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今日の一貫

経営があって農地集積は意味を持つ

8日、千葉県の農家へ。
利根川、佐原の上流こうざきグリーンサービス。鈴木一司代表。
100haの農業経営他に、K営農組合(64ha)とこうざきグリーンサービスが、52ha。カントリーと施設を共有している。農地集積は、大区画基盤整備によって。

この二つ、比較して分かること以下三つ。
①農地流動化し、集団化しても、経営がなければ意味がない。つまり農地集積というが、農地集積はそれを有効に使う経営があってはじめて意味を持つということ。
②所有優位の政策では経営が成り立たないこと(所有コストを高め、所有より利用だという経済制度を作る必要があるが、これは農政が関与せず、経済法則に任せれば、可能)
③経営のポイントは、その場しのぎではなく、継続性。次の世代に如何に引き継ぐか。お客を見ないと経営は成長しない。


64haの「K営農組合」。米2000万円、麦800万円、大豆1千万円の合計3800万円の収入。経費が約半分。残りは人件費、時給2千円で計算。他に産地づくり交付金6,7万(この町では8.5万円)の470倍(転作水田が47ha)
まず、補助金(3995万円)の方が農業収入(3800万)より多いという不思議さ。さらに言えば、麦800万の内3分の2は補助金のはず(となると、補助金4225万、農業収入3270万となってしまう)。
しかも産地づくり交付金が地代としてすべて地権者の取り分になるという。
これだけもらえれば、農地を貸してもいいとなるだろう。つまり所有の果実が多く、所有コストが安いのだ。
組合長に「補助金がなくなったら農地流動化が進むのか?」の質問には、「補助金の額によるが全くなくなったらバラバラになる」の回答。
「農業収入から地代を払う」が基本でない農業はどこかおかしい。

他方、「こうざきGS」はお客をみた農業をやっている。
黒豆の加工やオーナー制を取ったり、補助金に頼らない農業を標榜したりの努力。
麦は5haに減らしているという。
麦は、ブロックローテーションの一環としての意味と、風が強く、土壌浸食があるので、エロージョン防止のために、作ってる程度とのこと。麦の間に馬鈴薯を植えている。
日本で転作麦は、商品としての意味が余りない。馬鈴薯で勝負しようとしている。日本の麦は補助金に安住しすぎて改良がない。北海道の畑地麦の生長を阻害さえしているのではないか?
馬鈴薯、黒豆、それに米で商売するという。
鈴木一司さんという経営者がいればこそ。
補助金がなくなってもやれる農業を目指さないと、若い人が育たないと言う。
経営は継続性。ゴーイングコンサーン。
ゴーイングコンサーンを考えない、経営はあり得ない。
集落営農を経営と認定する際には、継続可能性を最大のポイントにすべきだろう。

コメント一覧

武 正志
農地利用権の第三者機関による調整について
 今日(3月10日)、私の地元の「新潟日報」という新聞に、(小さい記事ですが)9日に農水省の農地政策有識者会議が開催され、農地利用権を地域の第三者機関が集約し、農家に面的まとまりを持って貸し出す制度の全国導入についての会議が始まったことが紹介されていました。農政改革3対策と異なりこれから検討が始まること、また、最重要とも言えるトピックですので、良い検討結果が出ることを期待しています。記事では日本の農地の課題として①欧米に比べ小規模で競争力強化の障害である、②農地を借りても分散し、作業効率が悪い、③借り手がつかず耕作放棄を招いている、との指摘が紹介されています。
 この問題については、まず「零細分散錯圃」とは何か、ということを知っておく必要があると思います。私は山下一仁先生(田代洋一先生も論じられていたかもしれません)の著作を読んで初めて「農」の世界の歴史的知恵であることを知りました。これをどう克服していくか?ということと認識しています。柳田国男の「中農・交換分合論」を、現代的に「プロ農家・集団への利用権の交換分合集積論」に捉え直す試みといえるかもしれません。また、紙面が限られる新聞記事を批判しても詮ないですが、①から③の現象はいずれも原因が異なっていることに留意する必要があると思います。 
 思いつきですが、4点考えました。
Ⅰ-1 農地所有者の意向について、次の2つのタイプに分類
A:土地持ち非農家(農地の出し手)が信頼できる農家・法人に農地を任せる場合
B:土地持ち非農家が誰に農地を託せばよいかわからない場合
Ⅰ-2 さらに、土地持ち非農家について次の2つに分類
a:集落・地区に在住し、農家組合等で活動している場合
b:相続等による不在地主か、地元にいるが世代交代等で農業界に疎遠な場合
※AB/abでデカルト座標をつくり分類すると、課題及び当該第三者機関が機能する場合・しない場合が見えてくるかもしれません。
Ⅱ Ⅰの議論の補足
 記事②の現象がなぜ起きるのか?それは、人は人を信頼して農地を託すからです。Aaの場合、第三者機関が間に入る場合は、次の不等式の成立について吟味する必要があると思います。
【第三者機関による農地貸借媒介成立の不等式】
 (農地の出し手が第三者機関を信頼)>(農地の出し手が自分が信頼できると思う農業者を信頼)
 私は、農林省が行う「担い手政策」なるものに疑問を持っていますが、「担い手の確保・育成」を農地とセットで考えると、第一義的に、営農をやめていく農地所有者あるいはその子弟がまず誰に農地を託すかを考え、そこが出発点ではないか、と考えています。また、ざっくり言うと、集落・地域で信頼される「担い手」に農地が集積され、農地が分散される現状があるということです。それを踏まえて面的集積の可能性を検討する必要があると思います。
Ⅲ 地域ぐるみ農業における「集落・地域在住の土地持ち非農家」の役割再評価について
 私はプロ農家・集団が中心となる農業改革に賛成する者ですが、(農地・水向上対策の問題意識と同様)農道・水路等の維持管理問題(道普請・江浚出役等)は、営農の構造改革が首尾良く進んでもなお深刻な問題であると思います。結局この問題は、誰が第一義的に維持管理義務を負うのか?ということに帰着せざるを得ないでしょう。国が農業用施設を社会共通資本に認めようが認めまいが、その地域においては二義的なことに過ぎません。農地所有者が維持管理義務を第一義的に負う、というコンセンサスが地域で得られる日が来るでしょうか?
Ⅳ その他(農地面積減少について)
 関連して、(大泉先生も含まれるか知れませんが)山下・神門善久両先生の議論に出てくる農地ゾーニングや兼業農家の農地転用期待(資産保有動機)の話ですが、どうも違和感を感じます。地方で水田が潰されていく機会は、道路が作られる場合と面的買収の場合がきっかけです。道路の場合は道路用地でまず潰れ、その道路隣接農地が農振農用地から除外され、沿道サービス事業用地で潰れ、さらにその隣接地が宅地で潰され…といったスプロールが起こります。一方、面的な場合は、公共事業としての産業団地造成の場合(商工業振興+雇用創出)と都市計画法上の開発行為等の場合(住宅用地供給)が主で、安価な土地を求めて政治家・開発行政と民間業者が農地買収を行ってきた経緯があります。農家自ら、どうぞ田んぼを買ってくれと言ったという話は、少なくとも私は聞いたことがありません。(濡れ手であわの)嫉妬心を抑えてどう理解していくべきでしょうか?また、農地の適正な売買・貸借価格については、改めて考えたいと思います。失礼しました。


 


 
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