遊女~asobime~色街道中探訪記

遊廓、赤線、青線があった場所、古い温泉街や町並み、看板建築、古い旅館や旧遊廓などの建物内も画像付きで紹介しています。

旧「平源旅館」 ゲストハウス平源(内部)

2020-02-26 14:07:00 | 日記
※館内の撮影日2015年1月11日になります。
以前紹介した秋田県横手市大町「阿桜花街」沿いにある旧「平源旅館」 の内部を見学して来ました。
↓玄関を入ると、旅館時代からのシンボルでもある木製大階段があります。

↓階段の左側、襖の部屋はブライダルサロンになっています。

↓その他1階部分は来賓ロビーになっています。



↓中央の吹き抜け部分。

↓旅館当時の宿泊部屋だったスペースでしょうか?床の間らしき部分が残っています。

↓コチラのスペースの奥は暖炉跡の様にも見えます。

↓大正から昭和にかけて皇族の官様が宿泊された時の看板が残っています。他にも犬養毅や石坂洋次郎、美空ひばり など数多くの著名人や皇族ゆかりの格式高い宿であったとか…

↓玄関を内側から撮影。格子天井も旅館時代からのものと思われます。

↓平源の建物左側の蔵部分は明治初期の建物です。重厚な扉の向こうは…

↓チャペルになっています。白無垢、ドレスどちらも映える様な素敵なデザイン。

↓蔵チャペルの入口には旅館当時の台帳が飾られていました。

↓大階段の下は古い町家の様に収納スペースになっています。下駄箱の様です。

来賓ロビーの奥は披露宴会場になっています。


↓バーカウンターとオープンキッチン付き。

※ブログ内の説明文は、一部「ゲストハウス平源のHP」から引用させて頂きました。

(* ̄∇ ̄)ノ気になる2階部分は続編にて…
撮影日2015年1月11日

旧「平源旅館」ゲストハウス平源(外観)

2020-02-26 14:06:00 | 日記
※外観の撮影日2013/06/24
以前紹介した秋田県横手市大町「阿桜花街」沿いにある旧「平源旅館」は創業 明治6年(1873年) 。大正15年(1926年)類焼により土蔵を除く本館を消失後、現在の姿に。
本館、蔵ともに登録有形文化財に登録されている老舗旅館で、2008年に閉館後、2011年に㈱イヤタカが土地、建物を収得し、 2012年ウエディングスペース「ゲストハウス平源」として生まれ変わりました。

↓本館正面は人造石塗り、ベージュのタイル張り。

浮き彫り装飾などを施した大正ロマンを感じさせる外観です。

建物右側部分の蔵は明治初期の建築で、内部は現在チャペルになっています。※次回ブログで平源の内部紹介

↓次回ブログで平源の内部紹介をします。

※ブログ内の説明文は、一部「ゲストハウス平源のHP」から引用させて頂きました。

旧「平源旅館」現「ゲストハウス平源」
外観の撮影日2013年6月24日



秋田川反~すずらん通り

2020-02-26 02:41:00 | 日記
※撮影日2013年になります。

秋田川反3丁目~延びる飲食店街に交差する「すずらん通り」こちらも素敵な建物が並んでいます。

コチラのすずらん通りのアーチには1区と書かれてあります。

旧「さんや食堂」(昭和21年創業)リニューアル後「彌ひら」に。2階の手摺りが素敵な建物。2階部分はお座敷があるのでしょうか?
※2014年に閉店。建物、現存せず

↓こちらは1階と2階それぞれ別の店舗が営業していた様ですが、後でストリートビューで確認してみると貸店舗になっていました。

↓旧「秋田市料亭会館」コチラは川反花柳界の「検番」があった場所です。
1階に「あげや」という揚げ物店が入っていたのですが閉店。現在は無料案内所になっています。
黒塗りの木造壁にお酒のボトルの看板がマッチしててオシャレな店舗です。
※廃業中

昭和レトロな絵のクリーニング店。

「THE BAR 1980」たくさんの種類の洋酒とカクテルが楽しめるお店です。

後で調べてみると、貸店舗や取り壊され更地になっている所が多くありました…

旭川に架かる「すずらん通り」に繋がる橋。

旭川沿いから見える建物。

「すずらん通り」沿いではなぃのですが…
↓川反5丁目の「A.1」ビルの隣にある神社。ストリートビューで確認しても名前が出てきません(>_<")
↓来た道を反対側から撮影。


