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なぜヒカルの碁だけでは囲碁を覚えられないのか 囲碁ガチ勢のヒカ碁論(1)  

2022-08-31 19:15:00 | ヒカルの碁

どうも囲碁アートの関です。

 

「ヒカルの碁読書会」

というものを、コロナ前に企画していたのですが

 

お蔵入り同然になっていました。

このままだとズルズルいって本当に封印されそうなので・・・

ブログで書いていこうと思います。

 

※ネタバレ注意

 

まず、私について触れておかねば

小6のときにヒカ碁のアニメが始まり、興味を持って囲碁を覚えました。クラスの半分くらいもの子たちが囲碁を始めていて、正真正銘「ブーム」でした。

その後、中学・高校の大会に出たり、高校を辞めてプロ試験を受けたりしました。今は囲碁の世界で働いています。完全にヒカルの碁に人生変えられちゃいましたね。

囲碁の力は・・・作中のプロ試験に出たら、何局かは勝たせてもらえるかも、というくらいです。
 
囲碁の世界にどっぷりつかるごとに、そして大人になっていくごとに、だんだんヒカルの碁への見え方が違ってくるものです。
大名作で、幾度となく語られてきた作品。
目新しい内容かどうかわかりませんし、私なりの読み方ではありますが、囲碁界の人からみて正直にいろいろ書いていこうと思います。
 
 
 
※物語の大事なところにも触れるので、ネタバレご注意な記事になります。
未読の方や苦手な方はご注意ください。
 
 
 
 
 
 
「ヒカルの碁、面白すぎて5周したけど囲碁のルールはわからん」
 
 
twitterを見ていると、ときおりこんなつぶやきが流れてきます。
「ヒカル 囲碁 わからない」とかで検索すればすごく沢山見れます。笑
 
この漫画、本編を読むだけでは「囲碁を覚える」まではできないのです。
囲碁の「ルール」は実はちょくちょく書いてありますが、
「どう進めて、どう終わるのか」など、実際に遊ぶためにカギとなる情報までは触れられていません。
 
囲碁、そして囲碁の世界を知るごとに私が感じるようになったのは、
「この漫画、思ったより囲碁のことあんまり描いてないね・・・?」
ということです。
 
主人公の「進藤ヒカル」が、平安時代の棋士の霊「藤原佐為」に取り憑かれ、
名人の息子「塔矢アキラ」に出会い、彼を追って囲碁の道を進んでいく
 
ということなので完全に囲碁の話。
囲碁のプロ組織の「日本棋院」が手厚くサポート。
登場する碁石の配置は、ほとんどが実際のプロの対局から選ばれています。
しかし、同時に囲碁の描写は控えめであるようにも感じられるのです。
 
なぜ、そうなったのか。
ヒカルの碁の囲碁表現の特徴について、
そしてそれが物語の素晴らしさに繋がっていることについて、考えてみました。
 
 
 
数少ない盤上表現がすべて、必ず物語を動かしている
 
 
囲碁はゲームで、勝負です。
碁盤の上では四六時中、中身の濃い攻防が繰り広げられています。
ヒカルたちは囲碁で勝負をして、勝ったり負けたりして、上達して進んでいきます。
 
囲碁の描写が控えめ、と言いました。
それは囲碁のゲームの中身のことです。
当然ヒカルたちは頑張って囲碁を打っていますから
この石をこうやって攻めて、ここに陣地を作って、今度は守って、こうなったから勝ちだな、
みたいなことを考えています。
たとえば私がプロの対局を観戦するとき、碁盤の上での攻防がどうなっているのか、まずいちばん気になるところです。
分からないことがほとんどでも、解説を聞いて納得できれば嬉しいものです。
 
しかしヒカルの碁では、「碁盤の上で何が起こっているのか」が、はっきりと分かるように描写されることは稀です。
言葉では言ってるけれど盤面の状況はよく見えなかったり、盤面は見えても内容は伝えていなかったり。
囲碁が分かれば分かるのかな?と思われるかもしれませんが、分からんものは分からないです。
 
例えば、ヒカルVS洪秀英の一戦で、(コミックス9巻144ページ 第76話)
「悪手だと思われたヒカルの一手が、実は左上の攻め合いをにらんだ手だった」
ことによって有利となった、ということは情報として得られますが、
「その手がどのように左上に役立つのか」
までは描かれていない、などのように。
 
