【シンガポール=吉村英輝】タイの政治混乱で重要な役割を果たしてきた軍が、ついにクーデターに動いた。戒厳令で政府と反政府側の話し合い解決に望みを託したが、政府側は軍の仲介案も拒否し、双方の歩み寄りはもはや無理だと判断したとみられる。軍は今後、選挙前の政治改革など、反政府側の主張も取り入れながら混乱の収束を図るとみられるが、政府を支えるタクシン元首相支持派の抵抗も予想される。
「ならばこの時点で、私が権力を掌握しよう」
陸軍のプラユット司令官は22日夕、政府や反政府派の代表を招いた2日目の会合で、出席した閣僚の一人から内閣総辞職を拒否された瞬間、クーデターを“宣言”したという。タイの英字紙ネーション(電子版)が伝えた。
軍は20日の戒厳令発令後間もなく、放送局などに兵を送って勢力下に置いた。非難合戦を展開するメディアの「悪影響の排除」というがこうした展開を予定した行動だったとみられる。
プラユット氏はその後、双方に話し合いを求めた。自らが“仲介役”として前面に出たうえ、「私が呼べば来る必要がある。全当事者が関与しなければならない」と強い意志を示した。
だが、選挙管理内閣のニワットタムロン首相代行は、2日連続で会合に欠席。引き続き早期の総選挙やり直しを目指し、「陸軍の行動は憲法の原則に従ったものでなければならない」と述べるなど、軍に不服従の姿勢を示した。強気の背景には、海外逃亡中のタクシン氏の指示があったとみられる。妹で首相職を失職したインラック氏も、内閣総辞職の要求拒否を公言して足並みをそろえた。
タイでは、2001年にタクシン政権が発足、財閥など旧来の支配層との対立が先鋭化した。プラユット氏は06年のクーデターにかかわり、同政権を失脚させたが、その後も双方の対立は続き、タクシン派の復権を許した。
クーデターを「最後の手段」として回避しようとしたゆえんだが、これまでタイの政変で調停役を務めてきたプミポン国王は健康問題を抱えており、仲介にも失敗し、矢面に立つ覚悟を決めた。
プラユット氏は、反政府派が主張する選挙制度改革などを6~9カ月かけて進め、その後で総選挙を実施するものと予想される。タクシン派を押さえ込むシステムがなければ、「失敗」が繰り返されるためだ。
タクシン派が多い北部や東北部などでは、現政権を支持するタクシン派の団体「反独裁民主統一戦線(UDD、通称・赤シャツ)」の関連施設から銃などの武器がバンコクに向け輸送されているとの情報もあり、軍は検問を強化中だ。軍と赤シャツが衝突すれば、反タクシン派政権がUDDのデモ隊を強制排除した10年の流血の惨事が繰り返される恐れがある。
タイの状況はもはや救いようがない状況にあり、これを納める事が出来るのは、恐らく「国王」と「軍」しかありません。しかし「国王」が呼びかけても鎮める事が出来ず、混迷が深まっている事から、とうとう「軍」が動き出した、あるいは動き出さざるを得なかったと言った所です。
ちょっと状況を整理するとこの対立は、都市と地方との対立と言えます。人口が多く地方の指示を集めている現政権で、タクシン氏を支持するタクシン派と、都市の人々が支持基板である反タクシン派です。
民主的な選挙を行うとタクシン派が勝ってしまう、しかし反タクシン派はデモを繰り返し、現政権を揺さぶる。国政は一歩も進まない状況なのです。
タイ軍としては、クーデターを起こしたとは言え、いわゆる軍閥政治へ移行する気はないようで、反タクシン派の主張を取り入れて改革を進めながら、最終的には民主的な選挙を行って政権を委譲する予定のようです。
クーデターを起こしたタイ軍も、人々の支持があって成立している事を良く理解して欲しいと思います。
「ならばこの時点で、私が権力を掌握しよう」
陸軍のプラユット司令官は22日夕、政府や反政府派の代表を招いた2日目の会合で、出席した閣僚の一人から内閣総辞職を拒否された瞬間、クーデターを“宣言”したという。タイの英字紙ネーション(電子版)が伝えた。
軍は20日の戒厳令発令後間もなく、放送局などに兵を送って勢力下に置いた。非難合戦を展開するメディアの「悪影響の排除」というがこうした展開を予定した行動だったとみられる。
プラユット氏はその後、双方に話し合いを求めた。自らが“仲介役”として前面に出たうえ、「私が呼べば来る必要がある。全当事者が関与しなければならない」と強い意志を示した。
だが、選挙管理内閣のニワットタムロン首相代行は、2日連続で会合に欠席。引き続き早期の総選挙やり直しを目指し、「陸軍の行動は憲法の原則に従ったものでなければならない」と述べるなど、軍に不服従の姿勢を示した。強気の背景には、海外逃亡中のタクシン氏の指示があったとみられる。妹で首相職を失職したインラック氏も、内閣総辞職の要求拒否を公言して足並みをそろえた。
タイでは、2001年にタクシン政権が発足、財閥など旧来の支配層との対立が先鋭化した。プラユット氏は06年のクーデターにかかわり、同政権を失脚させたが、その後も双方の対立は続き、タクシン派の復権を許した。
クーデターを「最後の手段」として回避しようとしたゆえんだが、これまでタイの政変で調停役を務めてきたプミポン国王は健康問題を抱えており、仲介にも失敗し、矢面に立つ覚悟を決めた。
プラユット氏は、反政府派が主張する選挙制度改革などを6~9カ月かけて進め、その後で総選挙を実施するものと予想される。タクシン派を押さえ込むシステムがなければ、「失敗」が繰り返されるためだ。
タクシン派が多い北部や東北部などでは、現政権を支持するタクシン派の団体「反独裁民主統一戦線(UDD、通称・赤シャツ)」の関連施設から銃などの武器がバンコクに向け輸送されているとの情報もあり、軍は検問を強化中だ。軍と赤シャツが衝突すれば、反タクシン派政権がUDDのデモ隊を強制排除した10年の流血の惨事が繰り返される恐れがある。
タイの状況はもはや救いようがない状況にあり、これを納める事が出来るのは、恐らく「国王」と「軍」しかありません。しかし「国王」が呼びかけても鎮める事が出来ず、混迷が深まっている事から、とうとう「軍」が動き出した、あるいは動き出さざるを得なかったと言った所です。
ちょっと状況を整理するとこの対立は、都市と地方との対立と言えます。人口が多く地方の指示を集めている現政権で、タクシン氏を支持するタクシン派と、都市の人々が支持基板である反タクシン派です。
民主的な選挙を行うとタクシン派が勝ってしまう、しかし反タクシン派はデモを繰り返し、現政権を揺さぶる。国政は一歩も進まない状況なのです。
タイ軍としては、クーデターを起こしたとは言え、いわゆる軍閥政治へ移行する気はないようで、反タクシン派の主張を取り入れて改革を進めながら、最終的には民主的な選挙を行って政権を委譲する予定のようです。
クーデターを起こしたタイ軍も、人々の支持があって成立している事を良く理解して欲しいと思います。
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