囲碁とロック

好きなことについて

最小で最強の囲碁表現(囲碁アート・5路カード)

2022-10-27 20:49:07 | 囲碁アート

どうも囲碁アートの関です。


「ここから囲碁すると引き分けになる」
そんなコンセプトの作品群は、さまざまな面から見ることができそうです。

生み出される絵柄がどんなものになるか。どんなサイズになるか。
など「絵」として見るもの。
そしてもちろん、囲碁的にどんな意味を持っているか、も私は興味があります。

勝ち負けに行き着く囲碁とは別の、引き分けを目指すものとしての囲碁
を追究するものでもあります。


「ぜんぶ持碁になるアルファベット5路カード」
を、今回はご紹介します。

 

「5路」、つまり5×5の小さい碁盤の中に、アルファベットを描いた作品を収録しています。
実際の公式戦では、19×19の大きなサイズ。
小さめのものだと13×13や9×9もよく遊ばれますが、
5×5となると、普通に囲碁をするには狭すぎるサイズです。
(黒が真ん中打てばほぼ勝ち確)

ところが!
何かをここに書いて、いい勝負にしようとすると、これがまた素晴らしいサイズ。
これを作ってみてわかりましたが、アルファベットは5×5におさまりやすいですね。

これは本ではなく「カード」です。
26枚つづりで、A~Zまで、すべて囲碁として成り立っている形。
ここから囲碁をすることができ、うまくやると引き分けです。

(答えもついてます)

 

しかし、上述のように五路盤は狭すぎるので、対応する碁盤がない・・・!?

 

 

なんとカードの上に石を置いて、囲碁できちゃいます!!
(狭すぎて逆に助かったところです。)

 


「マイルド」は、囲碁を覚えたあとにできるものから、ちょっと骨のあるものまで。

勝負というより、二人協力プレイで、引き分けへの道筋を探るという、別のゲーム性がありそうです。

ピッタリ一致したときの感動・・・

 


「激辛」は、初段以上AI以下。自分でもよくわかりません。
なんでこれ引き分けになるの?いまだに間違えてないか自信がありません。

(いちばんすごいと思うL☆5)

 

計52作品。
本当に作るのが大変で、字形によっては難易度調節なんてできず、
なんとか成り立たせたら鬼のようなものができていた、という思い出があります。

でっかい作品がやはり注目されがち(だし、私も推しがち)ですが、小品もけっこういいですよ。
ぜひお手に取ってみてください。
マルシェルにて販売いたします。


マネ碁・朋斎・囲碁アート

2022-10-13 23:22:10 | 囲碁アート

どうも囲碁アートの関です。

 

 

前回の記事では、この囲碁アート「プロペラ」の、最善手の展開の話をしました。

 

しかし囲碁は、一番良い手を見つけるのが難しい場面が多いです。

対局している最中に、どの手が一番良いのかを自力で確かめる方法がありません。

石を置き直して確かめたり、あるいはAIを使わないとですね。

 

実際に人間同士で、この囲碁アートから勝負をしたときには、また違ったことになるでしょう。

 

 

黒が1手目を打ちました。

ここから、白が取りうる態度は、大きく分けて二つです。

 

前回の記事にあったように、相手と同じ手を打ち続けて

 

この形になるかは分かりませんが、「持碁」(引き分け)に持っていく。

 

もう一つは・・・

 

黒の人とは違う感じで打ち、違う形にもっていく。

違う形になれば、できあがりの陣地の大きさも違ってきます。

つまり引き分けではなく、勝負をつけにいく方針です。

 

これにもまた、二種類ありそうですね。

わたし個人的には、黒1・黒3が、一番いい陣地の取り方だと思っているのですが

白2・白4は、あえてちょっと損だと思う手を打ってでも、展開を変える戦法です。

(実際のところ、黒5「サルスベリ」というめっちゃ良い侵入があり、右上は白が損だろうな~と思う。の図)

 

もう一つは

相手がヘンな手を打った!!と思ったときに展開を変える。

自分のほうが得な手を打って、勝ちを目指すパターンです。

この黒1・黒3は損だと思うので、白2・白4とすれば白が勝てそうです。

 

この瞬間、火花が散っているでしょう。

黒1の手をマネずに、白2って打つということは

「その黒1、ヘンじゃない?そうは打ちたくないね~」

ってことですからね。

 

一番穏やかな引き分けから、解釈の違いをぶつける戦いまで。

この作品は駆け引きの要素を持っており、二つの世界観の選択を人間に迫っています。

 

 

この火花には、わたしはとても見覚えがあります。

「マネ碁」という囲碁の戦法と、それを愛用した故・藤沢朋斎九段の勝負の仕方です。

 

「マネ碁」

 

(マネ碁の一例)

黒1に対して白2、黒7に対して白8など、反対側のところに、そのまま同じ手を打ち返していく。

同じような形になり同じような陣地ができますが、

囲碁の勝負は「コミ」があり、黒の陣地がマイナスされるので、最後まで同じような感じになると白が有利。

黒は、なんとか展開を変えないと負けてしまうわけです。

 

先に言っておきたいのですが、全く推奨しません。

やられた方は困るし、イライラします。ほんとに嫌われちゃいます。笑

信念を持ってやる

そのうえで、マネ碁対策をしっかり知っているくらい強い相手に、あえてやる

これらを満たせばギリギリ大丈夫か・・・?

