30年ぶりとなる同期会幹事を引き受け、終了したばかりである。
直前は、うまくいくかどうか心配で、体調を崩しそうになったが、無事終わり、遠くから参加された皆さん満足され家路についたようである。
幹事というのは、はるばる遠くから来てくれたかつての友人の労をねぎらい、再会の場を盛り上げ、記念の品にふさわしい何かを提供するべきと考え、私はそうなるべく企画、運営した。
それは、金で買えるようなその辺に売っているようなお土産ではなく、一生の記念となるものでなくてはならない。
場所の選定もちょっとしたイベントも、すべては再会の場を祝す意図で決めたつもりである。
一方でそうでない人たちもいる。
出世街道まっしぐらの人たちがいて、名刺交換の瞬間が最も心地良かったように見えた人がいた。
はるばる遠くから来た人がいる一方で、一番身近な場所にいて、出欠をいつまでたってもはっきりさせず、ホスト側という認識のない方もいた。仕事上で、接待経験ない方が、今回該当した。
遠くから来られた方で、地元の銘菓を持参頂いた方がいた。改めて友情に厚く、義理堅い方と思った。
同期会終了し、ほっと一息ついたタイミングで、幹事として礼状メールを出した。
既に、遠方の方何人かからは、礼状メールが届いていた。それは、仕事上、日常的に接待しつつ営業している方たちだった。
幹事の意図、思いが、何も言わなくても伝わったようで、うれしい気持ちになった。
一生の友達とは、そういう礼状を出せる人がふさわしいのは当然だ。
礼状のやり取りをするのはマナー的にどうかとは思ったが、都合をつけて、お金を使い、はるばる遠くから参加いただいたことへの感謝の印と思って礼状を出した。
すると、思いがけず返事が来た。
それは、すべて、遠方からの参加者だった。
近場の人たちは、都合がついたという理由だけで参加したことを改めて知った。
本当に、そんなことでいいのだろうか、70歳前後の同期会でもそういう立ち位置を続けるのかと思うと、少々残念な気持ちである。
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