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映画『東京家族』について

映画 『東京家族』 (その31)  「山本有三」 『東京新聞 2013.6.30』

2013年06月30日 | 映画『東京家族』



 『新潮日本文学 第11巻 山本有三集』







「書院」 →「書院造(づくり)」 室町末期から起こり江戸初期に完成した住宅建築の様式。接客空間を独立させ、立派に作る。主座敷を上段とし、床・棚・付書院(つけしょいん)・帳台構を設ける。角柱で、畳を敷きつめ、柱間には明り障子・襖を、外廻りには雨戸を用いる。和風住宅として現在まで影響を及ぼしている。」 『広辞苑 第六版』


「数寄屋」 茶室。(後略) 『同上』







“有三らは、






提出。”










『新潮日本文学 第11巻 山本有三集』(昭和四十四年八月十二日発行) 「解説 手塚富雄」


 “制作以外で山本さんが日本文化のため最も大きい貢献をしたのは、国語国字の民主化と、現在の国語研究所の設立のためにつくした大きな努力である。なぜ、山本さんがこういう努力をしたかを端的に理解したい人は、「無事の人」の中で作者が盲人の主人公に語らせている述懐を聞くがいい。語と文字による国語の表現は、つねに生活と結びついた生きたものでなければならない。これは当用漢字の多寡(たか)を論議する以前に、万人が銘記すべき基本方針であるべきである。山本さんの努力は、その事を文章によって論ずるばかりでなく、現実の成果に結実させたのである。政治において何かの成果をおさめるのは、専門の政治家にとっても容易なことではないだろうが、山本さんの熱意は、よくこのことで文化と政治を結びつけたのである。日本の社会は、山本さんの数年間の参議院議員生活による芸術面でのロスが、これによって十分につぐなわれたことを思って感謝すべきである。”
















  『路傍の石』 「ペンを折る」(昭和十五年六月二十日) 山本有三


 “ふり返ってみると、わたくしが「路傍の石」の想を構えたのは、昭和十一年のことであって、こんどの欧州大戦はさておき、日華事変さえ予想されなかった時代のことであります。本誌(主婦之友)の好意によって「新編路傍の石」を書きだした時でも、なお今日のような、けわしい時勢ではありませんでした。しかし、ただ今では、ご承知の通り、容易ならない時局に当面しております。従って、事変以前に構想した主題をもって、そのまま書き続けることは、さまざまな点において、めんどうをひき起しがちです。もちろん、この作そのものが、国策に反するものでないことは、わたくしは確信をもって断言いたします。資本主義、自由主義、出世主義、社会主義、なぞがあらわれてきますが、それを、どう扱おうとしているものであるかは、この作を読めば、だれにでも、すぐわかるはずです。

 今日の日本は、あの作の中に書かれたような時代を通り、この作の中に出てくるような人たちによって、よかれ、あしかれ、築きあげられたのであって、日本の成長を考える時、それはけっして、無意味なものではないと思うのです。しかし、日一日と統制の強化されつつある今日の時代では、それをそのまま書こうとすると、特に、――これからの部分においては、不幸な事態をひき起こしやすいのです。その不幸を避けようとして、いわゆる時代の線にそうように書こうとすれば、いきおい、わたくしは途中から筆を曲げなければなりません。

 けれども、筆を曲げて書く勇気は、わたくしにはありません。自分の作品に忠ならんとすれば、時代の認識に、遠ざかるかのごときうらみを残し、時代の認識に調子を合わせようとすれば、ゆがんだ形のものを書かなければなりません。そうとすれば、わたくしは断然、自分のペンを折る以外に、道はないのであります。”




 ※ 改行、彩色は、石川八十一。











 ※ “旧稿 東京大阪両朝日新聞に発表 一九三七年(昭和十二年)一月一日から同年六月十八日まで

   改稿 「主婦之友」に発表  一九三八年(昭和十三年)十一月号から同十五年七月号まで

   
   出版  岩波書店版  一九四一年(昭和十六年)八月一日発行”   『新潮日本文学 第11巻 山本有三集』 









 

 

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映画 『東京家族』 (その30)  「東京の戦争」

2013年06月28日 | 映画『東京家族』
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2013062802000134.html  『2013.6.28 東京新聞 筆洗』