同じタイミングでアニメ化された「テニスの王子様」と比べてみると、あちらは
スマッシュを打ってポイントを取れた
とか、
相手に対応して必殺技を生み出し、有利になった
など、何がどうなって勝ったのか、ということがより明確に分かります。(それがテニスなのかは別として)
 
それはルールのわかりやすさ、描きやすさなど理由があると思いますが、
結果的にヒカルの碁は、碁盤の上の出来事をかなり絞った描き方となったようです。
 
(逆に何が中心に描かれているかといえば、それは「囲碁をすること」そのものかも知れません。こちらは次回以降)
 
 
しかし、盤上を見せて、言葉を使って、囲碁の意味を読者に伝えようとしたときには、その表現はすべて素晴らしいものとなっています。
全てに重要な意味があり、登場人物の魅力を引き出し、物語を動かしていると思います。
 
 
・中学の団体戦、三谷と海王中の岸本との主将戦。(コミックス4巻63ページ、28話)
「コウ」を取り合う、という展開が登場します。
あまり意味のないコウだけれども、つい争いをやめてしまった三谷に、
「・・・ひいたね」
と岸本が言います。
「この先キミはくずれていくばかりさ」
 
このやりとりで、三谷の碁のタイプ、それを岸本が完全に見透かしていること、精神的な余裕の差、勝負のゆくえ・・・全て伝わってきます。
 
 
・プロ試験、ヒカルと和谷の対戦。(コミックス11巻55ページ 第90話)
白の地に侵入したヒカルの石が助かるか、取られてしまうか、で決まる完全にヨミの勝負。
勝ちを確信して、師匠の期待に応えた和谷の心情。
「佐為だったら・・・」
で唯一の道を発見したヒカルの実力。
そして破られた和谷の気持ち。
一つのヨミが重要な碁だったからこそ、痛いほど伝わってきます。
 
この囲碁表現は、和谷が佐為の存在にかなり迫っていること、ヒカルの打つ碁の中に佐為がいること、という物語の重要な部分にもつながっていました。
 
 
・第2話まで戻りますが、ヒカル(本当は佐為)VSアキラの第1局目。
物語そのものが動き出す、記念すべき一戦でした。
佐為は指導碁のつもりだったとのこと。
 
「これは最善の一手ではない 最強の一手でもない・・・」
「僕の力量を計っている!! はるかな高みから―――」
 
しかし、実は元ネタの一局とは意味が異なっています。
 
 
 
江戸時代の碁。
黒番は本因坊秀策(藤原佐為が前に憑いていた人)ですが、白番は師匠の本因坊秀和です。
つまり、「指導」する立場にいるとしたら、白のほう、ということになる。
なんとアキラが師匠側なわけです。
そのうえ秀策は、師弟関係を頑なに大切にする人、というエピソードが伝わっています。
(師匠と互角になった後も、実力・立場が上である白番で秀和と対局することを固辞した、というもの。)
 
 
この一手。
指導するなんてもんじゃなく、全体に広がる白の作戦をなんとか防げないか、と頑張って編み出したものと想像するほうが普通です。
 
しかしそれでもなお、佐為が、アキラに、この一手を指導として打つという描写にしたことは、大英断だったと私は思います。
碁盤全体、今まで打たれたすべての石、この一局すべてに響くような、神々しい一手なんですよね。
アキラに「遥かな高み」と感じさせ、「神の一手」という本作のテーマに全く負けていない一手。
元ネタと違う形にしてでも使いたい棋譜だと思いますし、ヒカルの碁のために打たれたといっても私は信じます。
 
 
 
囲碁のルールも、流れの中に
 
 
そんなヒカ碁ですが、囲碁のルールに触れている箇所も、いくつかあります。
ここでは、囲碁の根本的なところ、地と石取りに注目します。
他の細かいルールは置いといて、この2つがあれば「囲碁」といえるからです。
 
 
・将棋部、加賀の初登場シーン。(コミックス1巻、第7話の最後)
「石ころの陣地取り」という表現で囲碁をディスります。
実は、「地(陣地)が多いほうが勝ち」であることは、ここで(こんなところで!?)初めて言葉で示されます。
碁盤は出てこないので、それが実際どんなものなのかは、ハッキリとは読者には分かりません。
その前のアキラとの対局で「2目負け」などは出てきますが、それが「地の差」であることは本編ではまだ説明されません。
 
囲碁嫌いなタイプのヒール役が本編で初めて登場。加賀のバックグラウンドを見事に表しています。
穏やかで囲碁大好きな筒井さんとの対照も際立っています。
ここからヒカルの中学囲碁部編につながっていきました。
 
