
さる筋から招待券をいただいたので、
小児癌の子供達が描いた絵の展覧会に行って来た。
それぞれの絵の下には、
小児癌を克服した本人が当時を思い返してコメントを寄せたり、
残念ながら亡くなった我が子への思いが、
両親からの手紙という形式で綴られていたりした。
私がふと足をとめて思わず見入ったのが、
「ピカチュウの花火大会」という絵だ。
9歳にしてこの世を去った少年が描いた絵らしい。
夜空を覆い尽くさんばかりの花火と、
首を痛くするほどに見上げるピカチュウが可愛い。
2度目の手術で右手と足が不自由になり、
リハビリを兼ねて左手で描いた絵だそうだ。
コメントは「私達の自慢の●●でした」と結んであった。
胸が詰まった。
ひまわりや自動車やアンパンマンの絵と並んで
そこにピカチュウがいたことが、私はとても嬉しかった。
ゲームもまだまだ捨てたものではない。
書いた本人のこととか、どうなったとか、
そういうことで感傷に浸れるほど人間が出来てはいない俺ですが、
ただ一つだけ、この絵を見て心のままに思ったことを。
あぁ、いい絵だ。
人の可能性や強さ、
不意にそんなものを感じる時があるから、
人生もまだまだ捨てたもんじゃないってもんですな。
私は嫌いなんだがなぁ・・・
アニメを放送中止にうわなにおするやべし
tayananoと申します。
素直に「いい絵」だと思います。
描いた子供の背景などを察すると切なくはなります。でも「力強さ」を感じます。
自分より10歳以上年下の子供達に教えられる事もあるんだなと思いました。
・・・つたない文章ですみません(汗
文を読みながら見てしまったせいかも知れませんが。
昨今はゲームが色々バッシングされていますが、
私もまだまだ捨てたものじゃないと思っています。
包丁が、人によっては人殺しの道具であったり、
また、人によっては素晴らしい料理を作る道具であったり…。
極論ですが、ゲームもそれと全く同じだと考えています。
最後に。
私もこの展覧会ではありませんが、
世界の子供達の描いた絵の展覧会を見たことがあります。
単なる年相応の絵の子も結構いるのですが、
すごく目を引く絵を描く子供もチラホラ見かけました。
将来を悲観しがちな世の中ですが、
案外そうでもないかもと思わせられました。
でもこの絵から見て感じるのはピカチュウがこの子にとってもごく自然に自分の生活の中にとけこんでるんだろうなぁと思うことです。
私の言いたい事はしめさばさんがほとんど語っていらっしゃるので多くは語りませんがやはりゲームの功罪を子を持つ親としてどう扱うかを真剣に考えるべきなんだろうなぁ、と。
この展覧会、私も拝見したいですね
いや、それで充分。
今回は絵を見ていただきたかっただけなのだ。
>豆腐殿
向こうでピポサルの絵でも描いてなさい。
>tayanano殿
ようこそ、場末のBLOGへ。
私もこの絵は「明るい」と思う。
描いた環境を予想すれば相当苦労したはずなのだが、
それでも少年は笑いながら描いていたのではないか。
そしてその「明るさ」が、余計に胸をうつのだと思う。
>しめさば殿、パパス殿
うむ、全く同感だ。
同感過ぎてコメントが書けぬ。
>Ryo1殿
そう言えば展覧会の絵には
やたらと「空を仰ぐ」「空に向かう」絵が多かった。
早く退院して自由になりたいという気持ちの表れだったのかも知れぬな。
この謙虚さが素晴らしく、また、つらいです。
言葉に出来ない物を言葉にしようとする愚かな私。
絵を紹介してくださって、ありがとうございました。
ゲームには力があると思います。
人を感動させたり、現実逃避に走らせたり、キャラクターとの一体感は映画の比じゃないから。
制作者は、その力を意識して制作すべきだと思います。
出来上がったゲームが人に与える影響は制作者にも予測はつかないでしょう。
でも、それでも、ゲームをする子供の心を意識して制作を続けて欲しいと思います。
マーケティングから生み出された心のない商品だけが売れる時代は、寒いですから。
こどもにとって、ピカチューは
ふうつに住人の一人なんでしょうね。
そういえば、私も小学生の頃、
ノートにプーカーとかファイガーとか
描いてたような。
ポケモンもいいなぁって事で
トラックバックさせて頂きました。
子供の心に残る作品て、やっぱいいモンですよね。
大人の目線で見たピカチュウと
子供の目線で見たピカチュウでは
愛情の掛け方が違うんだろうなぁ・・・って
ちょっと思いました。