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12月8日は太平洋戦争開戦記念日

2014年12月09日 | 日記

 

 

今日12月8日は太平洋戦争開戦記念日

1941(昭和16)年のこの日、日本海軍はアメリカ海軍の基地があるハワイの真珠湾を奇襲し、太平洋戦争が始まった。

*安倍を始め自民党のヴァカ輩、二度と戦争は起こさないでくれ~!!

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~転載~北国新聞

真珠湾出撃前、富山の空へ 武田さん、17歳の勇姿


旧日本軍の真珠湾攻撃による太平洋戦争の開戦から8日で73年。雷撃機に乗り、17歳で命を落とした武田友治さんは、同攻撃作戦で散った唯一の富山県出身 者である。出陣の1カ月ほど前、武田さんは公には認められていない「郷土飛行」でふるさとの空を飛んでいた。当時、機影をまぶたに焼き付けた親族らは、犠 牲の上に築かれた平和の尊さをかみしめている。

 武田さんは宮川村(現富山市婦中町)の永井家に、10人きょうだいの七男として生まれ、1歳の時に八尾町の武田家へ養子に出た。14歳で富山を離れ、海 兵団に入隊。真珠湾攻撃では空母「加賀」の雷撃隊員として艦上攻撃機に乗り、米軍の機関銃攻撃で命を落としたとみられている。

 1941(昭和16)年夏の終わり頃、武田さんは休暇を取り、故郷の宮川村へ戻った。武田さんのおいに当たる池内藤三さん(87)=同市婦中町中島=は、武田さんが母校の杉原小で講演した様子を見ていた。

 「皆さんも飛行機に乗り、国のために力を尽くしてほしい」。武田さんの話を聞いた池内さんは「周囲に飛行機乗りはおらず、立派だと感じた」と回想する。同じくおいの永井豊次さん(83)=同所=も「自分も軍に入り、あんな人になりたいと思った」と振り返った。

 武田さんが所属する舞鶴海軍航空隊に戻った直後、八尾の義父宅に「友治がこの地区を飛行する」と連絡が入った。元中学校教員で、武田さんの歴史を調べて いる橋本哲さん(65)=富山市田中町=によると、自身の目的のために飛行することは軍の規律に反しており、特別に許可を得た可能性が大きいという。橋本 さんは「ふるさとを見る最後の機会になる、と武田さんも、周囲も分かっていたのかもしれない」と話す。

 武田さんが乗る飛行機は秋の晴れた日、富山市山田地域の方角から現れた。地上では池内さんや永井さんら親族が総出で日の丸の旗を振り、勇姿を見守った。池内さんは「飛行技術を見せてくれたと当時は思っていた。今思うと悲しい気持ちになる」と空を見上げた。

 真珠湾攻撃で命を落とした県人がいることを知らない県民が増えている。橋本さんは「親に戦争経験者を持つわれわれが、戦争を伝える役割を引き継ぐ必要がある」と力を込めた。

真珠湾出撃前、富山の空へ 武田さん、17歳の勇姿

~転載終わり~

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