遊女~asobime~色街道中探訪記

遊廓、赤線、青線があった場所、古い温泉街や町並み、看板建築、古い旅館や旧遊廓などの建物内も画像付きで紹介しています。

旧遊廓『大正亭』内部 (秋田県土崎港)

2021-04-27 23:23:00 | 日記
探訪日 2017年10月9日
※数年前の古い画像になります。

前回紹介した土崎港稲荷町の赤線跡を探索中、幸運な事に色々な条件が重なり大正亭の建物の内部を見学させていただく事が出来ました。
家主のお婆ちゃんは東京都出身で、昭和30年にこの家へ嫁いで来たらしい。
この「大正亭」は名前の通り大正時代からの建物で、昭和4年発行の『全国花街めぐり』でも紹介されています。


旧「大正亭」。土崎で唯一現存する遊廓の歴史を伝える貴重な建物。

2階部分の手摺りと二重庇が美しいです。

玄関の竿縁天井に飾られた硝子グローブは洋風デザイン。



ひょうたんの飾り窓

それではお邪魔します…
漆喰の装飾が遊廓らしさを物語っています。

入り口から左手に2階へ続く階段と丸窓が見えます。



家主のお婆ちゃんは現在独りで住んでいるそうで、息子さんが新しく家を建て同居をすすめられているらしいのですが、お婆ちゃんは、この建物がお気に入りで住み続けているのだとか。
「奥にトイレがあるんだけど、素晴らしいから是非見て来て」とお婆ちゃん、早速見せてもらいました。
トイレへ続く廊下。

更に奥のガラス戸をガラガラガラ…

明かり取りの窓と壁の装飾とタイル…
昔は小石がある所が洗面台だったと思われます。凄くお洒落!

洗面台下の当時物のマジョリカタイルの装飾。
日本では大正初期~昭和初期にかけて多く生産されていたそう。

曲線デザインの漆喰、ひょうたん形の切り窓に洋風タイル、正に妓楼建築。
素晴らし過ぎて感動しました!

トイレへ向かう途中の廊下。窓枠のデザインと磨ガラスの組み合わせも凝っています。

1階部分には、お婆ちゃんが数年前まで開いていた美容院があります。コチラも綺麗にされていてお洒落な雰囲気。


※次回は2階部分を紹介したいと思います。
撮影日 2017年10月9日


詳しい内容や歴史、インタビューがコチラの本で紹介されています。
↓↓↓
「秋田県の遊廓跡を歩く」
文・小松和彦
写真・渡辺豪




遊廓跡を歩く(秋田県土崎港)

2021-04-25 21:08:00 | 日記

探訪日 2017年10月9日
※数年前の古い画像になります。


昭和4年に発行された「全國花街めぐり」によると
「市街の中央部港寄の方に「稲荷町」、南端に「新柳町」があって土崎の花街としては、稲荷町の方が古い歴史を有して居るのであるが、今日は酌婦専門の私娼窟の如くなってしまって甚だ振はない。新柳町の花街は文政四年の創業で、數度の祝融に禍ひされて昔日の觀無しとは言われるが、割烹店などにも大きな家があって、土崎港の花街として恥づる所はない。」とあります。

旧「大正亭」。土崎で唯一現存する遊廓の歴史を伝える貴重な建物。「秋田県の遊廓跡を歩く」でも紹介されています。


実はこの大正亭の内部、家主様に許可をいただき特別に見せてもらう事ができました。貴重な妓楼内部の画像は次回upしたいと思います。
大正亭2階手摺り部分。



大正亭の向かいにある古い医院の建物。


赤線跡と思われる通りにはスナックや小料理屋、旅館と思われる建物が残っています。


古い料理飲食等の特別徴収義務者証票のプレート。

何か挟まっている…蛹か繭?


特殊飲食店街があった通り。

小料理屋風の店舗跡。入り口が少し斜めになっています。


店舗跡の建物を裏側から撮影。


カラフルなブロック硝子が埋め込まれたピンク色の壁と斜めの入り口がレトロで素敵。


手前の店舗は現役の様です。


壁の18禁プレートは古いです。

廃業した藤政旅館の建物。



隣の建物には外された旅館の看板が残っていました。


昭和レトロな型板ガラスは「野道」?かく言う私の実家も昭和レトロなガラスです。



右側の新しいマンションと比べると道を隔てて異空間…?かつてはマンション側にも古い店舗跡があったと思われます。


廃業した店舗の内部をチラリ…


今回歩いた稲荷町は明治から公娼が許され、芸妓も居た古い時代から遊廓であった様です。昭和に入ると私娼窟化し昔の面影は無く、戦後も赤線として続いていた様です。

昭和4年の「全國花街めぐり」には
・竹屋
・大正亭
・末廣屋
・勝手楼
・かねそ
外八軒の料理店にそれぞれ酌婦を置いて居る。その數總て四十餘人…と紹介されています。