『新潮日本文学 第7巻 武者小路実篤集』





“憲兵と言えば、こんなことがあった。
 終戦の年の初夏の頃、荒川放水路にかかった千住新橋を渡り終えた時、橋のたもとの交番から出てきた体の逞しい下士官の憲兵に呼びとめられた。
 私は、徴兵寸前の十八歳で、そのような若い男が軍需工場で働くこともせず日中歩いているのを不審に思ったのだろう。なぜこんな所を歩いている、ときかれ、長兄の経営している木造船所で働いていて、その社用で通行している、と答えた。
 憲兵は納得したようだったが、私のかかえている日本文学全集の『武者小路実篤集』に眼をとめ、渡すよううながした。
 それをひるがえした憲兵は、
「お前の先輩たちは、戦場で銃を手にして戦っているのに、こんなものを読んでいていいのか」
 と、激しい口調でなじり、目次に記されている小説の題を指でたたいた。
 それは、記憶が定かではないが、たしか「お目出たき人」という小説であった。かれは、険しい眼をして本を没収し、交番に引返していった。”



   『東京の戦争』「歪んだ生活」 吉村昭












http://www.youtube.com/watch?v=5rXPrfnU3G0&feature=youtu.be

   『Collateral Murder - Wikileaks - Iraq』 (閲覧注意)


    →『IWJウィークリー 第8号』





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映画 『東京家族』 (その29)  音楽(4) 「イメージの詩(うた)」 吉田拓郎 詩・曲

2013年06月28日 | 映画『東京家族』

これこそはと信じられるものが  この世にあるだろうか

信じるものがあったとしても  信じないそぶり

悲しい涙を流している人は  きれいなものでしょうね

涙をこらえて笑っている人は  きれいなものでしょうね

男はどうして女を求めて  さまよっているんだろう

女はどうして男を求めて  着飾っているんだろう

いい加減な奴らと口をあわせて  俺は歩いていたい

いい加減な奴らも口をあわせて  俺と歩くだろう

戦い続ける人の心を  誰もがわかってるなら

戦い続ける人の心は  あんなに燃えないだろう

傷つけあうのが怖かった昔は  遠い過去のこと

人には人を傷つけるちからが  あったんだろう

吹きぬける風のような  俺の住む世界へ

一度はおいでよ  荒れ果てた大地に

チッポケな花をひとつ  咲かせておこう

俺もきっと君のいる  太陽のあるところへ行ってみるよ

そしてきっと言うだろう  来てみてよかった 君がいるから

長い 長い坂を登ってうしろをみてごらん  だれもいないだろう

長い 長い坂をおりてうしろをみてごらん  みんなが上で手を振るさ

気取った仕草がしたかったあんた  鏡をみてごらん

気取ったあんたが写ってるじゃないか  あんたは立派な人さ

空を飛ぶのは鳥に羽があるから  ただそれだけのこと

足があるのに歩かない俺には  羽根もはえやしない

はげしい はげしい恋をしている俺は 一体 誰のもの

自分じゃ言いたいのさ 君だけの俺だと 君だけのものだよと

裏切りの恋の中で  俺は一人でもがいている

はじめからだますつもりでいたのかい  僕の恋人よ

人の命が絶える時が来て  人は何を思う

人の命が生まれる時には  人はただ笑うだけ

古い船には新しい水夫が 乗りこんでゆくだろう

古い船を 今 動かせるのは 古い水夫じゃないだろう

何故なら 古い船も 新しい船のように 新しい海へでる

古い水夫は知っているのさ 新しい海のこわさを

一体 俺たちの魂のふるさとってのは どこにあるんだろうか

自然に帰れっていうことは どういうことなんだろうか

誰かが言ってたぜ 俺は人間として 自然に生きるんだと

自然に生きてるってわかるなんて なんて不自然なんだろう

孤独をいつのまにか 淋しがりやとかん違いして

キザなセリフをならべたてる そんな自分をみた

悲しい男と悲しい女の  いつものひとりごと

それでもいつかは いつものように なぐさめあっている
  






 ※コードネームを付けようとしたが、ソフトが勝手にスペースを調整してしまい、うまくいかなかった(笑)。自動機能も、いいようで悪い。

 ※しかしこの曲は、3つのコード(トニック, サブドミナント, ドミナント)だけで構成されているので、ギターのできる方は、ぜひ曲を聴いて、伴奏を付けてみてほしい。
  そして、家庭で、学校で、職場で歌ってほしい(笑)。
  

