遊女~asobime~色街道中探訪記

遊廓、赤線、青線があった場所、古い温泉街や町並み、看板建築、古い旅館や旧遊廓などの建物内も画像付きで紹介しています。

大正ロマンを感じる和洋併置式住宅「亀井邸」

2017-03-10 01:55:00 | 日記
鹽竈神社裏坂(女坂)を歩くと左手の高台に赤松に囲まれた亀井邸が見えてきます。
これは、亀井商店「現.総合商社カメイ(株)」
の初代社長、亀井文平氏が大正13年に建
てたもので、別荘兼迎賓館として使われていたそぅです。
亀井邸は「和洋併置式住宅」で建てられていて、上層階級の邸宅などに用いられた様式です。伝統的な日本建築に西洋建築を併置して建てられ、当時の最高品質の材料と技術が投入されています。
土間のモザイクタイルは特注品
折上格天井になっています
玄関の格子戸越しに見える風景
上がり框にある瓢箪と御猪口と星?は魔除け厄除け開運の意味があるとか…
一階の大広間
裏坂(女坂)を登って来た方、散策で疲れた方には嬉しぃ休憩スペースも。
当時使われていた机でしょうか?
細い廊下を通って奥の離れへ…
窓や障子の中央には当時の工法で作られた砂磨りガラスを使っているそぅです。
廊下に囲まれた造りになっています。
当時としては大変高価だった手造りの窓ガラス
離れの襖の奥にある金庫
廊下左手にあるドアの取っ手は低い位置になっています
洋館には数奇屋建築に見られる丸窓と格子天井…アールデコ様式をとりいれた建具も見られ、和と洋が入り交じった造りに
北欧から取り寄せた窓枠
階段
二階の手摺。ここから塩釜港と街並が一望できます。
二階の和室の雪見障子にも当時の工法で作られた砂磨りガラスを使っているそうです。
雛壇が飾られていました
窓越しに先程見た洋館の外壁が見えます。当時パリから広まった蔓を思わせる曲線のアールヌーボー様式が取り入れられているのが分かります。
二階にある小部屋
コチラは船底天井になっています。
日本石油(株)の社章である「コウモリ」をモチーフにした取手。日本石油創立時の晩餐会に一匹の蝙蝠が舞い込み、「蝠」と「福」は同音なので福が舞い込むとされ社章になったという逸話も。
各部屋に繋がる複雑な造りの階段は、お客様が鉢合わせしなぃ様に配慮した造りになっています。遊廓建築を思わせる造り。
階段を下りてすぐ見えるスペース…当時は洗面所的な場所だったのでしょうか?
コチラは水場か浴室でしょうか?
上に設置された照明
奥はトイレになっていました
玄関の奥にいらっしゃる方が「旧ゑびや旅館」と遊廓街の情報を教えてくれたガイドさんです(*^^*)
コチラが門
裏坂(女坂)を登って左側に見える亀井邸入口…少し奥まった所にあります。
オマケ画像は、亀井邸に行く途中にいたステキなカメさん。



宮城県塩竈市本町通り(旧遊廓街)

2017-03-09 17:41:00 | 日記
陸奥国一の宮として、1200年以上の歴史を持つ鹽釜神社の門前町、港町として栄えた
塩竈市。
前回紹介した旧遊廓の「旧ゑびや旅館」がある本町通りは、遊廓街として賑わっていた時代があった…との情報を「旧亀井邸」のガイドの方から聞き、散策してみる事にしました。
本町通り…古い建物が少し残っています
震災の津波被害の影響で取り壊されている所も
看板建築が残っていました。
斜め入口…よく見ると二段階斜め&横ブロックガラスになっています。
建物横をみると勝手口?も斜めに
赤字で書かれた「顔」の文字が…
直ぐ横の石碑には「貞治横丁」と書いてありました。明治初期の沿線住民の名前が由来らしぃ。
石碑の裏側には「下町千軒」「釜の前町」とあります。御釜神社の門前である事が由来。下町千軒は平安時代、従来の地区を「上町千軒」と呼び、新たな地区の本町、釜の前町、二井町を「下町千軒」と呼んだらしぃ。
銘酒「浦霞」酒造元。隣には浦霞酒ギャラリーもあります。
店内に飾られていたレトロなレジスター
本町通りから少し登り坂になっている道へ入ってみました。
双子みたぃな店舗跡の建物。右側は小料理屋っぽぃ感じです。
反対側から撮影。
鹽竈神社を背にして、本町通りの交差点付近。左側が「旧ゑびや旅館」右側には昔ながらの駄菓子屋さん。
レトロなガチャガチャ
旧ゑびや旅館の向かいにある「御釜神社」は日本三奇のひとつに数えられるミステリースポット。「釜の水があふれなぃ、干上がらない」「変事があると釜の水の色が変わる」などの言伝えが…
本町通りを散策して、かつての遊廓や赤線を思わせる建物は「旧ゑびや旅館」しか残ってませんでした…
塩竈市の歴史を調べてみると、現飲食店街がある尾島町にも赤線があったとの情報も…
ストリートビューで調べてみると尾島町5付近にある「割烹釜めしゑいふく」の看板がある建物、尾島町22付近にある料亭風の建物に当時の面影を見る事ができます。
時間がある時に、また散策&撮影に行ってみたぃです。

