遊女~asobime~色街道中探訪記

遊廓、赤線、青線があった場所、古い温泉街や町並み、看板建築、古い旅館や旧遊廓などの建物内も画像付きで紹介しています。

東山温泉「高橋館」

2013-02-23 02:18:00 | 日記
東山温泉「高橋館」木造4階建。
創建昭和12年の木造4階建ての古き日本の風情を今に伝える旅館です。
温泉街の通りからは2階建てに見えますが…

川沿いから見た「高橋館」全景。木造4階建てなのですが…全体的に建物が歪んでいるのが分かります。

旅館のご主人の話しでは、先代が旅館の上に組んでいた鉄骨が、震災後の大雪の重みで屋根に刺さり、そこから雨水が入り込み、建物全体を浸食し、崩れかけてきているとか…
「高橋館」表から全体を見ても、壁が崩れ落ちているのが分かります。

戦前から残る木造4階建ての貴重な旅館が…このまま崩れ落ちて行くなんて…凄く残念です…
玄関内から外を撮影。

ロビー①

ロビー②

更に奥へ進むと、ちょっとした展示スペースになっていました。左側の窓のデザインがまた素敵です。

古い大福帳と番傘。

左側の狭い階段を上って行くと…

この日はコチラで宿泊。

凝った造りの素敵な窓と古い鏡台。

このドライヤーもなかなか…まだ使えるのでしょうか?昔、家にこのデザインで持ち手が黒バージョンのドライヤーがあった様な…

古い衣紋掛け。

川沿いのお部屋。
後ろの洗面器、実は前日からの大雨で、雨漏りが…

螺鈿が施された家具や屏風。

廊下が雨漏りで大変な事に…ブルーシートが張られていました。

4階へ。

扇形の明かり取りの窓が見えます。

右が広いお座敷、左は厠。

コチラもかなり凝った造り。

ここは…2階の厠だった様な…
実は館内、迷路の様に入り組んだ造りになっていて、仕切られた部屋は数多く、番号で分けられていました。細い階段に螺旋階段まで…館内を探索してる内に、自分が何階にいるのか分からなくなってしまうほど。

古い館内、傷んでいる場所が所々あり、下への階段は立ち入り禁止になっていました。

古い「ヱビスビール」の鏡。

コチラの階段もかなり古い造り。

途中で発見した「18歳未満の方のご入場は、固くお断り致します。 店主」と書かれたプレート。
東山温泉に赤線が2軒…その内の1軒だったのでしょうか?

次は岩風呂へ…

お風呂へ向かう途中、壁に絵が…

撮影する為、正面へ…床が歪んでいる箇所があり断念…

石の階段を下りると…
裸電球を吊しただけの照明が、なかなか良い雰囲気。

岩風呂の入口。

ビニールシートを潜ると小さめの岩風呂が…大人3人がは入れるぐらぃでしょうか?
実は、この高橋館にはもぅ1つ大きい岩風呂があるのですが、暫く使われていない様子でした…残念。

かっては大小の岩風呂に何十もの部屋を繋ぐ細い廊下と階段、館内の細部にも見られる凝った造りと螺旋階段を見ていると、以前は、大勢の宿泊客と東山芸妓で賑わっていた事でしょう…

東山温泉「高橋館」
撮影 2012/5/4


会津若松市「栄町」界隈

2013-02-22 02:18:00 | 日記

七日町下の北側には会津若松市一番の花街があったと言われており、磐見町がそれであり、町の中央には川が流れ、柳の木が植えられ、多くの検番や遊廓があり、大勢の芸妓が一夜の酔夢を楽しませてくれたそうです。磐見町の遊廓は三日町の後にできたが、七日町の盛栄と相まって、会津若松市における一番の歓楽街であった。
その後、会津若松市に連隊が設定され、歓楽街が「栄町」に移り、終戦後より急速に寂れ、現在では街道と建物の一部に面影を残すのみである。また、遊廓の衰退と共に料亭も寂れていった様である。
『大町四ツ角札ノ辻界隈地域史』より

東山温泉に宿泊した翌日、会津若松市内の赤線跡らしき場所を探しながら細い裏道を車で走っていると…怪しい路地を発見。
栄町…の表記。


「ミス・ロマン風呂」
特殊浴場的なお店だったのでしょうか?
壁に貼り紙がしてあり、よく見ると…
「ここで、大小便をしなぃで下さい。」と書かれてありました(爆)
小便はともかく、大便をこんな目立つ所でした人が過去にいたのでしょうか…