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映画 『東京家族』 (その28)  音楽(3)  「平均律」について

2013年06月26日 | 映画『東京家族』
 この稿を書くために、『音律と音階の科学』(講談社ブルーバックス 2007.9.20 第1刷発行)という本を、インターネットで買った。
 それが配送されて来て、著者の小方厚氏の経歴をみて驚いた。


 
 小方厚  一九四一年東京生れ。名古屋大学プラズマ研究所(現・核融合科学研究所)、日本原子力研究所(現・日本原子力開発機構)、高エネルギー加速器研究機構(KEK)、広島大学を経て、KEK名誉教授。(以下略)




 核融合科学研究所も、J-PARCを含めたKEKも、私が現在、個人的に全面対決している機関だからである(笑)。
 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という言葉があるが、坊主は坊主、袈裟は袈裟である。この本は「音楽の科学」について、とてもわかりやすく説明されている。
 特に、知らなかった事を教えてくれる本は素晴らしい。
 ヘルムホルツの音楽論!『On the Sensation of Tone』 H.Helmholtz(英訳)や、ウィリアム・セサレスという教授の、「オクターブを区切りとしない音律」の本(『Tuning, Timbre, Spectrum, Scale』W.A.Sethares)は、ぜひ読んでみたい。



 さて、この稿では、小方氏のこの本を参考にして、前回ふれた「平均律」について、整理し直してみたい。



 
 私は以前、ギターをすこし弾いていたことがある。
 最初の関門は、弦のチューニング(調律)だ。
 教習本には、音叉の音と、ギターの第5弦の開放弦の音は、同じ「A」音であるから、まずそのふたつを合わせてから、それを基準にして、他の弦を決められた音程に調律していく、と書いてあった。
 しかし、私はどうしても、音叉の音とギターの第5弦は、同じ音とは思えなかった。

 音叉の音は、440Hzである。
 Hzとはヘルツと読み、周波数の単位である。周波数とは振動数であり、両者ともfrequency である。振動数とは“時間的な周期現象の各状態について同じ状態が毎秒繰り返される回数をいう.” 『岩波理化学辞典 第5版』
 ちなみに、“波, 電気振動などの場合は周波数ともいう.” 『同上』
 
 ということは、音は空気の振動であるから、440Hzの音叉の音は、音が空気を1秒間に440回波打つというイメージでいいと思う。
 で、この音とギターの第5弦が同じ音だというのである。ギターの第5弦は、なにを隠そう110Hzなのである(笑)。
 この「オクターブは同じ音」という人間の心理については、もしかしたらセサレス教授の本に書いてあるかもしれないので、今から読むのが楽しみである。
 しかし私は、ギターの調弦をしなければならない。どうしたか? それは歌ったのである(笑)。
 音叉の音は高くて、通常の私の声では出ない。そこで無理に裏声で音叉音と同音を出そうとせずに、普通に出る声で同じ音を探っていくと、220Hzの「A」がみつかった。それは、ギターの第3弦の2フレットの音である。音叉の音を聴きながら220Hzの「A」をさらに1オクターブ自然に下げると、目的の110Hzの「A」、第5弦の開放弦の音が得られる。
 ここまで来れば、各弦を、それぞれの音程に合わせればいいだけである。

 
 しばらく練習しているうちに、アランフェス協奏曲が弾けるようになった。

 というのはもちろん大嘘で、コード(和音)を掻き鳴らしながら、吉田拓郎を歌っていたぐらいである(笑)。



 それはさておき、1オクターブとは、振動数が半分(または倍)という意味である。
 
 440÷2=220
 220÷2=110


 では、1オクターブをどうやって12音に「平均律」では分割するのであろうか?


