているわけです。(引用文献略)。伝えられるマッカーサー・幣原会談の真偽はともかくとして、ここに現れている思想は、少くも敗戦に虚脱状態になった意識、あるいは、戦争の惨禍の直接的な実感、から出た第九条の無抵抗な受容でもなければ、また、のちの吉田首相の著名な国会答弁に現れた考え方 ― 自衛戦争ということも、過去の経験では侵略戦争の口実に使われることが多いから、むしろ自衛戦争も含めて一切の戦争を放棄した方がよいという考え方 ― でもありません。これらはいずれにしても過去の経験や実感を引照基準にした考え方ですが、幣原さんの右の思想は、熱核兵器時代における第九条の新しい意味を予見し、むしろ国際社会におけるヴァンガード(※)の使命を日本に託したものであります。すくなくも現憲法の立法者の間にはこういう考え方もあったという側面を見すごすことはできないと思います。”




※【Vanguard】 〔軍事〕 前衛,先鋒,先兵; 
《芸術・政治運動などの》先導者,前駆,前衛《集合的》:
『リーダーズ英和辞典第3版』
















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