 
・ヒカルがあかりに「石取り」を教えるシーン。(コミックス2巻、153ページ 14話)
ここで初めて、「石を取れる」ルールが示されます。
 
(黒が◎に打つと、白の1つを取れる、の図)
 
 
あかりの石の逃げ方に、ヒカルがキレます。
 
(石は動かしちゃいけない。正しくは右の◎)
 
囲碁部の日常のワンシーンとして面白いところです。
あかりの天然(?)な感じ、あかりとヒカルの長年の関係性、たぶんヒカルは優しく教えるのは向いてなさそうだな、というのがわかります。
 
 
・筒井さんがあかりに「地」を教えるシーン。
 
三谷のズルがどんなものなのか、初心者のあかりに筒井さんが教えます。
地がどんなものなのか。最後に数えるための「整地」について。
そこでズルをするとどうなるのか、について。
 
(黒石で囲まれた場所が12目の地。線と線の交点を数えましょう)
 
 
囲碁の勝負の決め方が、(他の場面に比べれば)かなりの丁寧さで示されます。
確かに読者のためを思えば、三谷がどんな悪いことをしているのか、知っておいた方がいいでしょう。
このタイミングで、この解説はありがたいものです。
 
しかし、そんなメタ目線を吹き飛ばすような筒井さんの「最も卑劣な行為なんだ」のセリフです。
なぜこの解説があるかって、何よりもまず筒井さんが三谷の行為を許せない、そんなヤツが囲碁部にきてもいいのか、という話です。
だからこそ、地がここで説明されなければならない。
物語の流れにピッタリ囲碁の解説が組み込まれています。
 
 
「引き算」の美学
 
 
逆に、ルールが説明されていそうで、されていない場面があります。
第1話、ヒカルがプロの先生(白川七段)からルールの手ほどきを受けている場面です。
読者より前に、ヒカルは先生から「ちょこっとの基本」を教わっていました。
 
(「石取りゲーム」をしていますが、どうなったら石を取れるかまでは描かれていません。
最後先生が◎に打っていますが、黒3つを取り外すところは描かれていない)
 
 
囲碁漫画の記念すべき第1話。
より深く見てもらおうと、ここで囲碁のルールを一通り、先生に解説してもらうことも出来たかもしれません。
「序盤はこんな風に打って、もう陣地が増えなかったら終わり、数え方はこうで・・・。」
どこかで一局の流れを追体験させるような描写を入れ、囲碁をより覚えやすくすることもできたでしょう。
監修は一流です。

しかしヒカルの碁はその選択はしませんでした。
 
それはおそらく、物語の流れに乗らない、と考えたからではないか。
残念ながらメインキャストとはいえない白川七段が、ヒカルに(読者に)囲碁を紹介するシーン。
これが、ヒカル・佐為・アキラたちの物語に、何を付け足すことができるだろうか。
 
ヒカルの碁には、そんな判断基準、そんな美学が読み取れると思います。
余計なもの、過剰なものを、なんとか省くことはできないか。
ここぞという場面で、最も効果的に囲碁を描くにはどうするか。
 
その「引き算」の結果、囲碁を覚えられないくらいに表現は絞られ、物語そのものは、これ以上ないほどの強度を得たのではないか。
囲碁の名人の芸も、ちょうどそのようなものです。無駄がそぎ落とされているのです。
私は、この物語に何かを付け足そうとは思えません。
 
 
これを書いていて思い出したのは、漫画『ホーリーランド』です。
格闘漫画なのですが、もうとにかく解説解説解説、解説が入ります。
戦いの一挙手一投足、ぜんぶ作者の解説が入っている。そんな漫画です。
何が起こり、なぜこちらが勝ったのか、読者は納得して読み進めます。
 
しかし、私は決して余計・過剰とは思いませんでした。
戦いの意味を深く理解することが、物語の展開を理解することに、そのまま繋がる造りだったからです。
必要なことを必要なぶん、やっている。その必要の量が違うだけなのです。
 
 
「分かるではなく、分かるようになりたい」
 
 
少し前、ヨビノリたくみさんのツイートが良いなと思いまして
 
 
 
ああ、そうだった。
私はヒカルの碁を読んで囲碁を分かったわけではなく、
分かるようになりたいと思ったのだ。
 
 
次回は、「バトル漫画」としてヒカルの碁を見たときに思ったことを書いていこうと思います。


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