 “平均律とは、オクターブを 1:2 の純正振動数比にとり、それを12の等しい半音に分割することを基とする。” 『バッハ平均律クラヴィーアⅠ』 市田儀一郎

 “まずこの『平均律』という名前なんですけれども、これは要するにオクターブを平均に12等分した調律のしかたなんで,” 『バッハ平均律の研究1』矢代秋雄/小林仁 (小林氏の発言)

 “オクターブを12の等しい半音に分割するこの方法は,” 『事典世界音楽の本』高松晃子氏の記事



 手元にある本から、関係箇所を引いてみた。いずれの記事も、平均律とは1オクターブを「等しく」12に分ける事だとある。

 では、こういう事だろうか?
 220Hzと440Hzの差は、220Hzである。
 220÷12=18.3333…
 だから、A音は220Hz、A♯は約238.3333、B音は約256.6666 ~

 これは違うのである。ここで言う「等しい」とは、等差ではなくて、等比のことだ。
 小方氏の著書の優れたところは、ここでマリンバの写真を出して説明するような所だ。
 押入れにマイマリンバがある方は、出して確認してほしい(笑)。
 ネットで検索されても結構である。マリンバは、外から共鳴管が見える構造になっているが、その並び方は直線ではなく、曲線を描いている。これが、12音の並び方が等差数列でなく、等比数列である事の、目に見える例だ。

 A音を220Hzとすると、実際のA♯は約233.0819Hzであり、その半音上のB音は約246.9417Hzである。
 この数字はどこから来たのか?
 
 233.0819÷220.0000=1.0595

 246.9417÷233.0819=1.0595


 これが等「比」数列の意味であるが、これがどこから来たのかについて、おもしろい説が、前出の『事典世界音楽の本』の、杜こなて氏の記事にあった。(「4.1.1.1 調性音楽の解体」)
 
 “明代の西暦1596年, 朱載堉によって平均律を産み出す数字(1.0594631…)が世に出されたとき, 中国には既に複利の感覚が存在していた. 西アジアからオーケストラの楽器のあらかたを導入したヨーロッパは, 音律を中国から移入し, 近代を通して独自な洗練を発達させていく. 近代西洋音楽自体もまた, 世界音楽の息吹によって作り上げられた文化遺産にほかならない.”

 と、断言されている。論旨は、文明の大転換の「科学革命」→ ニュートン,ライプニッツ→ ライプニッツといえば微積分や複利計算→ ライプニッツは中国学者でもあった→ 中国人は(利に聡いから)複利感覚が既に存在していた→ ライプニッツの業績は中国からきた?→ そして引用箇所へ繋がる。

 断言しているので、定説なのであろうか? 巻末にそれらしい参考文献が一冊あるが、この問題には私はあまり興味が湧かない。
 複利、西洋、で連想されるのは、私にとってはやはり、ユダヤ人である。これは西洋史的にも非常に微妙な問題であるが、すこしづつ考えていこうと思う。




 今日は最後に、「平均律」を表にしてみた。数字は220Hzを基準の始点にした1オクターブである。それ以降の数字は全て約を省略した。なぜなら、1.0594631…が無限小数だからである。



         


 A        220.0000Hz
 A♯=B♭    233.0819 
 B        246.9417
 C        261.6256
 C♯=D♭    277.1827
 D        293.6648
 D♯=E♭    311.1270
 E        329.6276
 F        349.2283
 F♯=G♭    369.9945
 G        391.9955
 G♯=A♭    415.3048
 
 A        440.0001




 
 


 
 

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写経 19.「積分」(その11) 『好きになる数学入門 第6巻』 宇沢弘文

2013年06月23日 | 写経(笑)
4  部分積分の公式  

   ∫x³logxdx を計算する


 積分を計算するさいに, たいへん便利な公式があります.
部分積分の公式とよばれる計算法です. まず, かんたんな例を使って説明することにしましょう.
つぎの積分を考えます.

 ∫x³logxdx 

 この積分はかんたんに求められそうにありません. そこで








 部分積分の公式





5 むずかしい積分を計算する

 部分積分の応用

 部分積分の公式を使って, ふくざつな積分の計算をしてみましょう.


 つぎの積分を計算しなさい.



解答







 オイラーの公式との関係

 上の計算は, オイラーの公式とよばれるつぎの関係式をつかうとかんたんにできます.




