インドのチャンディーガルってこんなところ

ル・コルビュジエの計画都市 Chandigarh
コルビュジエ建築物、街&生活情報
 

チャンディーガルの区分単位「セクター」

2018-01-28 | コルビュジェの構想&街の造り Le Corbusier's plan


資料はこちら↑から。 
チャンディーガルに関する書籍・CHANDIGARH The city beautifulより。

このブログでは先ず住宅街や生活の場としての街を紹介をしたいと思います。

この都市は計画により、碁盤の目のように並ぶ単位「セクター(sector)」として分けられ、各セクター内は東西南北でA,B,C,D地区として区分されています。

セクターはテーマでも分けられています。
重要機関のセクター、公園や緑のセクター、大きな商業施設のある中心街としてのセクター、美術館や博物館などがある文化のセクター、幹線通り沿いにレストランを集めたセクターなどです。


チャンディーガルの特徴は広い道路、並木道、緑や公園です。
デリーから車で向かうとこの街に入った途端に並木道が続き、景色と雰囲気ががらりと変わることで実感し癒されます。


セクターを分ける車道。







車道沿いの並木と自転車専用レーン。




そうやって外から車でこの都市に入ってみると「ここは綺麗な街なんだ~」と思いましたね。
チャンディーガルにずっと住んでいるとこれが普通になりわからなくなっていましたが、
一度外へ出て戻ってみるとその度に実感していました。





この都市はイギリスやアメリカ西海岸の街をモデルとして作られたのだそうです。
並木道もそうですが、住宅地に入ると日本の住宅街とは全く違い、広い道路と大きな家ばかりで西洋の住宅地のような感じです。




セクター内には低層の建築物ばかりで高層建築物はありません。
各セクターは800m×1200mで徒歩移動が出来、セクターを区切るのは大通り=車道になっています。

住宅地はその中にあり車道からは見えないようになっています。
各セクター内にはマーケット、公園、仕事場などが計算されて作られています。
中々、観光客は住宅地まで入る機会はないかもしれませんね。

各セクターに必ずあるマーケット。
そのように設計されているので住民にはとても助かります。




工場や大きなショッピングモール、マンションを建築するには、コルビュジェが手掛けた街の外側に建築するしかなく、同じ街であっても「セクター外エリア」になります。



後日に書いた記事から追記として載せます。
中央の黒線は、各セクターのマーケットのある中央通り。
車道を歩くよりこの道を歩くのがお勧めなので。

緑枠内がローズ・ガーデンでセクターの4分の1近くを占めます。
この庭園だけでなんと東京ドームの2.6 倍弱の面積です。





チャンディーガルの概要とアクセス

2018-01-26 | 概要 About Chandigarh

 
Open Hand Monument
by Le Corbusier
 
 
 
かつて住んでいた北インドのチャンディーガルの情報を書いてみたいと思います。
わずかな情報ですが残せたらいいなと思います。
 
こちらも参照→ウイキペディア
 

 

チャンディーガル(Chandigarh)は、北インドのデリーから北238㎞にある計画都市で、パンジャーブ州とハリヤーナー州の両方の州都を兼ねています。
行政上はどちらでもなく独立した「連邦直轄領」の一つで州の呼称はありません。

*元々インド側のパンジャーブ州(西側はパキスタン側へ)の州都として作られた都市ですがその後、現在のハリヤーナ州がパンジャーブ州から独立し、ハリヤーナ州にも州都が必要になりチャンディーガルは両州の州都となりました。
多い間違いで、州の呼称はないのに「チャンディーガル州」と呼んだり「パンジャーブ州(又はハリヤーナ州)のチャンディーガル」というどちらかの州の都市としての表示です。
チャンディーガルは過去にパンジャーブ州への移譲が決定しつつも移譲されてはおりません。
 
この都市が出来た当時、ハリヤーナ州とパンジャーブ州がチャンディーガルの取り合いをして揉めたようです。

追記 その後2022年4月にこのゴタゴタが再燃しています。

 
国際的に有名な、スイス生まれでフランスで主に活躍された建築家・Le Corbusier(ル・コルビュジエ)により計画された都市で、正確には複数の協力者たちも含みます。今現在、着手から70年にも満たない若い都市です。
 
 
赤枠内がチャンディーガルですが、格子状の白線で区切られた街がコルビュジエが手掛けました。
コルビュジエのオリジナルより一部拡張されています。

 

南に拡張されたセクターはパンジャーブ州に食い込んでいますので住所はパンジャーブ州となりますが、元々チャンディーガル拡張によって出来たセクターです。

この様に↓境界の土地は本来パンジャーブ州の土地です。
緑枠内がチャンディーガル&赤枠内がパンジャーブ州のモハリ。
(中央の赤丸は無視して下さい。)

