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真っ赤に染まった包帯、殉職した仲間を前に「民主警察のつらさ感じた」あさま山荘事件50年、…

2022年02月19日 | 日記


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/47news_reporters/nation/47news_reporters-20220210165528

一部引用

▽真っ白な現場連合赤軍が立てこもりを始めたのは1972年2月19日。当時、国松さんは警視庁広報課長を務めていた。
武装した過激派による立てこもりは大ニュースとなり、報道陣は長野県警担当はもちろん、警視庁担当記者も多数が現場に押し寄せた。
テレビ局や雑誌なども含めて千人を超え、記者会見の仕切りや関係機関との調整役として国松さんに白羽の矢が立った。

国松さんは到着した厳寒の軽井沢の風景を「白以外ない」と記憶している。辺り一面は雪に覆われ、「とにかく寒い。2、3日で終わるだろうと思って行ったんですが、
防寒対策が不十分で大風邪をひいてしまった」。実際には28日まで10日間、220時間近くの攻防が展開されることになった。

 ▽学生運動から「世界同時革命」へ

そもそも連合赤軍とは何なのか。なぜ、日本有数の避暑地の山荘に立てこもり、警察との対峙を続けたのか。
70年前後は学生運動の嵐が吹き荒れた時代だった。激化するきっかけは東大闘争。
68年に東大医学部で研修医無給制度に対する反対運動が起き、無関係の学生が処分されたことが引き金となった。
日大や早稲田大などでも、学生自治や学習環境整備を求めた学生運動が活発になった。

東大では安田講堂に立てこもった学生らを機動隊が排除して鎮圧し、学生運動は次第に下火に。
ところが先鋭化した一部の若者らは大衆的な広がりを欠く中で、武装蜂起し革命運動に発展させようと赤軍派を結成した。
「世界同時革命」を夢見て北朝鮮や中東に渡ったメンバーとは別に、日本に残ったメンバーが別の組織と共闘して生まれたのが連合赤軍だ。

メンバーは群馬県の山中に築いたアジトで射撃訓練をしていたが、警察に見つかり逃走。山を越えて長野県側に入り、
たまたま逃げ込んだのが河合楽器の保養所「あさま山荘」だった。メンバーの男5人が管理人の妻を人質に取って籠城を開始。
山荘の周辺は長野県警や応援の警視庁機動隊などが取り囲み、その陣容は最も多い時で約1400人に達した。

 ▽鮮血に染まった白い包帯

 

山の斜面に立つあさま山荘は3階建て。5人は包囲した警官隊を見下ろし、中から散発的に発砲した。
にらみ合いを続ける一方で、警察は犯人の母親を現場に呼び、投降するよう説得を試みた。

母親は、元長野県警幹部の著書によると、こう呼び掛けた。「これではあなたが日常言っていた、世の中の救世主どころじゃないじゃないの」
「こうなった以上、最後はあんたたちが普通の凶悪犯と違うところを見せてほしいの。武器を捨てて出てきてね」

しかし犯人側は無視。別の日の説得時には、母親の乗った車に発砲したこともあったという。