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映画『東京家族』について

写経 23. 『THE TRUE BELIEVER 』(1951)  ERIC HOFFER (5)

2013年07月13日 | 写経(笑)
 前回の最後の部分の引用、
 
 “a city and a tower, whose top may reach unto heaven” と、
 “nothing will be restreined from them, which they have imagined to do.”

 は、「創世記 第11章」からの、それだ。

 『THE TRUE BELIEVER』の冒頭には、パスカルの『パンセ』とともに、「創世記」の “And slime had they for mortar.” の一行が引用されている。


 その説明の前に、著者である「エリック・ホッファー」を紹介しておこう。
 私の手元にある、「HARPER PERENNIAL MODERN CLASSICS」の版には、こう書かれている。


 ERIC HOFFER (1902-1983) was self-educated and lived the life of a drifter through the 1930s. After Pearl Harbor, he worked as a longshreman in San Francisco for
twenty-five years. He is the author of ten books, including The Passionate State of Mind, The Ordeal of Change, and The Temper of Our Time. He was awarded the Presidential
Medal of Freedom in 1983 and died later that year.



 


 さて、承前の  “And slime had they for mortar.” であるが、『聖書』の原文は、旧約のほとんどがヘブライ語で、新約はギリシア語だ。「創世記」は旧約の冒頭にあるので、ヘブライ語だ。引用されたその一文の日本語は、“彼らはしっくいの代わりにアスファルトを用いた” と、新共同訳ではなっている。

 アスファルト! である。私が子供だった頃はまだ、砂利道がのこっていたが、かの地ではもう、創世記の時代からアスファルト道路になっていたのか、と思ってしまうが、道ではなく、塔に使ったのである。あの「バベルの塔」だ。後でこの話は、もう少し全体がわかるように載録するが、ここで問題にしたいのは、英語の“slime” である。


「slime」 

①どろどろ〔ねばねば, ぬるぬる〕したもの, 粘着物, 軟泥, 泥砂, ヘドロ;
 〔しばしば複数形で〕岩石の粉, スライム;
 《カタツムリ・魚などの》粘液, のろ;
 《変性したハムなどに生じる》ねと.

②いやなもの, 悪臭のあるもの;
 《俗語》悪の世界, 暗黒街;
 《口語》げす根性, おべんちゃら;
 《俗語》不名誉な事態, 腐敗;
 《俗語》いやなやつ, げす.


 例によって、『リーダーズ英和辞典 第3版』で引いたが、この辞典の「英語の意味に肉薄」しようとする恐ろしいまでの意思は、この一語だけでもよくわかる。

 「slime」には、(軟泥や、岩石の粉がやや近いが)「アスファルト」という意味はない。
 ヘブライ語の原文は、もちろん私はわからないが、英訳の「slime」のほうが、原意に近いのではないかと思う。
 なぜなら、「バベルの塔」の文意は、肯定的なものではないからだ。
 そして、ホッファーが冒頭に置いたこの語で提示、暗示したかった意味もわかる。
 それは断然、「アスファルト」のイメージとは、違う。




 「創世記 第11章(バベルの塔)」 新共同訳


 世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。
東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。
 彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。
 主は降って(くだって)来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、
言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。
我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」
 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。






 ここまで写してみたら、3行目からの「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。」という訳は、英訳の “a city and a tower, whose top may reach unto heaven” に比べると、意味が少し通らない気がする。しかし私はヘブライ語が読めないのだから、仕方ない。


 「ひとつの都市とひとつの塔、その(塔の)いただきが天に届くように」 (石川八十一 英訳からの重訳)




 次回は、もうひとつ『THE TRUE BELIEVER 』冒頭へ引用された文章、パスカルの『パンセ』についてを、すこし書く。




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写経 21. 『THE TRUE BELIEVER 』(1951)  ERIC HOFFER (3)

2013年07月10日 | 写経(笑)
The phenomenal modernization of Japan would probably not have been possible without the revivalist spirit of Japanese nationalism. It is perhaps also true that the rapid
modernization of some European countries [Germany in particular] was facilitated to some extent by the upsurge and thorough diffusion of nationalist fervor. Judged by
present indications, the renascence of Asia will be brought about through the instrumentality of nationalist movements rather than by other mediums. It was the rise of a
genuine nationalist movement which enabled Kemal Atatürk to modernize Turkey almost overnight. In Egypt, untouched by a mass movement, modernization is slow and faltering,
though its rulers, from the day of Mehmed Ali, have welcomed Western ideas, and its contacts with the West have been many and intimate. Zionism is an instrument for the
renovation of a backward country and the transformation of shopkeepers and brain workers into farmers, laborers and soldiers.
Had Chiang Kai-shek known how to set in motion a genuine mass movement, or at least sustain the nationalist enthusiasm kindled by the Japanese invasion, he might have been acting now as the renovator of China. Since he
did not know how, he was easily shoved aside by the masters of the art of “religiofication” ― the art of turning practical purposes into holy causes.