*このモハリについては別記事で紹介しています。



 






歴史

*現在パキスタンにもインドにも、パンジャーブ州という同名の州が存在します。
この都市が作られた発端は、
パンジャーブ州が過去にインドとパキスタンとして分離、独立した時に2分割されてしまい、州の中心地ラーホールは現在のパキスタン側になってしまいました。
そこでインド側のパンジャーブ州に新たに州都が必要になったのです。
 
最初はアメリカ人とポーランド出身の建築家によって計画が進められていました。
しかしその内の1人が事故死し、その後継者としてル・コルビュジエに白羽の矢が立ったのです。
都市の計画は新たにコルビュジエの案を加えたり変更させたりして、独自の物を手掛けて行ったのです。

コルビジエは何度も現地に来訪したそうですが、
実際に現地に長く駐在し、指揮を取っていたのは彼の従弟で弟子でもある
ピエール・ジャンヌレだと言われています。ピエール・ジャンヌレも多くの建築物をこの都市に残しています。
 



ユニークな都市モデル
ユニークなのがこの都市が”生物”と見なして計画された事です。

コルビジエの建築群(行政庁舎、議会議事堂、裁判所等)のあるSector1→頭部
Sector17のCity Centre(ショッピング広場)→心臓
公園や緑地帯のオープンスペース→肺
道路網→血液やリンパの循環器
インダストリアル・エリア(産業地区)→内臓
文化と教育施設(博物館、美術館、学校)→知力、知性

*また実際にモデルになったのはイギリスや米国西海岸の都市です。
広い車道&街路樹の光景はとにかく米国西海岸の光景とよく似ています。




彼が手掛けた建築物はこの街に多くあります。
ユネスコ世界遺産登録をされた彼の建築群には、冒頭の写真のモニュメントもあります。
また人工池、植樹などに関しても丸ごと彼が手掛けたものです。
歴史ある古い大樹、特にコルビュジエの目に留まったものは木を生かす為に計画が変更されそのまま都市計画で生かされました。
 
*計画された街中には、住宅地への環境汚染を防ぐ為に大型モールや工場、高層ビルなどは建築されていません。
マンションやモールはセクター外にあります。
 
*都市名はインド神話の中のヒンドゥー教の女神の名前が由来だそうです。
 
この都市はインドで一番高い収入水準だと言われていて、インド人にとって老後に住みたい都市のトップに選ばれた事もあります。
またインドで一番綺麗な都市に選ばれた事もあります。
豪邸、富裕層が多く海外からのUターン組みも数多く生活されています。
 
しかし周辺からの出稼ぎの人達もいればスラムも存在し、富裕層が集まる場所には物乞いも現れます。
街中の交通ルールなどのマナー違反、不正規露店の営業主のマナー違反行為は周辺からの出稼ぎ人だと現地人からはクレームもあり、チャンディーガル出身の方達はプライドが高いと言われています。
 
チャンディーガルのキャッチフレーズは The City Beautiful で住民はこの都市の美しさに誇りを持っていると言われています。
 
 
*インドらしくない都市ですので、建築に興味がない人や真のインド好きの人には整い過ぎて退屈に思えるでしょう。
どの車道を走っても景色に目立った変化がないからです。
普通の住宅地では他都市にいる様な牛、豚、山羊などの動物は全く見かけません。
南方へ行けば多少の牛は見かけます。
また住宅地や多くのマーケットは幹線道路側からは見えないような造りになっています。
が、セクター内の中央道路沿いにマーケットが必ずあり野犬が多くいます。
セクター内部のマーケットが幹線道路から見えない事で旅行者からは、生活感がない都市だと思われる事が多いです。
 
 

 
~チャンディーガルへのアクセス~

2023年6月までにこのような計画があるそうです。(追記・この時点で未完成)


デリーからの所要時間は飛行機で50分、列車で3時間半、車でデリー~チャンディーガル間・高速道路で5時間程度。(デリー周辺の混雑具合で大きく変わって来る)
 
またチャンディーガル~タイのバンコクは週に3日往復直行便が就航しています。
 
*(現在のスケジュールによると)日本からデリー経由で行く場合はデリーに夕方着ですが、飛行機の乗り継ぎの時間に到底間に合わない為デリーで一泊する必要があります。一泊するのが面倒だからと急いで深夜にかかる時間帯にタクシーなどで向かうのは極力避けて下さい。
 
車がターゲットの凶悪犯罪(傷害事件)がデリ-から北方1~2時間辺りの地域で過去に起きていますので、夜は大変危険です。 
 
車の場合は可能な限り明るい時間帯を選んで通る様にした方が良いです。
 
*私達はこの事件以来、デリーからの夜の車移動は会社より禁止になり、原則デリー泊がルールとなりました。