長らく神仏習合、神仏混交が続いた日本。
明治で神仏分離され久しい。
何度も書いたように、元々の私は、明治以前・・・特に江戸期の僧侶による神社の神官に対する傲慢ともとれる態度から、「神仏分離やむなし派」でありました。
それが「神仏習合が日本の信仰では最も正しい信仰」と、「180度変わった」のは、前述した通り、
2018年5月に、真言宗寺院の本堂、御本尊・不動明王像から、「古代日本の神々の生の御神霊」が顕れられた神秘体験によるものです。(一時見えなくなっていたけど、再び、見目麗しい女神の御尊顔が脳裏に浮かぶようになりました。男神は、おぼろげに浮かびます)
もっとも、すぐさま180度考えが変わったわけではなく、徐々に変わっていったのであります。
それまでも、少しずつ、(神々に導かれるように) 色々と考えが変わりつつあるときの神秘体験で、一気に変わっていったのであります。
直感がある方の私は、色々な寺院を訪ねては、かつて「神社の御本地仏だった」ご尊像とかを拝んでいて、普通の仏像より強い神気を感じることはよくありました。
今から考えれば、神仏分離後も、「神仏」は「習合したまま」だったのだなと思う。
神仏習合は、古代の神々のうち、トップクラスの神々は、「神仏習合が好ましい」と考えておられる・・・気がします。
福井県の「剱神社」には、文化財として「梵鐘 (ぼんしょう)」「釈迦八相涅槃図(しゃかはっそうねはんず)」「涅槃講式断簡(ねはんこうしきだんかん)」「不動明王三尊像(ふどうみょうおうさんぞんぞう)」「十二天画像(じゅうにてんがぞう)」があり、
茨城県日立市の「御岩神社」は、神仏混交 (習合) そのものであり、「回向 (えこう)」「供養」と言う仏式の言葉を使っておられ、大日如来像・阿弥陀如来像・仁王像など、仏像が現存します。
東大阪市の石切劔箭神社 (いしきりつるぎやじんじゃ) には、かつて共に栄えた神宮寺・法通寺 (天台宗) に祀られていた「地蔵尊四体と穂積堂に祀られていた霊神像三体を合わせた七体が」祀られています。
そして、寺院の方はと言えば、華厳宗、法相宗などの古い宗派はもとより、次に古い天台宗や真言宗などでは、大きな寺院では、鎮守社が大切に祀られている。
前述した通り、「寺院の鎮守社」も、結構、神々しい神気がほとばしっていることが多く、そしてそれは、「神道の神々」が、「寺院でお祀りされる」のを、好ましく思っているからではないでしょうか。
先ほどからこのレポートまとめている後ろで、スズメたち、ヒヨドリのヒヨ、そして、ハシブトガラスのリキたち、ハシボソガラスのコテツが機嫌良さそうに・・・鳴いていました。
なんとなく、今、明治政府の意向で別々にされた「神」と「仏」が、ふたたび「神仏習合」へと動きつつあるような気がします。
そうなれば、今まで隠されてきた「闇が」暴かれてきて、
封印されてきた「光が」表に出てくる。
一気に時代は動くでしょう。
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