〔附録1〕  [OKAI TAKASHI]    A Tanka poet, an internist. He was born in 1928. He said Tanka is ultimately both a Song and a Tone.

肺尖にひとつ昼顔の花燃ゆと告げんとしつつたわむ言葉は
側面をさらしつつ退き(しりぞき)ながらたたかう其処の朱の肺臓は
 (そくめんを/さらしつつしり/ぞきながら たたかうそこの/しゅのはいぞうは)
手術室よりいま届きたる肺臓のくれないの葉が見えて飯(いい)はむ  


 “わたしの外来に通ってくる常連の一人にSさんという老人が居た。飄々とした瘦軀、どこか凡でない眼光がわたしを射るので、ひそかに敬愛して対って(むかって)いたのであるが、ある日、彼は診察室のベッドでわたしに血圧を測らせながら、「このあいだの短歌研究の歌はよかったですなあ、説をかえまた説をかうたのしさの、あれはいい。しかし、よくわからんのもありますな、管型の蔓状の思想なんていうのは、とてもわれわれには理解できません。」と言い出したので、わたしはいたく狼狽し、ひそかに顔を紅らめたのである。彼は若年のころ、右翼の文人政客と交わりそのパトロン格だったときいたが、そういえば、わたしが学生のころ会ったことのある追放中の安藤正純にどこか相通う風貌の持主であった。その後、Sさんは急性肺炎を患ってわたしの病室に入った。そして、クリーゼをすぎて尚少量の痰を喀出していたが、わたしのわずかな油断の隙に急死した。わたしは外科医ではないから「手術台上の死」を経験したことはないが、ほぼそれに匹敵する衝撃をうけて、長く苦しんだ。はなはだ私的な回想であるが、忘れがたいので附記しておく。”




説を替えまた説をかうたのしさのかぎりも知らに冬に入りゆく
真夏の死ちかき胃の腑の平(たいら)にはするどき水が群れて注ぎき
日本いまヴィジョンの沼地ここすぎて夏野わけ入る疾き(とき)風を見む
管型の思想を夢むなおいえば蔓状(まんじょう)の管型の鋭きを
もろもろの昨日をあつめ もろともの明日を紡がん手を想うのみ
対峙せる詩人と医師のめぐりには葉のみはげしくふかく騒(さや)げる

 
『現代歌人文庫 岡井隆集』(国文社)




〔附録2〕 寺田寅彦 「田丸先生の追憶」


 “先生に三角を教わり力学を教わったために、始めて数学というものがおもしろいものだということが少しばかりわかって来た。中学で教わった数学は、三角でも代数でも、いったいどこがおもしろいのかちっともわからなかったが、田丸先生に教わってみると中学で習ったものとはまるでちがったもののように思われて来た。先生に言わせると、数学ほど簡単明瞭なものはなくて、だれでも正直に正当にやりさえすれば、必ずできるにきまっているものだというのである。教科書の問題を解くのでも、おみくじかなんかを引くように、できるもできないも運次第のものででもあるかのように思っていた自分のような生徒たちには、先生のこの説は実に驚くべき天啓であり福音であった。なるほど少なくも書物にあるほどの問題なら、その書物で教えられた筋道どおり正直にやれば必ずできるのであった。そういうことを発見して驚いたものである。”  (昭和七年十二月 理学部会誌) 『寺田寅彦全集(S.36年版) 第六巻』


 → 『2013.7.9 東京新聞 発言欄』



〔附録3〕


paternalism      父親的温情主義〔干渉〕, パターナリズム.

                                          『リーダーズ英和辞典 第3版』


パターナリズム  相手の利益のためには、本人の意向にかかわりなく、生活や行動に干渉し制限を加えるべきであるとする考え方。親と子、上司と部下、医者と患者との関係などに見られる。
   
                                                                                    『広辞苑 第六版』



 →  『2013.7.9 東京新聞 特報面』












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写経 20. 『THE TRUE BELIEVER 』(1951)  ERIC HOFFER (2)

2013年07月08日 | 写経(笑)
  『THE TRUE BELIEVER Thoughts on the Nature of Mass Movements』

true believer    献身的〔盲目的な〕信者; 狂信的な支持者
          
                                 『リーダーズ英和辞典 第3版』(以下同じ)


nature      3a 《人・ものの》 本性, 本質, 天性, 性質




 
  The fact that both the French and the Russian revolutions turned into nationalist movements seems to indicate that in modern times nationalism is the most copious and durable source of mass enthusiasm, and that nationalist fervor must be tapped if the drastic changes projected and initiated by revolutionary enthusiasm are to be consummated. 
indicate 指す, 指示する, 指摘する

modern times  現代

copious  豊富な, おびただしい; 内容豊富な, 情報のぎっし詰まった; ことば数の多い

durable  もちのよい, 耐久性のある, 丈夫な; 永続性のある, 恒久性の

enthusiasm  熱中, 熱狂(等)

