探訪・日本の心と精神世界

日本文化とそのルーツ、精神世界を探る旅
深層心理学・精神世界・政治経済分野の書評
クイズで学ぶ歴史、英語の名言‥‥‥

すべては宇宙の采配

2015-05-11 21:36:53 | 書評:科学と心と精神世界
◆『すべては宇宙の采配

著者が、無農薬・無肥料でリンゴ栽培を成功させるまでの苦しみとその後の劇的な展開が興味尽きない。

自分のやり方でまったく成果がでず、収入もなく追い詰められて自殺を決意するところまでいく。ロープをもって岩木山に登っていき、ある木にロープをひっかけようとするがうまくとまらない。飛んでいったロープを取りにいくと、ちょうどロープが落ちたところに野生のリンゴが3本あった。その根元がふかふかで、ほのかな土の香りがした。自分のリンゴ畑の固い土との差に驚く。「そうだ、畑の土を自然な状態にすればよいのだ」と、家に戻った。それ以来、農薬のかわりのにんにくや牛乳もまかず、下草も生えるにまかせた。すると多種多様な雑草が生え、野うさぎ、野ねずみ、テン、イタチがやってくるようになり、害虫の蛾を食べるカエルも大発生した。大ミミズも増えて土を豊かにし、野生の王国の食物連鎖が始まったのだ。そして、自殺を思って入った山で偶然見つけた野生のリンゴの木(実際はリンゴではなかったようだ)の下のふかふかの土と同じになり、ついに無農薬・無肥料のリンゴ栽培に成功するのだ。

福岡正信の『自然農法 わら一本の革命』を読んだことが、彼のその後の人生を変える。著者の農法も自然農法の一種といってよいかも知れないが、福岡正信の農法と違い、一切を自然に任せてしまうわけではない。ともあれ、リンゴの果樹園に、自然のバランスを取り戻すことで無農薬・無肥料のリンゴ栽培ができるようになったという事実に強く引かれる。人為によって分断されない自然の連鎖の中に真の豊かさがある。

この本には他に、著者のUFO体験や臨死体験などがストレートに語られている。少し無防備に語りすぎるのではないかと心配になるほどだが、そのバカ正直さこそがこの人の魅力なのであろう。著者の体験が面白いのは、たとえばUFO体験で一緒だった人が、その後テレビ番組に出ているのを見て、自分の共通の体験を語るなど、なにかしらの裏づけになるような体験が続くことだ。それでも信じられない人は多いだろうが。

いずれにせよ、私の中の自然農法への昔からの関心をよみがえらせてくれた本だ。

存在することのシンプルな感覚

2015-05-11 20:06:46 | 書評:心理学
◆『存在することのシンプルな感覚

トランスパーソナル心理学の代表的な理論家ケン・ウィルバーの膨大な著作のなかから、そのエッセンスを選び、テーマ毎に配列した本だ。ウィルバーの理論の核心的な部分が、ウィルバー自身の言葉で簡潔に紹介されており、ウィルバー思想へのよき入門書となるだろう。私自身、ウィルバーの思想の核心をもう一度確認するのに役立っている。

訳者も触れているように、ウィルバーの言葉は理論的な部分よりも、直接「スピリット」について語り、「スピリット」を指し示すときにもっとも輝く。本書は、そのような言葉が多く集められている。魂に直接訴えかけてくるような言葉が多いということだ。

たとえば以下は、いずれも『ワン・テイスト』からの引用だ。

「もしあなたが、この『自己』ないし『スピリット』を理解できないと感じられたら、その理解できないということに落ち着かれるとよい。それが『スピリット』なのである。」

「エゴというのは単なる事象ではなく、微妙な『努力』(何らかの目的を達成するための目標)なのであり、努力して切り捨てることはできない。それでは、あなたは一つの努力のかわりに二つの努力をもつことになってしまう。エゴそれ自体が神性の完全な顕現なのであって、それは切り捨てようとするかわりに、ただ自由のなかに安らいでいることがエゴに対処する一番良い方法である。」

この本を読んであらためて思ったことがある。魂の成長や覚醒、さらにひろく精神世界に関心のあるものにとって、ウィルバーの思想はきわめて貴重な全体的な見取り図の役割を果たしているし、これからも果たし続けるだろうと。もちろんこの見取り図をそのまま信じる必要はない。しかし、これまでここまで包括的な見取り図は存在しなかった以上、まずはこれをもって自らが旅に出ればよい。その上でもし見取り図に修正すべきところを感じだら、自分で修正すればよい。

ともあれほとんど地図らしきものがなかったところへ、きわめて広範で精度の高い地図が与えられたのだ。これまでは、こうした地図すらないところを手探りで進まなければならなかったのである。しかし、今はこの見取り図がある。その意味は、はかり知れず大きい。

