遊女~asobime~色街道中探訪記

遊廓、赤線、青線があった場所、古い温泉街や町並み、看板建築、古い旅館や旧遊廓などの建物内も画像付きで紹介しています。

旧大森町.昭和20年代の食堂

2018-03-22 22:07:09 | 日記
秋田県横手市旧大森町の続編、大納川沿いを歩いていると急に見えてくる木造三階建ての建物

小料理屋「貞好」、創業は戦後の20年代

入り口には古い料理店のプレート

外側から見えた木造の二階三階部分
壁の切り抜きなど凝った内装が見えます


当時は3人ぐらぃ住み込みで働いている女中さんがいたらしぃ…

店の女将さんの話しでは妓楼ではなかったとの事ですが「秋田県の遊廓跡を歩く」の中で、同じ旧平鹿郡内での聞き取り調査では、料理店だけでなく食堂でも日常的に女中による売春が行われていたという証言を得る事ができた。昭和20年代、食堂は場所によって料理店やカフェー同様、一種の風俗営業店でもあった。(中略)食堂として創業した貞好さんの建物がどこか遊廓をイメージさせる理由はこういった時代背景にあるのではないか…とありました。

確かに…食堂として創業していた当時としては、料亭、割烹などと同じぐらぃの規模と凝った内装。増築した3階部分もそれなりの利用客があって賑わっていた事と思えま
す。

残念ながら撮影日は貞好さんの定休日で予約が取れなかった為、店内の様子はまた次回に…

撮影日 2017.4.16


横手市旧大森町の割烹「広の屋」

2018-03-18 00:29:00 | 日記
「秋田県遊里史」によると「大正中期以降の料理屋は倶楽部、松葉屋、菊地屋、高砂屋、広屋、その他2件あった。いずれも酌婦4、5人抱えて営業した」とあります。
「秋田県の遊廓跡を歩く」では大森町住宅街にある「割烹・広の屋」という店が遊里史にある「広屋」という屋号と思われるので、40年前の住宅地図を頼りに訪ねてみた。と紹介してあり、私も本の地図を見ながら住宅街へ…

旧「割烹・広の屋」…廃虚~Σ(-∀-;)

屋根は雪の重みで変形したのでしょうか…
手前の車はご近所の方所有と思われます。

確かに…「料理店・広の屋」と「18禁」プレートが残っています。


「広の屋」建物全体…奥行きがあって表側から見るより広そぅです。外壁の剥がれ落ち具合と雑草が生い茂ってる所を見ると長い間廃虚のままだった様です。手前は庭の跡でしょうか…

他の遊里跡と同様、住宅街にもかかわらず、スナック跡と思われる建物が点在しています。

次は徒歩3分ほどの場所にある小料理屋へ…
撮影日 2017.4.16




横手市旧大森町の赤レンガ蔵と赤川家

2018-03-18 00:28:00 | 日記
赤レンガ蔵は明治18年土蔵として建てられ国登録有形文化財に指定されています。


明治39年の大火の後、大正元年に外壁が積み上げられ、鉄製扉となり現在の外観になっています。

大森地区の地主であった赤川家の店舗跡、赤源呉服店は通りに面した所にあります。

赤川家は呉服商としては戦前まで、戦後には町長などを務めていたそぅです。
蔵の奥にある赤川邸と思われる建物。

表札に「赤川」とあります。


早めに街中の探訪を終えて、日没前までに遊廓跡を探さなくてはΣ(゚Д゚;≡;゚д゚)

撮影日 2017.4.16





横手市大森町 赤レンガ蔵のある街並み

2018-03-18 00:26:00 | 日記
秋田県横手市大森(旧大森町)は雄物川の水運を担う商人を中心に町が形成され、大正9年に横荘線の停留所が開設され、横手と鉄道により結ばれた(昭和41年廃止)
「秋田県の遊廓跡を歩く」より

商店街のアーチ

町の中心部の交差点

旧赤源呉服店(明治32年)は、切り妻平入りの2階建てレンガ造り。旧街道沿いに建っています。呉服商としては戦前まで、現在は家財収納の倉庫となっている様です。

商店街のアーチ近くの建物



町の外れを流れる大納川の名前を取った酒造があります。

商店街のアーチから少し入った辺りにあるバスの待合所

日没も近いので早めに遊廓跡を撮影しなくては(汗)

撮影日2017.4.16




舘町周辺から矢島駅へ…

2018-03-09 23:58:00 | 日記
前に紹介した大井家もある舘町の通り。
黒板壁が両側に建ち並ぶ広い通りです。


大井家の向かいにあるこの建物…

実は映画監督「斉藤 寅次郎」の生家

寅次郎監督は矢島の出身で喜劇映画の神様と言われた方で、「寅さん」の映画で有名な「山田洋次」監督は、寅次郎監督の愛弟子だったそぅです。寅次郎の「寅」の一字を貰って寅さんと名付けたとも言われています。

玄関。

西宮神社の坂を登ると…

丸窓のある平屋が見えてきます。

店舗跡の様な建物。小料理屋かお茶屋さんだったのでしょうか…

この坂を更に登って奥の方へ進むと…
旧堀江歯科医院(大正14)の建物



車で矢島を出る前に駅へ…
現在の駅舎。

矢島駅は1938年(昭和13)に開業。初代駅舎は老朽化と駅前整備のため2011年に解体。
昭和30年国鉄矢島線の写真が飾られていました。

駅舎の中は矢島の歴史等を展示してあり、休憩も兼ねて一休みしていた所に、由利高原鉄道鳥海山ろく線の終着でもある矢島駅に「おばこ号」が到着(o・ω・)ノ))


この日は風が強く、探訪中は少し肌寒かったのですが、駅の売店にいた着物姿のマダムに温かい桜茶と手作りの「おばこ号」しおりをいただきました(*^^*)

最後に…
遊廓時代の貴重な大福帳と写真を見せてくださった錦旅館の女将さん。
舘町の観光案内と大井家を紹介したくださったおじさん。
昼食中にもかかわらず非公開のお屋敷を見せてくださった大井家の家主様。
駅で桜茶としおりをくださった着物姿のご婦人(まつ子さん、地元では有名な方らしいです)。皆さま凄く親切な方ばかりで、とても良い思い出になりました(*´ω`*)

探訪日 2017.4.16