囲碁では、相手との信頼関係が壊れるようなことは非倫理なのです。(筒井さんも言っていましたね)

 

 

さて、そんなマネ碁を、日本一にもなったことがあるトップの棋士が愛用していたのでした。

藤沢朋斎(ほうさい)九段は、昭和を代表する棋士の一人です。

「昭和の碁聖」呉清源九段との幾度もの十番碁で死闘を繰り広げました。

 

もちろん批判されもしましたが、藤沢九段は「ただ勝つための手段」としてマネ碁を使ったのではなく、

囲碁や勝負の真理を追究しようとしてマネ碁に取り組んだフシがあります。

 

右下と左上が、こうなったことがありました。

(棋譜全体は権利の関係で使えないので、ネコチャン置いときます)

 

お相手は、こう打ちました。

なるほど、△の黒をつなげて守りつつ、下に陣地のようなものができます。

文句なしの良い手。

 

マネ碁中の藤沢九段、左上でも同じにするかと思いきや

 

白2。こう打ちました。

aならマネ碁だったはず。

なんと自分からマネをここで止めて、相手と違うことをしました。

これは、上のところは守らず、左上の黒への攻めを重視した感じの手です。

迫力がある。

 

守らなかったのなら、入るぞ と黒3に打ち、

白4と逃げて、石がからみつく戦いの展開です。

 

黒の右下の手と、白の左上の手。

どちらも良い手で、正しいほうは誰にも分からない場面です。

(もしかしたら、黒のほうが正しかったかも知れない。ネコチャン部分の状況にもよる)

それでも、黒の手のその直後、目の前で異論をぶつけ、

「こっちのほうがいいんじゃないですか」

と勝負していくわけです。

このマネ碁の使い方、ただ相手についていくラクなやつじゃないですね。

 

このケースのように途中で変えることもあれば、とうぶん続けることもあります。

そうなるとオリジナルな展開ではなくなる気がしますが、

それも囲碁の確かな一面であること、

藤沢九段しかやる人がいないので逆にオリジナリティがあることで

個人的には面白いと思います。見てる分には。

 

 

次回、いまだに評判がちょっと良くない、この藤沢九段の考え方について、さらに迫ってみたいと思います。


【囲碁アート解説】囲碁はこれから、引き分けを目指すようになる

2022-10-07 22:22:41 | 囲碁アート

どうも囲碁アートの関です。

 

すごい絵ができました。

 

 

13路盤 題名「プロペラ」

コミなし。黒から囲碁すると、どうなるでしょう。

 

・・・実は、どうなるかは知りません。

間違いなく言えるのは

「最善に打つと持碁(引き分け)になる」

ということです。

 

どの手が最善か、私には断定できませんが、仮にここが最善だったとします。

すると、同じような手があるはずです。

 

こうしたくなります。だって、最善ですから。

 

同様に、黒3も白4も最善です。黒1と全く同じです。

 

この後も、同じ手を打って、くるくる回転していきます。

 

 

最後は持碁になります。

同じ形、同じ陣地ですから自明です。

 

この囲碁アートは

「その構造から自明に、持碁になるべきことが理解できる」

という特徴を持っています。

 

私はよく「ここから囲碁すると引き分けになります」という紹介文を作品に添えますが、

これは、そのように書くまでもありません。

自分の目指すところを形だけで表現できている。

そういった完璧さがあり、この作品は気に入っています。

翔和学園の囲碁授業でも、このアートから囲碁で遊ぶ授業をしました。

 

ちなみに何も置いていない状態は、その見た目に反して、イーブンではありません。

先に石を置く黒のほうが、どうしても有利になってしまいます。

 

そのため、互角の勝負にするためのハンディとして

「コミ」

というものが実際の勝負では定められます。

6目半、つまり陣地6.5マスぶん、黒からマイナスされます。

この「半」、0.5は、どちらかが必ず勝つようにするものです。

 

その6目半も、正しいかどうかは誰にも分かりません。

一応それで、プロやアマチュアの大会は特に不満なく行われています。

 

 

「半」がある実際の勝負の世界観と、

引き分けになるアートを作る、いわゆる「囲碁アート」の世界観は、質的に異なっていると思います。

半の世界では、引き分けはなくすべきものです。トーナメントで引き分けになったら、基本的にはまずいでしょう。

囲碁アートの世界では、勝ち負けは「偏り」で、何かが間違っていることを示します。

黒の人か、白の人か、(そしてこれが怖いのですが)作った人か・・・。

 

 

囲碁アートは、いわゆる「詰碁」(囲碁の問題)とも違います。

(関さん、また詰碁作ってるんですか~、って言われることが多いけど絶妙に違うんだな)

ふつう、それは「どちらかの成功」を目指します。

黒から打って、白を取ってください。うまく侵入してください。など。

二人のゲームだけれど、一人称の世界です。自分は勝ち、相手は負けます。

 

囲碁アートの「持碁」は、つねに二人の問題となり、ワタシもアナタも、の二人称の世界です。

二人の結果が一致し、それを共有します。

 

 

「勝ち負けがない囲碁なんて、ねえ・・・」

と思うのが普通です。

私は別に実際の勝負の世界を消そうとはしていませんが、

引き分けを理想とする囲碁にも独特の別な可能性を感じていて、それを追求しています。

 

授業でも、囲碁アートから対局して、引き分けになった瞬間

なんか嬉しいんですよね。

授業でも、2人してワイワイ喜んでくれています。

周りの仲間から拍手が起きることもあります。

その瞬間って、実際の勝負の「半目勝負」(最小の差)ともまた違います。

 

「持碁」だけが持つ何か、

「持碁」だけが作る対局者同士の関係性が、確かにあるような気がします。

 

 

今回は、この囲碁アートの「理想」の話をしました。

しかし、ここから実際に人間が遊ぶと、また別の面が浮かび上がってきて面白いものになるようです。

次回「マネ碁・朋斎・囲碁アート」

お楽しみに・・・(続くはず)