生きる意味の探求

2015-05-11 19:39:47 | 書評:科学と心と精神世界
◆『生きる意味の探究―退行催眠が解明した人生の仕組み

これまでに読んだ退行催眠による過去生の探求や、いわゆる「前世療法」を扱った本に比べると、実証的な姿勢がある点がよい。クライエントが語った過去生の記憶を実証的に確認した結果をある程度語っているのだ。ただ全訳ではないので、もっと実証的な部分は翻訳では省略されているかも知れない。少なくとも、いくつか挙げられた事例から判断して、実証的に確認できる事例を、著者がかなり持ってい るようだということは分かる。

一例を挙げよう。アメリカ人である女性が、アレックス・ヘンドリーという男性として19世紀後半のスコットランドに暮らしていた人生を語った。アレックスは、肉体的なハンディキャップを克服し、エディンバラ大学で医学を修めた。その生き生きとした大学生活の描写は、証明可能な二つの事実を含んでい た。

ひとつは家族がハンプシャーに住んでいたこと。もうひとつは、彼が1878年に医学校を卒業したことだった。こうした100年以上前のスコットランドの一無名人の情報を、クライエントが入手できたはずはないが、勉強のたいへんさや、家族からのプレッシャーを語る彼女の描写は真実味が溢れていたという。

著者はその後、エディンバラ大学に問い合わせて返事を受け取った。「アレクサンダー・ヘンドリー。スコットランド、バンプシャー郡カラン出身。1878年、医学士過程及び修士課程終了。」

この本でも改めて確認したのは、クライエントが過去生で死ぬ場面を語る描写が、臨死体験者の報告とほとんど同じだということだ。これは驚嘆に値する。体外離脱、上から自分の肉体を見る、愛を発散する光に包まれる等々。これも具体例を示そう。

「自分の遺体が見えます。自分の体を、見下ろしているんです。暴徒たちは、その遺体に覆いかぶさるように立っています。ひとりの男が、足で私の遺体をひっくり返して、何かぶつぶつほかの人たちに話しかけています。遺体を運び去ろうとしているんです。もう、自分の肉体にとどまりたいとは思いません。自由になったんです。そして光が‥‥‥とっても感じのいい光です。安らかな気持ちにさせてくれ ます‥‥‥恐怖も苦痛も消えました。私は自由になったんです。」

もちろんこれは退行催眠で過去生での死とそれに続く場面を思い出しているのだが、臨死体験についてある程度知る人なら誰でも、両者の驚くほどの類似性を認めるだろう。

著者は言う、「退行したクライアントがどんな宗教を信じていようと、過去生での死の体験は、みな驚くほどそっくりである。死とは移行の瞬間であり、平和と美と自由の瞬間である。着古してくたびれた衣装を脱ぎ捨てて、新しくもあり、またふるさとのように馴染みある世界へと、踏み込んでいく瞬間なのである。」

多くのクライアントが繰り返し語る死の特徴は、「身の軽さ、浮遊感、自由さ」だというが、これはまた、多くの臨死体験者が繰り返し語る特徴でもあるのだ。

臨死体験の報告と一つだけ相違する部分があるとすれば、退行催眠ではトンネル体験を語るものは、ほとんどいないらしいということだ。

それにしてもきわめて高い共通性があるのは確かで、今後しっかりとした統計的な比較研究をする必要があると思う。これほど臨死体験が知れ渡っている以上、ほとんどのクライエントはその内容を知っているだろうから、たんに共通性が高いだけでは、あまり意味をなさない。細部に渡る比較研究のなかで、この共通性が積極的な主張につながるかどうかを検討しなければならない。

クライエントが語る「中間生」、時空のない世界の描写にも、臨死体験の報告と高い共通性がある。「宇宙を満たす感触、すべての生物を包み込む感触、見えるものも見えないものも含めたすべてのものの真髄に触れる感触、あらゆる知識に同化して文化の制限を超えた真実に目覚める感触、それが、中間生である。」

悟りにも似た精神変容を遂げる臨死体験者も、同様の世界に触れた体験を語ることは臨死体験研究読本―脳内幻覚説を徹底検証』の読者なら、容易に理解してくれるだろう。

中間生の描写は、別項で取り上げた『魂との対話』での「魂」のあり方とも非常によく似ている。「魂」は、それ自体、時間による制限を受けず、時間の外側に存在している。「魂」の視野は広大で、その知覚はパーソナリティー(個々の人生を生きる自己)のもつ限界を超越している。パーソナリティーは、愛や明晰さ、理解、思いやりなどに自身を同調させることで「魂」に近づく。

退行催眠は、クライアントが療法家の世界観の影響を無意識に受けやすいという面があるかも知れない。そうした点に充分慎重である必要はあるが、著者が豊富な臨床例から解明した「人生の仕組み」を参考にして見る価値は充分にあると思った。人生という名の学校で、私たちは、繰り返し学び続けているのだという「仕組み」 を。