新柳町から芸妓を稲荷町の料理店に呼ぶ事は禁忌とされていた様で、料理店の方も芸妓を呼ぶ事は好まなかった様です。

売春防止法施行前の特殊飲食店時代には
・大正亭
・竹屋
・柳月
・浮代
・清本
・小松屋
などの料理店があり、2~3人の酌婦さんを置いて居たらしく、大店の大正亭と竹屋は4~5人も居た(秋田県の遊廓跡を歩くより一部抜粋)

次回は『大正亭』の貴重な内部を紹介します。
探訪日 2017年10月9日


遊廓跡を歩く(福島県三春町)

2021-04-16 16:13:00 | 日記

探訪日2016年8月7日
※数年前の古い画像になります


庚申坂遊廓の歴史は古く、江戸後期よりこの地にあり、元あった場所は「古庚申坂」と呼ばれ地元の人たちは場所を区別しているそうです。
今回探訪する「新庚申坂遊廓」は治28年5月に弓町に移転。最も栄えた時代が大正3年頃。磐越が郡山から三春まで開通し、三春甚句の歌詞にも「奥州三春に庚申坂なけりゃ旅の馬喰も金残す」と謡われました。

新庚申坂遊廓への入り口付近

この坂の上の一番奥にかつて「新庚申坂」と呼ばれた遊廓跡があります。


猛暑の中、坂道を汗だくになりながら登ります。※「三春昭進堂」の向かい側を入った所が弓町です。
この日の気温35℃←前回からしつこい(笑)


坂を登って右側には各妓楼へ「うどん・そば等」を仕出しする店「しんこや」があったそうです。


やっと妓楼が見えて来ました。左側に4軒建ち並んでいます。かつては妓楼が5軒。奥には娼妓の為の診療所があり、福島から週に1回検診に医師が来ていたそうです。


10年以上前のブログを拝見していたので、震災後数年が経過して建物が崩れていないか、取り壊されていないか心配でした…
一番手前にある「花屋楼」

正面から撮影。


「島屋楼」…崩れて…る…


「島屋楼」玄関


「双葉楼」


「双葉楼」正面から撮影。

「島村楼」


「島村楼」は家主様が渡辺豪さんのインタビューに答えていました。貴重な中の様子は豪さんの遊郭部で紹介しています。


「島村楼」2階部分。家主様が手入れをされていて綺麗に保存されいます。


ここからは無惨にも崩れてしまった「島屋楼」の姿…玄関の引戸から顔を覗かせているのは壊れた鉄砲風呂…


鉄砲風呂越しに見た内部の様子…もう凄い事になっています。


奥の方も崩れてしまった様です…10年以上前に見たブログでは中の部屋の様子、浴室、ステンドグラスを使った1階の窓を撮影した貴重な画像も紹介していました。


「双葉楼」2階部分


「双葉楼」1階部分…まだ大丈夫そう?


「双葉楼」障子の隙間から見た内部



よく見ると床が抜けてしまっている部分も…


もっと撮影する予定でしたが猛暑の中、意識朦朧…この時期に来た事を後悔しながら坂道を下ります。ステンドグラスが見たかった…
三春町は桜が有名なので春に探訪とも思いましたが、観光客の混雑を避けるためには秋ごろがおすすめです。


途中、古い建物と「今泉女子専門学校」と書かれた看板。


途中、古い建物や蔵が残っています。


坂道を下った所に和菓子の「三春昭進堂」があります。今回のブログは昭進堂さんのブログの内容を一部抜粋させていただきました。


和菓子の「三春昭進堂」さんのHP
http://otarimanjyu.com/

昭和頃の庚申坂遊郭の様子
昭和5年発行の「全国遊廓案内」によると
「福島県三春町に在って、磐越東線三春驛で下車する~(中略)~貸座敷は四軒、娼妓は十五人居る。陰店を張って居て、遊興は廻し制である。費用は御定りが一圓五十錢。二圓、三圓等がある。」と紹介しています。

渡辺豪さんのインタビューによると売春防止法施行後は旅館や学生寮として使われていたそうです。「島屋楼」の入り口が「島や荘」の表記になっていた事からも寮やアパートとして使われていた事が分かります。


※この場所は住宅地で敷地内には現役の建物もあります。住人の方々の迷惑にならない様ご配慮をお願い致します。
m(_ _)m


探訪日2016年8月7日