探訪日2016年8月7日
※数年前の古い画像になります
庚申坂遊廓の歴史は古く、江戸後期よりこの地にあり、元あった場所は「古庚申坂」と呼ばれ地元の人たちは場所を区別しているそうです。
今回探訪する「新庚申坂遊廓」は明治28年5月に弓町に移転。最も栄えた時代が大正3年頃。磐越が郡山から三春まで開通し、三春甚句の歌詞にも「奥州三春に庚申坂なけりゃ旅の馬喰も金残す」と謡われました。
新庚申坂遊廓への入り口付近
この坂の上の一番奥にかつて「新庚申坂」と呼ばれた遊廓跡があります。
猛暑の中、坂道を汗だくになりながら登ります。※「三春昭進堂」の向かい側を入った所が弓町です。
この日の気温35℃←前回からしつこい(笑)
「島村楼」
「双葉楼」2階部分
坂を登って右側には各妓楼へ「うどん・そば等」を仕出しする店「しんこや」があったそうです。
やっと妓楼が見えて来ました。左側に4軒建ち並んでいます。かつては妓楼が5軒。奥には娼妓の為の診療所があり、福島から週に1回検診に医師が来ていたそうです。
10年以上前のブログを拝見していたので、震災後数年が経過して建物が崩れていないか、取り壊されていないか心配でした…
一番手前にある「花屋楼」
正面から撮影。
「島屋楼」…崩れて…る…
「島屋楼」玄関
「双葉楼」
「双葉楼」正面から撮影。
「島村楼」
「島村楼」は家主様が渡辺豪さんのインタビューに答えていました。貴重な中の様子は豪さんの遊郭部で紹介しています。
「島村楼」2階部分。家主様が手入れをされていて綺麗に保存されいます。
ここからは無惨にも崩れてしまった「島屋楼」の姿…玄関の引戸から顔を覗かせているのは壊れた鉄砲風呂…
鉄砲風呂越しに見た内部の様子…もう凄い事になっています。
奥の方も崩れてしまった様です…10年以上前に見たブログでは中の部屋の様子、浴室、ステンドグラスを使った1階の窓を撮影した貴重な画像も紹介していました。
「双葉楼」2階部分
「双葉楼」1階部分…まだ大丈夫そう?
「双葉楼」障子の隙間から見た内部
よく見ると床が抜けてしまっている部分も…
もっと撮影する予定でしたが猛暑の中、意識朦朧…この時期に来た事を後悔しながら坂道を下ります。ステンドグラスが見たかった…
三春町は桜が有名なので春に探訪とも思いましたが、観光客の混雑を避けるためには秋ごろがおすすめです。
途中、古い建物と「今泉女子専門学校」と書かれた看板。
途中、古い建物や蔵が残っています。
坂道を下った所に和菓子の「三春昭進堂」があります。今回のブログは昭進堂さんのブログの内容を一部抜粋させていただきました。
和菓子の「三春昭進堂」さんのHP
和菓子の「三春昭進堂」さんのHP
昭和5年発行の「全国遊廓案内」によると
「福島県三春町に在って、磐越東線三春驛で下車する~(中略)~貸座敷は四軒、娼妓は十五人居る。陰店を張って居て、遊興は廻し制である。費用は御定りが一圓五十錢。二圓、三圓等がある。」と紹介しています。
渡辺豪さんのインタビューによると売春防止法施行後は旅館や学生寮として使われていたそうです。「島屋楼」の入り口が「島や荘」の表記になっていた事からも寮やアパートとして使われていた事が分かります。
※この場所は住宅地で敷地内には現役の建物もあります。住人の方々の迷惑にならない様ご配慮をお願い致します。
m(_ _)m
探訪日2016年8月7日