       《古語》 宗教的熱情, 狂信

fervor  情熱, 熱情, 熱意, 熱誠; 白熱(状態); 炎熱

tap   1《トン(トン)〔コツン,コツコツ〕と》 軽くたたく

project  3 計画〔予定〕する

initiate  1 <計画などを> 始める, 起こす, 創始する, 着手する

consummate  完成〔完了〕する; 極点に達せしめる

















 「Nan to yû Baka na koto darô! Yo wa Sakuya, Kashihon-ya kara Tokugawa-jidai no Kôshokubon “Hana no Oboroyo” wo 3 ji goro made Chômen ni utsushita
――ah, Yo wa! Yo wa sono hageshiki Tanoshimi wo motomuru Kokoro wo seishi kaneta!」


『ROMAZI NIKKI(1909.4.16)』 ISIKAWA TAKUBOKU

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写経 20. 『THE TRUE BELIEVER』 ERIC HOFFER (1)

2013年07月06日 | 写経(笑)
 前回の「写経」で、『好きになる数学入門 第6巻』の「フリードリッヒ大王」へ行く、と予告したが、順番を変えて、タイトルの書を先にする。

 理由は、新聞に、「われわれが出会う人びとは、われわれの人生の脚本家であり、舞台監督である。」という、エリック・ホッファーの言葉が紹介されていたからだ。(『2013.7.1 東京新聞 けさのことば 岡井隆』)

 岡井氏は、“今日偶然会った人がわたしの人生の筋書きを書いたり、わたしの行動をきめてしまうなんて、そんなことはあるわけないと思うかもしれない。しかし、よく考えると「他人の目に映り、他人の言葉に反響する自分」を意識して行動しているのがわかる。人間とはそういうものだ”
 
 と書かれている。そうかもしれない。


 
 中世へさかのぼりゆく一群をおくりて暑き午後へ降りたつ

 海こえてかなしき婚をあせりたる権力のやわらかき部分見ゆ

 マルコ伝第七章に栞おき一日を決めむ今朝のやすらぎ
  

  

  “「シリア・フェニキアの女の信仰」 イエスはそこを立ち去って、ティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった。汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した。 女はギリシア人でシリア・フェニキアの生まれであったが、娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。イエスは言われた。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、子犬にやってはいけない。」ところが女は答えて言った。「主よ、しかし、食卓の下の子犬も、子供のパン屑はいただきます。」そこで、イエスは言われた。「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。」 女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。”

  “外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。(中略)これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。”

 

 紅(くれない)にマッチにわずか燃ゆる芝問いかえしつつ党のその後

 わが髪の長きを笑い編まんとせし少女らのため聖句選びぬ

 また一歩ジャーナリズムは右へ寄る読み捨てて出づあつき靴履き

 仮説をたて仮説をたてて追いゆくに くしけずらざる髪も炎え(もえ)立つ

 一国がきらめく匕首(ひしゅ)にかわるとき誰かが誰かの戦争にゆくとき

 荒海を見る十幾組のことごとく愛ありて来し 沖はとどろく


 

      『岡井隆歌集』、『聖書(新共同訳)』




 そして、エリック・ホッファーの書。
 2013.6.26の記事に書いたように、「ユダヤ」を考える座標軸を私が得るために、この書からそれを中心に読み、学んでいく。





 It is perhaps not superfluous to add a word of caution. When we speak of the family likeness of mass movements, we use the word “family” in a taxonomical
sense. The tomato and the nightshade are of the same family, the Solanaceae. Though the one is nutritious and the other poisonous, they have many morphological, anatomical
and physiological traits in common so that even the nonbotanist senses a family likeness. The assumption that mass movements have many traits in common dose not imply that
all movements are equallly beneficent or poisonous. The book passes no judgments, and expresses no preferences. It merely tries to explain; and the explanations―all of them
theories―are in the nature of suggestions and arguments even when they are stated in what seems a categorical tone. I can do no better than quote Montaigne: “All I
say is by way of discourse, and nothing by way of advice. I should not speak so boldly if it were my due to be believed ”


   『THE TRUE BELIEVER Thoughts on the Nature of Mass Movements』「Preface」 ERIC HOFFER
              
 


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写経 19.「積分」(その11) 『好きになる数学入門 第6巻』 宇沢弘文

2013年06月23日 | 写経(笑)
4  部分積分の公式  

   ∫x³logxdx を計算する


 積分を計算するさいに, たいへん便利な公式があります.
部分積分の公式とよばれる計算法です. まず, かんたんな例を使って説明することにしましょう.
つぎの積分を考えます.

