ほぼ宴会が終わった頃合いになって、膝を気にしながら布団の上に、さすがに明け方4時起きで4時半から13時までひたすらバイクの運転をしただけあって、そして寒かった事もあり・・。
その代わりにどうも睡眠が浅かったような気がします。膝の為でしょうか。
朝風呂も膝を考慮して避けました。しかし、膝にはなにも問題がないので、普通に参加する事に決めます。
宿の朝食を食べてから着替え場所へ。北小学校が我々武田軍の集合地です。宿から歩いて数分の距離です。この宿のは非常に親切な上に着替え場所まで近い事もあって、我々の定宿となっているわけです。
自分や三浦殿は10回以上、桜風殿や小典厩殿も何回も参加しているので、着替えには余り困る事がない状況なのでで、高津企画さんの手を借りずに、むしろ自分の部隊参加の亀さんやその御友人、桜風殿、京極殿の着替えを手伝いながら、自分も着替えてしまいました。
さらしの布を持ってくるのを忘れたので、そのまま用意された紐で着付けしました。
自分が出来ないのはつるしの刀を付ける事と、わらじを付ける事ぐらいです。
陣羽織が余ったので亀さんに着せて、面貌は大将である京極殿に付けさせました。この陣羽織と面貌は京極殿に貸してあったもので、返してもらったものです。
着替えが終われば記念撮影、買い物、リハーサル、昼食、出陣と流れていきます。
その中で今年はなんと「桜花」さんが、湖依姫の侍女役で参加する事が発覚した事です。ミスに選ばれた湖依姫や他の侍女の世話係として、これ以上ない人選ですが、問題はこの軍団の中に、知り合いが多すぎる事でしょうか。
本当なら湖依姫に写真を依頼するはずなのに、何となく自分などは知り合いの「桜花」さんの写真を撮ってしまう。
無事に出陣となりました、武田軍の流しの旗を持ったので、これがまた面倒なものでした・・。
またサプライがありました。自分にはツキがない代わりに、三浦隊はツキがあったようです。
それは大将が騎乗で会場まで行く事です。
我が軍は武田太郎義信で、騎乗は合計3名で、信玄公、勝頼公、義信公と言う事のようでした。献塩の義に参加出来るし、大将は騎乗武者となるし、三浦隊はツキがあると言うのは正しいようでした。
その代わりにどうも睡眠が浅かったような気がします。膝の為でしょうか。
朝風呂も膝を考慮して避けました。しかし、膝にはなにも問題がないので、普通に参加する事に決めます。
宿の朝食を食べてから着替え場所へ。北小学校が我々武田軍の集合地です。宿から歩いて数分の距離です。この宿のは非常に親切な上に着替え場所まで近い事もあって、我々の定宿となっているわけです。
自分や三浦殿は10回以上、桜風殿や小典厩殿も何回も参加しているので、着替えには余り困る事がない状況なのでで、高津企画さんの手を借りずに、むしろ自分の部隊参加の亀さんやその御友人、桜風殿、京極殿の着替えを手伝いながら、自分も着替えてしまいました。
さらしの布を持ってくるのを忘れたので、そのまま用意された紐で着付けしました。
自分が出来ないのはつるしの刀を付ける事と、わらじを付ける事ぐらいです。
陣羽織が余ったので亀さんに着せて、面貌は大将である京極殿に付けさせました。この陣羽織と面貌は京極殿に貸してあったもので、返してもらったものです。
着替えが終われば記念撮影、買い物、リハーサル、昼食、出陣と流れていきます。
その中で今年はなんと「桜花」さんが、湖依姫の侍女役で参加する事が発覚した事です。ミスに選ばれた湖依姫や他の侍女の世話係として、これ以上ない人選ですが、問題はこの軍団の中に、知り合いが多すぎる事でしょうか。
本当なら湖依姫に写真を依頼するはずなのに、何となく自分などは知り合いの「桜花」さんの写真を撮ってしまう。
無事に出陣となりました、武田軍の流しの旗を持ったので、これがまた面倒なものでした・・。
またサプライがありました。自分にはツキがない代わりに、三浦隊はツキがあったようです。
それは大将が騎乗で会場まで行く事です。
我が軍は武田太郎義信で、騎乗は合計3名で、信玄公、勝頼公、義信公と言う事のようでした。献塩の義に参加出来るし、大将は騎乗武者となるし、三浦隊はツキがあると言うのは正しいようでした。
大河内久綱家臣、秋池出羽守義勝として氏那殿の援軍で参陣。寄居三鱗会と共に真田軍と戦いまする。又、所沢の滝の城祭りを五月二十日に行いまする。第一回武者行列の為、仙台青葉祭りは欠席です。