囲碁とロック

好きなことについて

「囲碁は、世界そのもの。」である3つの理由。

2020-06-30 22:43:38 | 囲碁アート

青函トンネルの、カントの部分。

 

・・・どうも囲碁アートの関です。

 

「〇〇は、〇〇。」

と、マニアフェスタに参加されているマニアさんは

ひとつ設定しています。

 

はてさて囲碁アートは

「囲碁は、世界そのもの。」

ということでやっています。

 

ふだんツイッターではメモとして断片的につぶやいて、というかちぎって投げているだけなので

ちょっとまとまった書き方をしてみたいと思います。

 

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1、囲碁というゲームは「有用」である

 

囲碁の歴史を調べていると、関羽が手術中に麻酔代わりに酒と囲碁で代用したり、

昔の武将たち(信長、秀吉、家康も)も囲碁を好んでいたり。

あるいは、経営者の方々で囲碁を勉強する動きがあったり。

 

人とのコミュニケーションとして。熱中できる趣味として。

というのも大きいと思いますが

囲碁そのものの戦略を何かに応用できそうな感じがするんですね。

 

陣地を完成させるゲームですが、一回に1つしか石を置けないので

できるだけ少ない石の数で陣地を作るにはどうするか、という効率を考えたり。

 

頑張りすぎず手堅く進めるか、リスクはあるけれど強気に行くか。

相手よりちょっとでも陣地が広ければ勝ちなので

ものごとの全体をとらえる判断力(大局観 といいます)を働かせたり。

 

それが、「どこに兵を置くか」「どの部署にどの人を、なんにん置くか」

などなど、現実の判断に重なる瞬間がある。みたいです。

 

あと、そもそもパズル的な思考を使いますから

ゲーム性の中に、ある種の論理とか、システムを見出すこともできます。

そこには良いものがあり、悪いものがあり、価値があり、必然があります。

 


 


たとえばこちらは私の作品で「時計」ですが、

囲碁の最善手をお互いが打っていくだけで、時計の針が無限に動きます。

ずっとぐるぐる回り続けるので、勝負としては「無勝負」となります。

動力さえ確保すれば、本当に時計として使えちゃうのがいいですね。(商品化したい・・・)

 


ほかの記事で解説している「囲碁計算機」も、囲碁の一番良い手を重ねていくパズルの仕組みで計算を成り立たせています。

 


囲碁の中の出来事が、現実世界の仕組みといろいろ重なっているようなのです。

 

 

 

2、端をなくすと「宇宙」そのものになる

 

そもそも囲碁には、碁盤という空間があり、碁石を置くことで進む時間があります。

これは18世紀ドイツの哲学者・カントの認識論とも重なります。

もう囲碁の構造からして、「世界と重ねて考えてくださいね」っていう形になっていると思うんです。

 

そのうえで、前々回の記事「碁盤の広さを無限にしよう」

にて、端をなくした無限の碁盤について考えてみました。

端がなくなると終わりがなくなってしまい、ゲームではなくなりますが・・・

そちらのほうが実際の世界に近いかもしれない、ということでした。

 

 

碁盤を無限にすると終わらなくなり、ゲームではなくなります。

一手一手の意味もなくなり、その中にある戦法もパズルも無意味になります。

良い手も悪い手も、価値も必然も、何もありません。

なので、人間にとっても役に立たなそうです。

 

・・・でも、ほんとの世界は無限に広がっていて、時間も永久に続いていくと仮定すると

その崇高さの前には、わたしの存在がちっぽけに感じられることがあります。

ひとつの好奇心として、自分が一生行けない宇宙の果てとか、宇宙が終わった後とかを考えることがあるのですが

無限の碁盤に石を置くという行為のなかに、その糸口があるような気がするのです。

 

この中で、人間とはなんなのか・・・!

 

 

3、自分自身がそういう世界観で生き始めている

 

 

などなどと考えにふける日々なので(自粛してましたし)

 

もう私自身がすでに、囲碁的な世界に生きているんじゃないか

 

と思うに至りました。

誰かにとって荒唐無稽に感じられたとしても、私がすでにそうなってるんで、そういう見方が存在するのです。しょうがないでしょう。

ひとりの人間がそうなれたのですから、ほかの人もいずれはね。

 

というわけで、囲碁は世界そのものと考えてみたいのでした!!

