[本郷もかねやすまでは江戸の内]
残り2ヶ月で今年も終ります。 正月が明けたのが昨日の事の様に思われるのにもう今年も終りです。 そして又年を取ります。 併し取ると言う言葉をマイナスすると言う言葉に置き代えて1つ若くなったと理解し、若さを失わずに生きて行きたいと思って居ます。
9月6日のメ-ルで本郷2丁目の「かねやす」と言う小間物屋が12代も続いて居る事を御伝えしましたが、何故平仮名の屋号なのか疑問に思って居たところその理由が判りましたので御伝えします。
初代当主は兼康裕悦と言う医者で商人では無かったのですが、この兼康医師は口の中の病気を専門にして居たと言うのです。 そして「乳香散」と言う歯磨き粉を考案し売出したところこれが江戸中で評判になり売れに売れ一財産を築いたとの事です。
ところが芝明神前に同名の店があり元祖争いが起ったと言うのです。 結果裁判沙汰になり町奉行の裁定で本郷の兼康は平仮名の屋号を使う様になったとの事で、以降「かねやす」となって現在に至って居るのだそうです。
「本郷もかねやすまでは江戸の内」と言う幕府のお達しが何を意味して居るのか判らなかったのですが、これは江戸内でなければ耐火の為の土蔵造りや瓦屋根の使用が認められて居なかった為で、かねやすは認めて貰えたと言う事の様です。
以上、御参考まで。
井上 出 (05-10-30)
残り2ヶ月で今年も終ります。 正月が明けたのが昨日の事の様に思われるのにもう今年も終りです。 そして又年を取ります。 併し取ると言う言葉をマイナスすると言う言葉に置き代えて1つ若くなったと理解し、若さを失わずに生きて行きたいと思って居ます。
9月6日のメ-ルで本郷2丁目の「かねやす」と言う小間物屋が12代も続いて居る事を御伝えしましたが、何故平仮名の屋号なのか疑問に思って居たところその理由が判りましたので御伝えします。
初代当主は兼康裕悦と言う医者で商人では無かったのですが、この兼康医師は口の中の病気を専門にして居たと言うのです。 そして「乳香散」と言う歯磨き粉を考案し売出したところこれが江戸中で評判になり売れに売れ一財産を築いたとの事です。
ところが芝明神前に同名の店があり元祖争いが起ったと言うのです。 結果裁判沙汰になり町奉行の裁定で本郷の兼康は平仮名の屋号を使う様になったとの事で、以降「かねやす」となって現在に至って居るのだそうです。
「本郷もかねやすまでは江戸の内」と言う幕府のお達しが何を意味して居るのか判らなかったのですが、これは江戸内でなければ耐火の為の土蔵造りや瓦屋根の使用が認められて居なかった為で、かねやすは認めて貰えたと言う事の様です。
以上、御参考まで。
井上 出 (05-10-30)