■『縄文思想が世界を変える―呉善花が見た日本のミステリアスな力 (麗沢「知の泉」シリーズ)』
◆日本人の侘び、寂びという美意識はわかりにくい。しかしその美意識は現代の若者の中にも息づいている。たとえば秋に感じる日本人の情緒は、秋そのものが、秋が象徴する衰えた生命そのものが感動の対象となる。そのような情緒が庶民の美意識にまでなっているのは日本だけだ。日本人のこうした美意識は、仏教的な無常観から生じたのではなく、元来日本にあった美意識が仏教と結びついて「もののあわれ」となり、人々の愛だに広く根をおろしたに違いない。P65
☆『宗教と日本人』の中で「天然の無常」という寺田虎彦の言葉が紹介されている。大思想によって学んだのではなく、日本の自然的・地理的条件によって、天然に生まれた無常観。それが仏教の無常観と結びついていった。それが「高貴な無神論」「淡白な無私の精神」の基調をなしていた。呉善花は、これを美意識と結びつけて日本文化の特徴を語っている。逆に言えば、美意識となったが故に、無常の意識が真に徹底されて宗教的に深い次元を開くということが少なかったのかもしれない。
◆西洋近代に発する市民社会の基本には、自立した諸個人がそれぞれのプライバシーを重んじながら、同時に社会的な約束事を遵守し合うという社会契約的な考えがある。それに対して日本的な自己主張の弱さは、その人がたとえひとつの普遍的な観点を持っていても、それを他人に押しつけないという利点を持っている。そうしてこそ、主義・主張が異なろうとも、多元的な人間関係を横に広げていくことが可能になるのではないか。日本人の社会にも西欧に源をもつ普遍的な精度があるが、日本の社会秩序はそれによって保たれている部分より、生活する人々の間での自然な調整作用の働きで「自動的に」保たれている部分のほうが多いのではないか。
☆これは鋭く日本の社会の本質をえぐった洞察だと感じる。『目覚めよ仏教!』の中で、日本人の自立性のなさを嘆く部分があるが、あの本のつまらなさのひとつは、そういう日本人や日本文化への陳腐で図式的な理解にあるのだと思う。
◆日本人の侘び、寂びという美意識はわかりにくい。しかしその美意識は現代の若者の中にも息づいている。たとえば秋に感じる日本人の情緒は、秋そのものが、秋が象徴する衰えた生命そのものが感動の対象となる。そのような情緒が庶民の美意識にまでなっているのは日本だけだ。日本人のこうした美意識は、仏教的な無常観から生じたのではなく、元来日本にあった美意識が仏教と結びついて「もののあわれ」となり、人々の愛だに広く根をおろしたに違いない。P65
☆『宗教と日本人』の中で「天然の無常」という寺田虎彦の言葉が紹介されている。大思想によって学んだのではなく、日本の自然的・地理的条件によって、天然に生まれた無常観。それが仏教の無常観と結びついていった。それが「高貴な無神論」「淡白な無私の精神」の基調をなしていた。呉善花は、これを美意識と結びつけて日本文化の特徴を語っている。逆に言えば、美意識となったが故に、無常の意識が真に徹底されて宗教的に深い次元を開くということが少なかったのかもしれない。
◆西洋近代に発する市民社会の基本には、自立した諸個人がそれぞれのプライバシーを重んじながら、同時に社会的な約束事を遵守し合うという社会契約的な考えがある。それに対して日本的な自己主張の弱さは、その人がたとえひとつの普遍的な観点を持っていても、それを他人に押しつけないという利点を持っている。そうしてこそ、主義・主張が異なろうとも、多元的な人間関係を横に広げていくことが可能になるのではないか。日本人の社会にも西欧に源をもつ普遍的な精度があるが、日本の社会秩序はそれによって保たれている部分より、生活する人々の間での自然な調整作用の働きで「自動的に」保たれている部分のほうが多いのではないか。
☆これは鋭く日本の社会の本質をえぐった洞察だと感じる。『目覚めよ仏教!』の中で、日本人の自立性のなさを嘆く部分があるが、あの本のつまらなさのひとつは、そういう日本人や日本文化への陳腐で図式的な理解にあるのだと思う。