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こだわりの農業

土作りから栽培・収穫まで無農薬・無化学肥料(自然農法)で露地草生栽培を実践するわが家を紹介します。

たべるということ

2006-12-13 23:24:22 | きょうのひと言
あたりまえに3度の食事をしている私。
またほぼ毎日のように、間食というおやつも食べる。

「きょうは何食べたい?」
「別にこれというものがないから、何でもいいよ」

食事のメニューに困ると、きまって妻はこんな問いかけをしてくる。
その度にきまってこんな答え。

スローフード協会の公式ブック「slow」日本版が最近送られてきた。
世界5大陸の食の現状がエッセイのように記されている。

飽食のあまりだろうか、食生活や食習慣が崩れている国、
伝統を現代風にアレンジしながらも独自の食文化を守っている国、
食の安全や健康問題をあまり気にしない国・・・。文化の違いからなのか、さまざまだ。

斜め読みではあるが、ひととおり読んで感じたこと。
いわゆる途上国と思っている国の方が、食文化を大切にしている。
なにも貧困ゆえに食べられないということではない。
食材をムダにせず大切に使い、愛情込めて手作り(あたりまえか?)。

確かに隣の芝は青く見える。のどかで微笑ましくっていいなあ、なんてことは本当は無いのかも知れない。
飽食の時代に育ち今も生きている私にとって、愛情込めて伝統の味を守っている人々がやけに新鮮に映る。


自分の好み、家庭の好み。
好みが偏っていると、やがては偏食になってしまう。
そういえば、嫌いなものを食べないと食べるものがないなんてことほとんど覚えがない。
この年になって、健康を気にするようになり、食べ物に気を使うようになった。
健康のために・・・。
食べるということは本来、生きるための行為である。
健康のための行為ではない。
食べるのは本来、1人でではなくみんな(家族)とのはずである。
食事中にたわいもないその日の出来事などを話したり聞いたり。
こんな行為が家族の絆を強固なものとしたはずだ。

食事中のテレビはダメ!小さいときによくこう言われた。
今になってみると、テレビを見入ってしまうと会話が減って来ることに気づく。

食材を用意して料理をし、みんな(家族)で食べる。
食の原点は、世界のどこでもこんかオーソドックスなことなのかも知れない。

手軽なお総菜や冷凍やレトルト食品。確かに便利だが、確実に手は抜ける。
料理の手抜きが会話を少なくさせ、手間ひまかけることを「面倒」としてしまった。
その結果、何事も手軽にが常識と化してしまった。
大通り(基本)を知らずに、近道(楽なこと)を教わってしまうと、”楽をしている”という感覚が育たない。
やはり基本を知って初めて便利さを体感できる。

たべるということから、いろいろなことへ波及していること。
もしかしたらそれは、”お手軽(手抜き)”かも知れない。

このように考えると、食育とは単に食べることの大切さを教えればよいのではなく、
社会生活の基本を教えることになるのかも知れない。

「たべるということ」奥が深い。




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