 ∫x³logxdx 

 この積分はかんたんに求められそうにありません. そこで








 部分積分の公式





5 むずかしい積分を計算する

 部分積分の応用

 部分積分の公式を使って, ふくざつな積分の計算をしてみましょう.


 つぎの積分を計算しなさい.



解答







 オイラーの公式との関係

 上の計算は, オイラーの公式とよばれるつぎの関係式をつかうとかんたんにできます.




 ここでx は実数, i は虚数単位です. 
 オイラーの公式については第8章でくわしくお話することにしますが, ……   『好きになる数学入門 第6巻 第2章』 宇沢弘文




 と、ここで、私たちは、第8章に飛ぶ(笑)。
 しかし、オイラーの説明が終わったら、すぐに戻るので、安心してほしい(笑)。
 オイラーへ行く理由は、そこに、「フリードリッヒ大王」が出て来るからである。
 連想はバッハへ繋がり、言葉はゲームのように、藤田弓子にも到達するであろう。




 附録 『俳句の精神』 寺田寅彦


 一例として「荒海や佐渡に横とう天の川」という句をとって考えてみる。西洋人流の科学的な態度から見た客観的写生的描写だと思って見れば、これは実につまらない短い記載的なセンテンスである。最も有利な見方をしても結局一枚の水彩画の内容の最も簡単なる説明書き以外の何物でもあり得ないであろう。それだのにこの句が多くの日本人にとって異常に美しい「詩」でありうるのはいったいどういうわけであろうか。この句の表面にはあらわな主観はきわめて希薄である。「横とう」という言葉にわずかな主観のにおいを感ずるくらいである。それだのにわれわれはこの句によって限り無き情緒の活動を喚起されるは何ゆえであろうか。
 われわれにとっては「荒海」は単に航海学教科書におけるごとき波高く舟行に危険なる海面ではない。四面に海をめぐらす大八州国(おおやしまのくに)に数千年住み着いた民族の遠い祖先からの数限りもない海の幸いと海の禍い(わざわい)との記憶でいろどられた無始無終の絵巻物である。そうしてこの荒海は一面においてはわれわれの眼前に展開する客観の荒海でもあると同時にまたわれわれの頭脳を通してあらゆる過去の日本人の心にまで広がり連なる主観の荒海でもあるのである。「大海(おおうみ)に島もあらなくに海原(うなばら)のたゆとう波に立てる白雲」という万葉の歌に現れた「大海」の水はまた爾来千年の歳月を通してこの芭蕉翁の「荒海」とつながっているとも言われる。
 もちろん西洋にも荒海とほぼ同義の言葉はある。またその言葉が多数の西洋人にいろいろの連想を呼び出す力をもっていることも事実である。しかしそれらの連想はおそらく多くは現実的功利的のものであろう。またもしそれが夢幻的空想的であるとしても、日本人のそれのように濃厚に圧縮されたそうして全国民に共通で固有な民族的記憶でいろどられたものではおそらくあり得ないであろうと思われる。
 「佐渡」でも「天の川」でも同様である。いったいに俳句の季題と名づけられたあらゆる言葉がそうである。「春雨」「秋風」というような言葉は、日本人にとっては決して単なる気象学上の術語ではなくて、それぞれ莫大な空間と時間との間に広がる無限の事象とそれにつながる人間の肉体ならびに精神の活動の種々相を極度に圧縮し、煎じ詰めたエッセンスである。また、それらの言葉を耳に聞き目に見ることによって、その中に圧縮された内容を一度に呼び出し、出現させる呪文の役目をつとめるものである。そういう意味での「象徴」なのである。
 
 こういう不思議な魔術がなかったとしたら俳句という十七字詩は畢竟(ひっきょう)ある無理解な西洋人の言ったようにそれぞれ一つの絵の題目のようなものになってしまう。
 この魔術がどうして可能になったか、その理由はだいたい二つに分けて考えることができる。一つはすでに述べたとおり、日本人の自然観の特異性によるのである。ひと口に言えば自然の風物にわれわれの主観的生活を化合させ吸着(アドソープ)させて自然と人間との化合物ないし膠質物(こうしつぶつ)を作るという可能性である。これがなかったらこの魔術は無効である。しかしこれだけの理由ではまだ不十分である。もう一つの重大な理由と思われるのは日本古来の短い定型詩の存在とその流行によってこの上述の魔術に対するわれわれの感受性が養われて来たことである。換言すればわれわれが、長い修行によって「象徴国の国語」に習熟して来たせいである。  (昭和十年十月)







  昭和36年版 『寺田寅彦全集 第12巻』








 



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