石野真琴のなんでもあり?

多趣味な石野真琴が、普段感じている事、将棋、祭り、甲冑等々、趣味の内容を描きます

石和川中島合戦絵巻(その6)

2009-04-26 20:01:08 | 趣味
 本日の東京地方の天候は曇後晴と言う感じでした。朝方は8時半ぐらいまで雲が広がっていましたが、それでも薄い雲の合間から太陽が顔を出していました。それが9時近くになるとあっと言う間に晴れ渡りました。それでも完全に雲が無くなると言う事はなく、若干雲が残ってました。この雲が日射を遮ったものと思われます。都心部の最高気温は22℃、最低気温は12℃でした。三多摩地域の最高気温は24℃、最低気温は11℃でした。今週は、雨が降る予報はありません。かなり安定した天気となりそうです。

 目が覚めたのは6時過ぎ、7時から朝食と決まっているので、さっそく朝風呂に入って目を覚ましてから、朝食を取りに向かいます。美味しい朝食はしっかり2杯食べて、しばらく遊んでから、自分は甲冑を身に付け始めました。今回は着替え場所へ行く前に全部甲冑を身に付けます。
 着替え場所は北小、この学校は風林閣から歩いて数分の距離にあります。甲冑を運ぶ手間を嫌っての着替えでした。
 着替え場所に付いて、胴丸を外して代わりに陣羽織を羽織って、その周辺をウロウロして、知り合いを見つけて挨拶をしてました。
 知り合いは武田軍より上杉軍の方が多いのです。
 さて時間になって集合写真を撮るので、自分たちは真っ先に行って待ってました。集合写真を撮ってから近くのコンビニへ、500mlのペットボトルを2本購入し、1本はその場で飲み干し、もう一本は腰にぶら下げました。
 そして北小学校の校庭に戻ると、リハーサルが始まり、リハーサルが終わると弁当となります。
 三浦隊は火の部隊、多田淡路守満頼です。火の部隊はキツツキ戦法の為に、妻女山へ回ると言う設定の為、しばし戦場を離れて客席を通過して橋を渡り、上杉軍の後方に回り込む事になります。実際に後方から上杉陣に攻め寄せるわけではありませんが・・・。
 三浦隊の前身である宮下隊の時代に高坂隊を拝命した事があり、一隊だけ客席に入った事がありました。それ以来の行動です。
 さて、この多田淡路守満頼ですが、第4次川中島合戦の時には、病中にあって出陣していなかった事が知られています。出身地は美濃国とされ、武田信虎の時代に武田家に随臣した者とされます。武田の5名臣の一人とされ武田信玄にも仕えて活躍しますが、同じ浪人で仕えたとされる横田備中守高松と一緒で、信虎時代に大いに活躍した人物と言えます。
 合戦終了後の事については、鍵を紛失した顛末記に詳細に書いてありますので、そちらをご覧下さい。
 帰りに御坂一宮ICから高速道路に乗って、次の勝沼ICから乗って来て、自分の車の前に入ったバイクがありました。振り分け式のバックを荷台に取り付けたその姿は・・・。小典厩どのだ、あれはたぶん・・・。
 と言う事でこのバイクを追い回す事に決定。談合坂SAまで車線を変更したバイクをジッと追いかけました。4人が乗っているとは言え車重1.2トンで、1600CC足らずだが、155馬力のVTECエンジンは伊達ではありません。
 400CC一人乗りとは言え、単気筒エンジンのSR。空いていて本気になれば、ぶっちぎる事も可能ですが・・・。
 高速道路は空いていたし、渋滞を追いかけてノンビリ走っている間に、解消されたようで、ほとんど渋滞らしい渋滞には填りませんでした。

 さて、この長い2009年の石和川中島合戦絵巻参戦ルポは終了です。
 毎年、楽しい一時を供に過ごしてくれる三浦隊の皆さん、幕府軍の皆さん。風林閣の社長さん。中島合戦絵巻の主催者様、関係者様。そして笛吹市の皆様。ありがとうございました。今年も本当に楽しかったです。
 来年もまた宜しくお願いします。

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