秋田川反「すずらん通り」
撮影日2013年11月4日













秋田川反3丁目~旧料亭街を歩く②

2020-02-06 23:03:00 | 日記
※撮影日2013年になります

昭和30年発行の『全国女性街ガイド』によると「川反3丁目から5丁目に至る旭川の泥川岸に軒を並べた料亭、芸者屋…」とあります。戦前は置屋42軒、芸妓149名。戦後になると40人足らずの少人数にまで激減。

↓画像の左側奥のビルが合成っぽく見えます…

通りを歩いていると旧料亭や置屋を思わせる古い建物が何軒か残っています。

ストリートビューで確認してみると下の店舗名が変わっていました。

コチラも旧料亭を思わせる建物。

右側が「北洲飯店」

左側が居酒屋「北洲」

↓コチラの建物、上部にある扇子マークと2階窓の繊細な格子が芸妓置屋風に見えますが築年数は不明…

片側に蔦を這わせ1階は蔵の様な造りのオシャレな建物。

1階部分も凝った造り。


↓上の建物を川沿いから撮影。蔦がビル全体を覆って外壁が見えません…よく見ると隣のビルまで蔦がΣ( ̄ロ ̄lll)

↓旭川沿いから見た川反① 北洲飯店の裏側が見えます。

↓旭川沿いから見た川反② 前ブログで紹介した彫刻風の装飾があるコンコルドビルの裏側が中央に見えるのですが、上に三角屋根の木造の建物が…後から増築されたのでしょうか?

↓別な角度から撮影した物。後でストリートビューで確認してみると、上の三角屋根の建物が無くなっていました。

川反飲食店街通りにある「あぁ博多人情」チェーン店でしょうか?

「八番館」の1階部分は昭和レトロなホーロー看板に映画のポスターが大量(^_^;)

↓八番館の斜め向かいにある「お多福」本店

↓八番館、お多福のある交差点


参考文献
『赤線跡を歩く』【完結編】木村 聡
『全国女性街ガイド』渡辺 寛

撮影日2013年11月4日

秋田川反3丁目~旧料亭街を歩く

2020-02-05 01:05:00 | 日記
※撮影日2013年になります。

『赤線跡を歩く』と同じ角度から料亭「濱の屋」を撮影。撮影日も雨の川反。

料亭「濱の屋」は大正7年創業

料亭の塀の高さ=敷居が高ぃ←私のイメージ
↓「濱の屋」の塀。コチラはお寺などに見られる「透塀欄間」の一種でしょうか?

↓昭和4年(1929)に刊行された「美人の秋田」に掲載されていた「割烹 濱の家」の広告。
上記の記事が掲載された同年、昭和4年の『全国花街めぐり』によれば料亭30件、芸妓置屋42件、芸妓149人。待合のない二業地だった。昭和30年代にも秋田検番、新検番、合わせて50人ほどの芸者さんがいたが、平成4年の「秋田芸妓組合」発足時には10人となった。
『赤線跡を歩く』完結編より

秋田市内の遊廓は、久保田と呼ばれた藩政の時代から下米町に置かれていた。明治2年から4年にかけて土崎港の「新柳町遊廓」と一時合併。ふたたび元の下米町に戻り、全盛期を迎えたが、明治19年の大火で全焼。このとき料亭および芸妓置屋が分離され、町外れの旭川沿いの川反3丁目、4丁目に移転。その後「川反」は市内を代表する盛り場として繁栄する事になった。
『赤線跡を歩く』完結編より

↑↓川反通りの裏手を流れる旭川。戦時中、防火対策として柳の木が切られ、川べりに連なっていた明治以来の料亭も取り壊されたとか…

濱の屋近くの交差点から横へ延びる「すずらん通り」↓

再び大町の飲食店街の通りへ…
コンコルドビル。この様式の建物を見ると、どぅしても特殊浴場系の店舗か昔のラブホに見えてしまうのは私だけでしょうか(笑)

そしてこのヨーロッパ建築におけるアトラス風?彫刻は裾をたくし上げているのではなく、股間を掻いている様に見えるのもきっと私だけ…(笑)


レンガ調外壁と2階のステンドグラス風の窓がやっぱり特殊浴場系か昔のラブホに見えてしまう私…←しつこぃ
※現存せず(更地)
鱗風の外壁に2階窓の三角の仕切りと上の丸い電飾がオシャレな店舗。
飲食店街通り①

飲食店街通り②

秋田川反旧料亭街を歩く②に続く…

参考文献
『赤線跡を歩く』【完結編】木村 聡
『美人の秋田』編集 山田 憲三郎

撮影日2013年11月4日