 ここでx は実数, i は虚数単位です. 
 オイラーの公式については第8章でくわしくお話することにしますが, ……   『好きになる数学入門 第6巻 第2章』 宇沢弘文




 と、ここで、私たちは、第8章に飛ぶ(笑)。
 しかし、オイラーの説明が終わったら、すぐに戻るので、安心してほしい(笑)。
 オイラーへ行く理由は、そこに、「フリードリッヒ大王」が出て来るからである。
 連想はバッハへ繋がり、言葉はゲームのように、藤田弓子にも到達するであろう。




 附録 『俳句の精神』 寺田寅彦


 一例として「荒海や佐渡に横とう天の川」という句をとって考えてみる。西洋人流の科学的な態度から見た客観的写生的描写だと思って見れば、これは実につまらない短い記載的なセンテンスである。最も有利な見方をしても結局一枚の水彩画の内容の最も簡単なる説明書き以外の何物でもあり得ないであろう。それだのにこの句が多くの日本人にとって異常に美しい「詩」でありうるのはいったいどういうわけであろうか。この句の表面にはあらわな主観はきわめて希薄である。「横とう」という言葉にわずかな主観のにおいを感ずるくらいである。それだのにわれわれはこの句によって限り無き情緒の活動を喚起されるは何ゆえであろうか。
 われわれにとっては「荒海」は単に航海学教科書におけるごとき波高く舟行に危険なる海面ではない。四面に海をめぐらす大八州国(おおやしまのくに)に数千年住み着いた民族の遠い祖先からの数限りもない海の幸いと海の禍い(わざわい)との記憶でいろどられた無始無終の絵巻物である。そうしてこの荒海は一面においてはわれわれの眼前に展開する客観の荒海でもあると同時にまたわれわれの頭脳を通してあらゆる過去の日本人の心にまで広がり連なる主観の荒海でもあるのである。「大海(おおうみ)に島もあらなくに海原(うなばら)のたゆとう波に立てる白雲」という万葉の歌に現れた「大海」の水はまた爾来千年の歳月を通してこの芭蕉翁の「荒海」とつながっているとも言われる。
 もちろん西洋にも荒海とほぼ同義の言葉はある。またその言葉が多数の西洋人にいろいろの連想を呼び出す力をもっていることも事実である。しかしそれらの連想はおそらく多くは現実的功利的のものであろう。またもしそれが夢幻的空想的であるとしても、日本人のそれのように濃厚に圧縮されたそうして全国民に共通で固有な民族的記憶でいろどられたものではおそらくあり得ないであろうと思われる。
 「佐渡」でも「天の川」でも同様である。いったいに俳句の季題と名づけられたあらゆる言葉がそうである。「春雨」「秋風」というような言葉は、日本人にとっては決して単なる気象学上の術語ではなくて、それぞれ莫大な空間と時間との間に広がる無限の事象とそれにつながる人間の肉体ならびに精神の活動の種々相を極度に圧縮し、煎じ詰めたエッセンスである。また、それらの言葉を耳に聞き目に見ることによって、その中に圧縮された内容を一度に呼び出し、出現させる呪文の役目をつとめるものである。そういう意味での「象徴」なのである。
 
 こういう不思議な魔術がなかったとしたら俳句という十七字詩は畢竟(ひっきょう)ある無理解な西洋人の言ったようにそれぞれ一つの絵の題目のようなものになってしまう。
 この魔術がどうして可能になったか、その理由はだいたい二つに分けて考えることができる。一つはすでに述べたとおり、日本人の自然観の特異性によるのである。ひと口に言えば自然の風物にわれわれの主観的生活を化合させ吸着(アドソープ)させて自然と人間との化合物ないし膠質物(こうしつぶつ)を作るという可能性である。これがなかったらこの魔術は無効である。しかしこれだけの理由ではまだ不十分である。もう一つの重大な理由と思われるのは日本古来の短い定型詩の存在とその流行によってこの上述の魔術に対するわれわれの感受性が養われて来たことである。換言すればわれわれが、長い修行によって「象徴国の国語」に習熟して来たせいである。  (昭和十年十月)







  昭和36年版 『寺田寅彦全集 第12巻』








 



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