 

参考にしたもの

カント『純粋理性批判』

パスカル『パンセ』


結局、囲碁計算機とは何なのか(その4・二進数への進化)

2020-06-27 01:51:03 | 囲碁計算機

その1・きっかけ

その2・初の成立

その3・囲碁すると出力

 

久しぶりに、囲碁計算機の話です。

 

思い込んでいたものから解き放たれ、今まで見えていなかったものがいきなり見えるようになる瞬間があります。

何事も変化するときというのは、そういうものかも知れません。

 

最初に計算機の構想を思いついたとき、「囲碁の勝負の結果で答えを表す」という形しか思いついていませんでした。

つまり、1+2をすると「3目勝ち」、3×3は「9目勝ち」、という風なシステムです。

しかし、なんだかあまり深まっていきませんでした。割り算が思いつかないし、複雑な仕組みも作れそうにない。

これ以上、進歩しないのではないか。囲碁でコンピュータは無理だったのか。

 

 

しかしあるとき。もう覚えていないくらい、何気ない瞬間に思いつきました。

囲碁は白と黒、0と1だ!!!

ということに。

囲碁にもともと「十進法」の計算システムが付属していたため、そこで立ち止まっていたのですが

そもそも白と黒の二つの要素で成り立っているのだから

白=0 黒=1

の二進数で全てを説明してもいいじゃないか、と気づいたのです。

このシンプルなものをもとにすれば、複雑な仕組みも作っていけるかもしれない・・・!

 

マリオメーカー学会の、足元くらいには及ぶかもしれない・・・!

 

まずは、いくつかの大事な論理演算を作り始めました。

まずは「AND」

AND とは・・・

日本語にしますと「AとBが両方1のときにだけ、1が出る。片方でも0があれば、0が出る」

というものになります。

これだけですと足し算とか引き算とかにはなりませんが、こういった回路を組み合わせて繋いでいくと、いろんな計算ができるわけです。

 

囲碁で表現したものが、こちらです。

 

AとBという場所を設けており、ここが「入力」です。

0を入れるときは白石を、1を入れるときは黒石を入れます。

そして、そこから囲碁の最善手を打っていくと、

どちらかの石が取られるようになっています。

その石の色が出力となります。

AB、両方ともに白石を入れてみました。

0、0 という入力です。

こうすると、黒△の黒石たちが危なくなっている。取られそう。

 

黒1に打って、白石を取るのが最も良いみたいです。

そして左上を白2で守って、終わり。

白石が取られたので、「0」が出力されました。

 

今度は片方が白、片方が黒の場合。

こちらも黒がピンチなので、黒1で白石を取るしかなく、同じく白2となります。

こちらも白石が取れて「0」を出力しました。

 

さて、今度はABが両方とも黒の場合ですが・・・

こうなると、黒石が多くなって、心配がなくなりました。

 

今度は左上に黒1、3とやっていくのが良い手となります(これができたら初段

白6となり、終わりです。

この結果、黒1の黒石が取られており、「1」が出力されました。

 

ABにどちらの石が入っているかによって、良い手が変わります。

その結果、どの石が取られるかを操作したわけです。

 

 

・・・いかがでしたでしょうか。

お気づきのように、このシステムを動かすには囲碁の力が必要となります。

でも、いいんです。

客観的に正しく成り立っているのが大事なのです。

実際のコンピュータでも、システムを動かすのは手動ではなく電力なのですから。

 

次回、実際の「足し算」ができる形をご紹介・・・できるかな

 

「マルシェル」にて販売中

「囲碁の仕組みだけでコンピュータの基礎を作ってみた」

において、二進法の研究成果を解説しております。

出力の様子をわかりやすく書いてみました。

囲碁をご存じないかたでも、一冊読み終えたら

囲碁の沼に片足が入っているはずです・・・笑

お手に取っていただけたら嬉しいです!


【終わらない】碁盤の広さを無限にしよう

2020-06-17 01:08:17 | 日記

「関ジャニ∞の、贄の部分」

 

どうも囲碁アートマニアの関です。

 

 

・・・さて、表題の件なんですけれど

皆さん、「囲碁」ってなんでしょうか。

 

たぶん、一番基本に忠実な答えは

「ゲームです」でしょう。

 

パズルである、勝負事である、文化である、伝統である

という答えもありそうですが、それらは囲碁が面白いゲームであること

少ない原理で、無限の深みがあるゲームとして成り立っているからこそ言えるものです。

 

ここ数年、私のなかでそれが揺らいできたことについて書こうと思います。

そう、「無限碁盤」に思い至ったのです。

 

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こちらが普通の碁盤(19×19)です

 

 

広さを無限にすると、こうなります。

端にあった線がなくなって、どこまでも続いていくんですね。

 

・・・これだけのことですが、ヤバいことになります。

 

小さい盤です。これは最後まで進んだ形。

囲碁は陣地の大きさで勝負です。

陣地のことを地(じ)といいまして、

もう自分の地が増えない。相手の陣地も減らない。

となったら、やることがないので、終わりです。

〇が、黒の地。14。

▲が、白の地。同じく14。

引き分けです。

地は、石だけで囲うんじゃなくて、端のところを使ってもいいんですね。

 