隣は料亭らしき門構えの建物。


「ミス・ロマン風呂」の手前に怪しい路地を発見。入ってみると…


特殊飲食店らしき店舗が連なっていました。
全て廃業している様です。


スナック「夷路」(ぞろ)
2色のブロックガラスが、ステンドグラスの様に並べられた窓。


居酒屋「なつめ」


「なつめ」の入口に残る古い安委員会のプレート。
風俗営業「簡易料理店」福島県公安委員会
と書かれています。


「八戸」


コチラの「八戸」にも公安委員の古いプレートがありました。


「福富」


「福富」の入り口にも公安委員のプレートあり。


スナック「ルビー」


「ルビー」にもプレートあり。


コチラの公安プレートは新しめですが、左側の縦書きの組合員プレートは、かなり古そうです。


特殊飲食店街の裏には料亭らしき門構えが…既に廃業中の様子で、「関係者以外立入禁止」の貼り紙。


更に奥へ進むと…
和風すなっく「椿」の看板。


更に少し進み、右手の路地へ入ると、現役の飲食店街を発見。


喫茶&マッサージ「アロマ」
お試しコース¥1,000
基本コース¥3,000


先ほどの路地②


特殊飲食店街の建物を反対側から撮影。


隣の駐車場から全景。


最初にあった「ミス・ロマン風呂」の道路を挟んで斜め向にある古い旅館。


旅館の裏側から撮影。

やはり昭和初期頃から、売春防止法が施行されるまでの間、赤線は、七日町から栄町に移行したのでしょうか?
この場所が「栄町」の「赤線」にあたるかは分かりませんでしたが、昔は料亭や旅館、飲食店が建ち並ぶ歓楽街だったと思われます。


会津若松市 栄町 2012/05/04 撮影


会津若松市「東山温泉」

2013-02-20 02:13:56 | 日記
赤線は2軒11名いるが、この温泉は芸妓オンリー。芸妓は置屋45軒に113名。置屋の大きいのは河田家、芳丸、米池家など。(中略)
天下の東山温泉だけあり、よく売れる。泊まりは11時から2,000円だか、1時間の花代300円を付けないと、よい芸妓は泊まりに来ない。
【よるの女性街・全国案内版】より
渡辺寛著・昭和三十年

奈良時代に開湯した歴史ある温泉地で、竹久夢二や与謝野晶子も訪れた会津の奥座敷。


温泉街の通り①


温泉街の通り②


「高橋館」


コチラの高橋旅館、川沿いから見ると木造4階建て、築70年以上の古い旅館で岩風呂が楽しめます。


東山温泉全景。


コチラは、国の有形登録文化財として最初に認定された、明治6年(1873)創業の老舗旅館「向瀧」。
数寄屋造りの木造建築で、元は会津藩主の保養所として利用されていた建物。


温泉街にある足湯。
車通りの少ない早朝を狙って雨の中、温泉街の撮影をしていた私は、ここで一休み。


狭い路地を登ると、お食事処、その先に神社があります。


路地①


路地②


路地③


廃虚①


廃虚②


廃虚③


廃虚④
コチラは温泉街のスナック跡でしょうか?


コチラも廃業中…


温泉街にある理髪店。


ラーメン屋さんを発見。


ラーメン店「大統領」!?
電飾の付いた看板には
「ストリップ劇場・東山セントラル」の文字。
かつては大勢の温泉客で賑わっていたと思われます…


夜の温泉街…


射的場。

会津若松市「東山温泉」
撮影 2012/05/04



旧遊廓「新陸奥楼」新むつ旅館

2013-02-19 03:08:22 | 日記
旧遊廓「新陸奥楼」新むつ旅館は、明治31年(1898)創業、当時のたたずまいを今に残し、かつて花街として栄えた小中野新地をしのばせる…
2006/10/21 (東奥日報)より

商取引も盛んで船宿や船乗り相手の女郎屋も数多く軒を連ねた。
明治維新後、小中野新地に遊廓が開業したのは明治28年~全盛期には、33軒の遊廓が建ち並び120名もの芸妓がいたらしい。


この「新むつ楼」は、楼主、建物の設計者、共に女性だった様です。当時、この地域の決まりで、火災などの心配から、遊廓は2階建てまで。と決められていたらしい。


厚い格子窓と唐破風(からはふ)玄関



見事な空中渡り廊下。



空中渡り廊下と階段。


2階の空中廊下へと続くY字階段。


2階段にあるお座敷。現在は宴会などに使われています。


各部屋がこの細い廊下でつながれています。


明治34年1月と書かれた帳簿。
客の住所、服装、滞在時間、接待した芸妓の名前まで細かく書かれています。


当時の芸妓さん達の写真。


欄の透かし彫り装飾。


中庭。



釘隠し「折り鶴」



釘隠し。コチラは桃の花…でしょうか?


客間。


宿泊した部屋に飾られていた帳簿。


大福帳。


玄関に飾られていた芸妓さんの絵画。


屋根にある、丸「さ」の文字。


屋根の装飾。


新陸奥楼「新むつ旅館」
青森県八戸市小中野6-20-18

2009/11/23 撮影