浦部雅美 ふるさとは春です/少し遠出をしませんか
4K Hiroshima Moss Phlox & Nemophila Hill 広島・芝桜とネモフィラの丘「 花夢の里」花の名所
撮影 April2019 広島市内から車で約90分。
世羅町の自然豊かな高原にあるのが観光農園「Flower village 花夢の里」。
毎年4月中旬から5月上旬にかけて標高500mの世羅高原に面積4万㎡
の広大な西日本最大規模45万株の芝桜と100万本のネモフィラで一面が花のカーペットでおおわれます。
沢田マンションは、素人が独自に建てた鉄筋コンクリート造の建物である。
沢田嘉農(さわだ かのう、1927年8月11日-2003年3月16日)は、高知県幡多郡七郷村(現・黒潮町)加持川字日の川の農家の生まれ。
蕨岡尋常小学校5年の時、月刊誌『家の光』で見たハイカラな「アパート」の様子に憧れ、集合住宅の建築・経営を一生の仕事にしたいと思い定める。
尋常小学校卒業後、祖父の援助を受け、土佐の山中で移動しながらの製材業を始める。
戦時中は1年間の兵役を経験。27歳で高知県中村市(現在の四万十市)に移り、地元の製材所で働く。
大工・棟梁の弟子入りや修業経験も無いまま、自ら現場を手掛け土建屋として建て売り住宅の販売・分譲を開始。
その後はアパート経営に乗り出す。この間32歳にして、当時13歳の中学生浦田裕江(ひろえ、1946年 - )と実質的な結婚生活に入る。
そもそも浦田家は嘉農の経営するアパートの店子だったが、裕江の父の入院により家計が困窮したため家賃を払えなくなり、
裕江の母が子供たちを連れて実家に戻ってしまい、裕江ひとりだけがアパートに残された。
当時、嘉農は未成年誘拐の疑いをかけられ、警察の訪問を受けたこともあるが、裕江が親元に帰ることを頑強に拒んだため、
1959年4月10日に結婚することとなったという。
沢田マンションは、高知県高知市薊野(あぞうの)北町に建設された、集合住宅である。
鉄筋コンクリート建築を専門職として手掛けたことのない者が、夫婦二人で(のちにはその子も加わって)造りあげた。
通称「沢マン」(さわマン)、「軍艦島マンション」とも。
現況は、鉄骨鉄筋コンクリート構造、敷地550坪、地下1階地上5階建て(一部6階)、入居戸数約70世帯、約100人居住。
自身の製材業経験やマンション建設過程での発電・給湯などに由来する、沢田嘉農の
発動機コレクション(メーカーに現存しない1936年製のものを含む)が展示してある。
増築に増築を重ねた外観から、軍艦島とともに並んで「日本の九龍城」とも呼ばれ、建築物探訪の名所のひとつとして知られる。
~ウィキペディア~
日本一有名なマンション「沢田マンション」
香港・九龍城
Kowloon walled city 九龍城砦
2017 香港の旅 モンスターマンションを見て来ました
2018.1末よりモンスターマンションは関係者以外立ち入り禁止になっているそうです。
2017-01-07の再掲