前の記事の画像ですが、白の地(赤)とか、黒の右のほうとかがそうです。

端は地ができやすく、たいていの人は序盤から重視します。

 

さて、碁盤を無限にすると・・・

 

いかがでしょう。端をなくして無限にしました。

これは、まだ終わりじゃないですよね。

 

 

世界がいくらでも広がっているので、いくらでも陣地を作れる。

つまり終わりが来ません。

終わりが来ないということは、勝負がつきません。

 

囲碁は囲碁だけど、ゲームじゃない状態

を作り出すことができました。

 

こうなったときに、最も大きな変化は・・・

「地」が無意味になったこと になるでしょう。

目的がないので、一手一手の価値がなくなります。

どんなに広く陣地をとっても、どんなにたくさん石を取っても、そもそも勝負ではないので、価値がない・・・。

(将棋をご存じの方でしたら、「王のいない将棋」をイメージしてみてください。

ほかの駒だけでどんな戦いをしても、勝負に関係ないですね)

 

これ、楽しいんですかね?

いかに端の線が囲碁というゲームを成り立たせているか、がわかります。

 

 

でもなんか、ゾクゾクきませんか?

そもそも、私にとって囲碁はもともと何かを考えるためのツールでもあったのですが、こちらの無限の碁盤のほうが実際に存在する世界により近いかも、と思っています。

宇宙が、端が見えようがない無限の広がりになっていると思われること。

時間も、私がいなくなっても永遠に続いていくであろうと思われること。

 

しかし、自分の人生や社会の中のもろもろが無意味ということではなく、いろいろな線が人間には引かれており、それによって意味付けが与えられているものなんだと思います。

その線は、誰かから与えられたものかも知れないし、自覚的に引いたものなのかもしれません。

 

 

マサラタウンの左右の草むらに恋い焦がれていた少年時代を思い出しますね~。

今後、作品にも生かしていこうと思います。


【囲碁】セキのはなし【平和の象徴】

2020-06-11 18:20:44 | 日記

セキ

 

おお、なんと甘美な響き・・・!!

 

 

 

どうも関です。

 

 

囲碁に「セキ」という言葉があるんですよ。

真ん中らへんにある、黒の3つと白の4つ

どちらも、けっこう囲まれてて、今にも取られそうな気がします。

 

えいっ

たまたま黒の番だったので、白を攻めてみました。

次は白です。どうなるでしょう・・・?

 

 

ほいっと

▲に打つことで、黒の4つが取れました。

ああ、黒は攻めちゃいけなかったんだ・・・

 

なら、白から行ってみよう。

▲に打ちました。次は黒の番です。

どうなるでしょう・・・

 

 

ほいっと

こうなりました。

あれ、白から攻めるのもダメだったようです。

 

 

というわけで、×の石は危なそうなんですが

「どっちからも攻めに行けない」

特殊な形です。

どちらの側も、取られません。安全。

 

この状態を「セキ」といいます。

なんか、運命を感じますよね。

(狭いと言われているはずの囲碁業界には関さんが結構多いです。これがあるから??)

 

 

囲碁勢は空間が好きです。

石を置いていくことで、空いている場所に陣地を完成させるゲームなので、

目的である「石が置かれていない場所」にいろいろなものを感じたり、見出したりします。

たいていは、自分の陣地になりやすいところが好きになりやすい。

 

これは互角の序盤戦ですが

 

黒は真ん中や右のほう(広いけれど陣地かどうか未定)

白は左上、左下らへん(狭いけれどかなり陣地になりやすい)

というふうに、陣地どこになるかなーーといった具合に見ていきます。

 

まだわからない場所も、ゲームが進んでくると陣地になったり、石で埋まったり

最後には、空いている場所の99パーセントは陣地になって終わります。

 

・・・その残った1パーセントが、セキなのです。

 

(ここ)

ここです。

黒と白の間にある、この空間

囲碁のゲームが最後まで進んでも、そのまんま残されます。

どちらの陣地でもない。

石を置いた瞬間、自分がやられてしまうは前述のとおりですね。

 

この空間が、最近私はものすごく好きです。

いろいろ争ったあとに、永久・永遠に踏み込めない、争いが絶対に起こらない場所が生まれている

 

一見、(漫画『グラップラー刃牙』渋川剛気VS愚地独歩戦、ギリギリまで間合いを詰めた状態が続いたように)パワーがぶつかり合って緊張感に包まれているようにも見えますが、絶対にどちらも攻めに行けないのが必然なのです。

この「セキ」、作品に生かさないわけにはいきません。

 

これら、すべて最後には「セキ」になるようにできています。(そのうえ、引き分け)

 

最近はもはや、ただただ図形を描いていますが

空いている場所にも注目してみてください!