石野真琴のなんでもあり?

多趣味な石野真琴が、普段感じている事、将棋、祭り、甲冑等々、趣味の内容を描きます

真田10万石祭り(その4)

2005-10-27 23:04:59 | 趣味
 表門に甲冑やそれぞれの衣装姿の人々が集まり、東不明門から本丸城内に入って行く。その時、真田鉄砲隊が現れ記念撮影を始めた。
 真田鉄砲隊の指揮を取られるのは、テレビ東京「何でも鑑定団」で火縄銃の鑑定を行っている「澤田平」氏である。氏は堺鉄砲研究会を主宰されているが、数年前から真田鉄砲隊の指揮を取るようになった。真田鉄砲隊の旗揚げにも関係しておられるような印象を受けているが、どうなのだろうか。
 火縄銃を撃ち放つのは、祭りを盛り上げるのに重要なアイテムで、石和では米沢の稲富流鉄砲保存会の鉄砲隊が参加している。この稲富流の鉄砲隊の方々は、日本国内のお祭りで鉄砲を撃ち放つプロらしい。それなりの収入を得ているのであろう。趣味ではなかなか毎週末に日本全国を渡り歩けない。
 真田鉄砲隊もそうなりつつあるらしい。ただし、稲富流が10人から20人の大人数で、鉄砲もその数だけ用意し撃ち放つ数もかなり多い。その他背負い太鼓なども使用しているが、真田鉄砲隊はその人数が7人ぐらいで小規模である。
 澤田平氏は用事がある場合は不参加で、真田鉄砲隊の演舞を何度か見た事があるが、2度程不参加の時があった
 面白いのはこの澤田平氏の兜で、2年ぐらい前は諏訪仏性の兜に似た物を被られていた。「変わり兜」と呼ばれる兜である。今回も「変わり兜」で西洋風の兜で頭頂部に動物の毛があしらってある。
 石野真琴は澤田平氏に「先生、変わり兜ですね」と声をかけたところ、「年取ると軽い兜の方が良いのよ」と答えて下さった。
 その内、「紫」様がやって来たので合流する。
 紫様に梵天丸御夫妻と出会った事を報告した。紫様はこの城に到着してすぐにこの城の周辺を散策すると同時に、幾つかの城や神社を回って来られたらしい。もうすこし早ければ梵天丸御夫妻とお会いできたのであるが・・・
 紫様の話によれば、当日は朝の6時には出発され、石野真琴が朝食を取っている8時半ぐらいには、もう松代城に到着していたとの事であった。
 しばらく雑談していると祭りの準備が始まる。そこで何処で見物するか相談を始めた。
 昨年は見物者が多すぎて、二の丸には居るところ(見物できそうな場所)が無くて、土累の上から見物していたのである。土累の上からだと遠すぎて、何が行われているのか解らなかった。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