2018-05-18の動画削除により差し替えました。
1991年に埼玉県秩父市立影森中学校の教員によって作られた合唱曲である。
作詞は当時の校長であった小嶋登、作曲は音楽教諭の坂本浩美(現・高橋浩美)による。
編曲は、松井孝夫他、複数の作曲家によるものがある。
近年では卒業ソングの定番として認知され、原曲の変ロ長調の他にハ長調などの様々な調で歌われている。
また、混声三部版、混声四部版、女声三部版、同声二部版と複数のバージョンが存在している。
影森中学校の校長だった小嶋は当時、荒れていた学校を矯正するため「歌声の響く学校」にすることを目指し、合唱の機会を増やした。
最初こそ生徒は抵抗したが、音楽科教諭の坂本と共に粘り強く努力を続けた結果、歌う楽しさによって学校は明るくなった。
「歌声の響く学校」を目指して3年目の1991年2月下旬、坂本は「歌声の響く学校」の集大成として、
「卒業する生徒たちのために、何か記念になる、世界にひとつしかないものを残したい‼︎」との思いから、作詞を小嶋に依頼した。
その時は「私にはそんなセンスはないから」と断られたが、翌日、坂本のデスクに書き上げられた詞が置いてあった。
その詞を見た坂本は、なんて素適な言葉が散りばめられているんだと感激した、とラジオ番組への手紙で当時を振り返っている。
その後、授業の空き時間に早速ひとり音楽室にこもり、楽曲制作に取り組むと、
旋律が湧き出るように思い浮かび、実際の楽曲制作に要した時間は15分程度だったという。
出来上がった曲は最初はたった1度きり、
「3年生を送る会」で教職員たちから卒業生に向けて歌うためのサプライズのはずであったが、
その翌年からは生徒たちが歌うようになった。
ちなみに、初めて披露した年度をもって校長の小嶋は41年に及ぶ教師生活の定年を迎えて退職したため、
小嶋が披露したのはこれが最初で最後となった。
それ以後しばらくは影森中学校だけで歌われた合唱曲であったが、次第にまわりの小中学校でも歌われるようになった。
当時東京都の中学校で音楽教論を務めていた作曲家の松井孝夫は、この曲を知ると混声三部合唱への編曲を行った。
これが雑誌『教育音楽』に取り上げられたことで、1998年頃までに全国の学校で歌われるようになった。
さらには、小中高の卒業式で定番のように歌われていた『仰げば尊し』や『巣立ちの歌』、
『贈る言葉』などに代わり、全国で最も広く歌われる卒業式の歌となった。
作詞者の小嶋登は2011年1月20日に80歳で死去したが、同年11月14日に「旅立ちの日に」
が誕生から20年の節目となることを踏まえ、作曲者の坂本浩美と共に、
埼玉県より「彩の国特別功労賞」(同賞創設以来4番目)が贈呈された。 1991年に埼玉県秩父市立影森中学校の教員によって作られた合唱曲である。
作詞は当時の校長であった小嶋登、作曲は音楽教諭の坂本浩美(現・高橋浩美)による。
~Wikipedia~
MBF151 旅立ちの日に 海上自衛隊東京音楽隊&三宅由佳莉 150416 vL HD
伝統的な技法でつくったタイヤ柄の浴衣、制作の舞台裏
「性能は、美として刻まれる。」 TOYO TIRESのタイヤのトレッドパターンを、
反物のデザインに採用し、オリジナル浴衣を作りました。
江戸染色型紙の老舗「青木型紙店」青木裕之氏に型紙を制作いただき、
また「江戸ゆかた染元・高常」高橋榮一氏に江戸時代から受け継がれる伝統的な染色技法で染めていただいた、制作の様子をご覧ください。