オマケ画像は「ゑびや」近くの最中屋さんで買ったミニ最中セット。色々な味が楽しめてお得です。
オマケ画像 其の二
本町通りの「おさんこ茶屋」で買ったお団子セット。


遊廓カフェギャラリー「旧ゑびや旅館」

2017-03-05 01:15:43 | 日記
宮城県 塩竈町にある旧遊廓「旧ゑびや旅館」は、一階がカフェ、二階と三階がギャラリーになっていて明治初期の遊廓建築内部を見学する事が出来ます。
※営業時間.曜日.確認必要
一階「カフェ はれま」
カフェ隣の「まちかど博物館」入口から階段を登って遊廓内部見学へ♪
二階内部
この襖を閉めた壁に…
当時の客が書いたと思われる落書き
船底天井と水色の壁
当時の港、街の様子の模型も展示されていました。
波と思われる小壁の装飾
貝殻の帆掛舟と島影の象嵌装飾が施されたフナクイムシ食害材の長押
泡と思われる小壁の装飾
船底天井の間の小壁にも泡の装飾
各部屋の小壁にも色々な装飾が
フナクイムシ食害材の欄間
いよいよメインの三階部分へ
階段を登ってすぐ見えるステンドグラス。コチラは後から造られた様です。
三階の廊下。真っ赤な絨毯
左側に見えるのが竹の間
松の間
松の間、横の廊下
縁の化粧屋根裏の虹梁
竹の間
床の間の装飾にも竹細工が
塗籠梁の向こう側に格式の高い部屋が
昔はここに格式の高い空間を仕切るための暖簾が掛けられていたとか
梅の間
梅の花型の貝殻製釘隠し
いよいよ桜の間へ
桜の間。この部屋だけ唯一、竿縁が床の間と並行。吊床にもなっています。
立派な黒塗りの箪笥が
満開の桜の絵が描かれた天井
改装工事前はもっと鮮やかに色が残っていたらしいです…
桜の間にある戸棚裏…改装前の住居として使われていた跡が…マリリンモンローが渋い。
戸棚の装飾
かつて遊廓街があった通り。右側が旧ゑびや旅館。向かいが御釜神社。
二階の手摺越しに見える御釜神社
三階の塗籠梁の横にある謎の扉…
物置きかと思ったのですが、上部奥を覗き込むと謎の空間が…
画像だと暗くて分かりにくいのですが、奥か少し広くなっていて人が入れるスペースがある様でした。
ガイドさんに聞いても分からないらしく、怪しい空間。
最後に…塩竈港は、2011年3月11日の震災で震度6強と4mの津波による浸水の被害をうけ「旧ゑびや旅館」も解体の危機に…
NPOみなとしおがまでは、建物保存の為、学術調査と緊急シンポジウムを開催、参加者から塩竈市民の宝として、この建物を残したいとの意見が出され、保存活用のための募金活動と補助金、市内各団体の協力により「カフェはれま」「まちかど博物館」として生まれ変わる事ができました。
入館希望の場合、各店舗の定休日と営業時間が異なるので要確認。



一関市大東町大原の町並み

2017-03-04 21:19:16 | 日記
「丸全旅館」に宿泊した日に、一関市大東町大原の町並みを撮影してきました。
画像左が丸全旅館の入り口
古い町屋、商家がまだ残っています。
ここ大原は、一関と今泉を結ぶ今泉街道の宿場町で明治期頃まで砂鉄の産地としても栄えていました。

その中で見付けた「BAR太陽」入り口の三角屋根の上に真っ赤な太陽のモチーフ
この建物は既に廃墟の様です。
横の土壁には古い看板も…
看板の奥に見えた入り口へ…
近くで見付けた消火栓と古いポンプ…川本式でしょうか?
古い商家に混じって、看板建築風の建物も
川沿いにも商家や看板建築の建物が続きます
町中には延焼を防ぐ役割もあり、数多くの蔵が残っています。
大正時代に鉄道が通りはじめ、摺沢駅が出来るまでは、街道沿いの宿場町として栄えていた大原…今でも土蔵、町屋、が多く残っていて当時の繁栄を伺う事ができます。
撮影日 2016年8月